有り合わせの道具で蕎麦打ち

今年の年越し蕎麦は久々に自分で打とうと思い、本番に向けて練習してみました。
専門の道具を買うつもりはないので自宅にある道具で実施。


まずは材料の蕎麦粉と中力粉。
蕎麦粉は今回は茨城県産のものを使用。


素人なので無理せず五割蕎麦から行くことにし、蕎麦粉と中力粉をそれぞれ100gずつ使用。
それらをふるいにかけてからボールの中でハシを使って水80mlと混ぜ合わせ、ボソボソの状態になったら手捏ねに移行。


蕎麦玉作りは捏ねた材料をボールの底に手の平で押しつけて成形することによりへそだしの工程を省いて省力化。


テーブルの上に打ち粉して蕎麦玉を置き、1mのVP30の塩ビパイプを麺棒として用いて伸します。
実際に使ってみた感じではVP30だと少々太過ぎだったので、VP25の方が適していると思います。


角出し。真四角に伸ばしたいところですが、素人なのでこの程度。要練習ですね。


伸ばした材料を八つ折りにしたところ。


小間板の代わりに小型のまな板を切り出しのガイドに用い、牛刀を蕎麦包丁の代わりにして麺を切ります。
麺の幅は1.5mm程度。


麺を切り終えました。


後はごく普通に茹でてから、ざるで湯を切り、水洗い。


別に準備した麺つゆと合わせて完成。
作った分の半量でどんぶり一杯分。
専門の道具を使わなくてもなんとかなるものですね。
それでは皆様、よいお年を。

とある南京事件否定論者の英語での「情報戦」

KUIDAORE氏という人は転載記事をこのように並べれば南京事件を否定できると思っているようです。

[ The New York Times : January 9, 1938 ]
"Wholesale looting was one of the major crimes of the Japanese occupation. Once a district was in their full control, Japanese soldiers received free rein to loot all houses therein. [...] Occupants of homes were robbed and any who resisted were shot."

"Many Chinese civilians who failed to leave the southern and southwestern sections of the city were killed, the total probably running as high as the total of military dead. This writer, visiting the South City after the Japanese had occupied the area, found sections of it almost demolished by Japanese shelling, and Chinese civilian dead were lying everywhere."

[ Documents of the Nanking Safety Zone : December 17, 1937 ]
"In other words, on the 13th when your troops entered the city, we had nearly all the civilian population gathered in a Zone in which there had been very little destruction by stray shells and no looting by Chinese soldiers even in full retreat."
(PDF)
*December 17, 1937 "International Committee for Nanking Safety Zone"

The New York Times : January 9, 1938 : REAL PHOTOS, FILMS TAKEN NANKING IN 1937-1938

上はニューヨークタイムズの1938年1月9日の記事。
翻訳はニューヨーク・タイムズ F・ティルマン・ダーディンの記事で読むことができます。
該当部分は

日本軍の占領の主要な犯罪は大規模な略奪であった。いったん地域が日本軍の完全支配下に入ると、そこの住宅はどこも日本兵の略奪がほしいままになされた。なにより先に食料が求められたようだが、高価な物はなんでも、ことに持ち運びの簡単な物を、勝手気ままに持ち去った。住宅に人がいる場合は強奪し、抵抗する者は射殺された。

市の南部および南西部から避難できなかった大勢の市民は殺害され、総計ではおそらく戦闘員の死亡総計と同数くらいにのぼるであろう。記者は日本軍が地域を掌握してからの市南部を訪れたが、一帯は日本軍の砲爆撃で破壊され一般市民の死骸がいたるところに転がっていた。

となります。
下は南京国際区安全委員会の第6号文書の一部で、翻訳は第6号文書 z9 - 思考錯誤アーカイブ & とほほがピースウォーク @wiki - アットウィキで読むことができます。
この一文だけでは誰が誰にあてたものなのかも文脈も分からない転載ですが、該当部分は

言いかえれば、13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが、同区内には流れ弾による極めてわずかの破壊しかなく、中国兵が全面的退却を行った際にもなんら略奪は見られませんでした。

となります。
では、この南京国際区安全委員会の文書は上記ニューヨークタイムズの記事を否定するものになるでしょうか?なるわけがありません。
南京国際区安全委員会の一般市民のほとんど全体を集めていたという認識は間違っており、安全区の外にも一般市民が残っていたことは知られています*1し、南京市街が日本軍の砲爆撃で破壊されたことと、日本軍が安全区を攻撃しなかったことにより安全区が流れ弾によるわずかな破壊しかなかったことは矛盾しません。むしろ、流れ弾の存在が日本軍の砲爆撃があったことを示しているというものでしょう。
そして、この転載部分の前後を読めば、この転載の悪質な切り取り具合が分かろうというものです。
以下に前後を含めて引きます。(「平常名」は「平常な」に修正)

ところが、不幸にも貴下の兵士は、安全区内で当方が秩序を維持し、一般市民のための諸サービスを続けることを望みませんでした。その結果として、我々が12月14日の朝まで続けていた秩序維持と必要 なサービス提供の体制は瓦解しました。言いかえれば、13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが、同区内には流れ弾による極めてわずかの破壊しかなく、中国兵が全面的退却を行った際にもなんら略奪は見られませんでした。貴下が当地区を平穏に接収し、かつ市内の他の部分が整備されるまで、そのなかで平常な生活が乱されることなく続けられる準備はすっかり整っていました。それだと、市内で完全に平常な生活を進めることもできたのです。このとき市内に居住していた27名の外国人全員も中国人住民も、14日いらい貴軍の兵士が行っている強盗・強姦・殺人の蔓延にまったく驚いています。

日本軍の兵士の所為で南京国際区安全委員会が行っていた「秩序維持と必要 なサービス提供の体制」が瓦解したこと。件の転載部分が「完全に平常な生活を進めることもできた」ことを説明するための前置きだったこと。日本軍の兵士による強盗・強姦・殺人が蔓延していたこと。こういうことを示す文の中であの一文だけを切り取ることで南京事件の否定に用いようとすることができる感覚。これは不誠実としか言いようがないと思います。
そして、その不誠実さはソースを確認すればすぐに判明するわけで、これでどれほどの英語圏の人々を騙すことができるというのでしょうか。まさしく知性に対する侮辱としか言えない切り取りだと思います。
日本の否定論者の相手がソースを確認しないことに対する信頼はいったいどれだけ海外で通用するのでしょうね。
KUIDAORE氏はヴォートリン日記からも以下を転載しています。

[ Diaries of Minnie Vautrin ]
December 8, 1937
"This evening we are receiving our first refugees - and what heartbreaking stories they have to tell. They are ordered by Chinese military to leave their homes immediately if they do not they will be considered traitors and shot. In some cases their houses are burned, if they interfere with the military plans. Most of people come from near South Gate and the southeast part of city."

December 9
"Tonight the flames are lighting the sky above the whole southwest corner of the city and during much of the afternoon we have seen clouds of smoke rising from every direction save northwest. The aim of the Chinese military is to get all obstructions out of their way - obstructions for their guns and possible ambush or protection for Japanese troops. McDaniel of Associated Press says he watched the fires being started with kerosene. The owners of these houses are the refugees who have been coming into the city in great crowds during the last two days."

December 10
"Fires have been seen around the city a good part of day, and tonight the sky to the west is aflame - the destruction of the houses of the poor just outside city wall."

(PDF) *Microfilmed collection of Vautrin papers includes her diary

該当部分の翻訳は「知恵ノート」は終了いたしました - Yahoo!知恵袋で読むことができます。

12月8日水曜日:夜、初めての避難民受入。南門付近や市南東部の人達が殆ど。中華軍、自宅からの即時立退きを命じ、従わないと反逆者と見做して銃殺。軍の計画を妨害すると、家が焼払われる事もあるとか。

12月9日木曜日:夜、南京市南西隅の空全体が火炎で照し出されている。午後は殆ど、北西以外の方角から濛々と煙が立ち昇る。中華軍の狙いは、総ての銃撃の邪魔や、日本兵に役立つ物を取り除く事。マクダニエル特派員は、中華兵が灯油を家に掛けて火をつけている所を目撃したと言う。この2日間、焼け出された人達が城内に大挙避難した。人々にこれ程の苦難を与えて迄もする価値があるのか疑問。

12月10日金曜日:日本軍、光華門のすぐ近くに。市街周辺各所で、殆ど一日中火災。夜は西の空が真っ赤。城壁のすぐ外側の貧しい人々の家が焼かれた。マギーによると、彼の邸宅は燻る焼跡の海に浮かぶ孤島のようだとか。

これはつまり、家屋の破壊や殺人は中国軍によるものだと言いたいのでしょう。
中国軍の清野作戦による家屋の破壊や略奪はよく知られていることです。
無論、このことは日本軍の砲爆撃による破壊を否定しません。
また、放火にしても行軍中の日本軍も放火していたこともよく知られていることです*2
京城区が南京市の一部であり、南京安全区が南京城区のそのまた一部であることを考えれば騙される筈も無い話です。
だいたい、ヴォートリン日記は資料:ヴォートリン日記に見る「殺害事例」資料:ヴォートリン日記に見る「連行事例」のような日本軍の行状も多数載っている本です。
つまり、こういう「情報戦」を行う人々はソースを確認した上で、日本軍の様々な行状を示すその内容の中から史実否定に役立ちそうな部分だけを切り取るということをしているということです。
これまた、相手がソースを確認しないことと相手の無知に対する信頼無しにはできない行為というものでしょう。
このような行為はある種の南京事件否定論者の不誠実さを証明しているだけというものです。
このような南京事件否定論者はその不誠実さゆえに歴史学的には問題にはなりませんが、ソースの切り取りぶりが示すその不誠実さゆえに説得不可能な相手だということも明らかでしょう。
こういう人々は無知ゆえに騙されて否定論を受け売りしているのではありません。不誠実さにより自ら否定論を作り出している人々なのです。

「蘭・バタビヤ法廷事件番号第二五号 三警事件資料」にはどういうことが書かれているか

私の一番恐れていた事件は、慰安所事件であった。
これは慰安婦の中には、スラバヤから蘭軍下士官の妻君五人の外、現地人七十人位をバリ島に連れてきた件である。
下士官の妻君五人は、終戦後直ちに送り返したが、スラバヤ着と同時に現住民に殺されたとのことであった。
この外にも、戦中の前後約四ヶ年間に200人位の婦女を慰安婦として奥山部隊の命により、バリ島に連れ込んだ。
私は終戦後、軍需部、施設部に強硬談判して、約七十万円を本件の工作費として貰い受け各村長を介して住民の懐柔工作に使った。
これが完全に効を奏したと見え、一番心配した慰安所の件は一件も訴えが出なかった。

「蘭・バタビヤ法廷事件番号第二五号 三警事件資料」より引用。供述者は元海軍兵曹長
現地調査などで裏を取らない限りは供述内容を完全に肯定することはできませんが、この供述が真とすれば、この慰安所事件は
・オランダ軍下士官の妻の他、現地人を慰安婦としたこと。
・その慰安所終戦時まで運営していたこと。
・軍部隊命で慰安婦を連れ込んだ例もあったこと。
慰安婦の連行形態または待遇あるいはその両方(加えて慰安所の設置自体も)は戦犯裁判的に懐柔工作で口止めしなければならないものだったこと。
を示しています。
また、この慰安所事件がいわゆるスマラン事件(白馬事件)とは別のものであることも明らかでしょう。

慰安婦問題で新談話を出すなら河野談話後に発見された資料の反映は当然ですよね?

結果として、今、私たちが目にする「官憲が」「人さらいのごとく」連行したことを示す公文書は、戦後の東京裁判やBC級裁判でこれらの犯罪が問われた記録や「慰安婦」裁判の判決である。植民地にされていた朝鮮半島での犯罪は、戦犯裁判の対象にはならなかった。しかし、1990年代に韓国の「慰安婦」被害者が提訴した3件の「慰安婦」裁判では、全てが事実認定されている。
日本政府・軍は、敗戦前後に文書を組織的に焼却したが、それでも「慰安婦」制度に関する日本軍・政府の関与を示す公文書は、河野談話(1993年)までに300点以上が公表された。一方、その後も研究者など民間の手によって重要な文書が発見されており、この20年余りに国内外の公文書館等で発見された資料は500点以上を数える。この中には戦後に実施された法務省による元戦犯への聞き取りで、200人にのぼる「慰安婦」を集めたことが罪に問われることを恐れた兵士が、日本軍の資金70万円を使って隠蔽工作をし、功を奏したとの証言記録も含まれている(文書5)。これらの新たな公文書は今年6月、安倍首相に宛てて提出されたが、政府はそれらを「慰安婦」関連の資料として認める気配すらない。

早急な被害回復措置を

「証拠がない」のではない。歴史の事実に向き合おうとする姿勢が欠如しているのだ。日本軍の責任を示す証拠はすでに十分ある。日本政府は「慰安婦」制度の事実と責任を認め、一人でも多く存命のうちに被害回復措置をとらなければならない。歴史の事実をなかったことにして自尊心を保つのではなく、「日本は過ちを認めて加害者としての責任を果たす」という姿勢が必要なのである。

DAYS JAPAN (デイズ ジャパン) 2014年 10月号P25より引用*1。引用文中の文書5は「蘭・バタビヤ法廷事件番号第二五号 三警事件資料」*2
慰安婦」制度に関する日本軍・政府の関与は多数の資料に裏づけられています。
河野談話後も資料の発掘と研究は行われており、「慰安婦」制度とその問題点はより確固な歴史学的事実となっています。
河野談話後の研究成果を反映しなかった第1次安倍内閣閣議決定*3は安倍政権の欲望を示す卑劣なものであり、恥を知らない行為というものです。
否定論者の「証拠がない」という言葉は彼らの不勉強あるいは選択的無知の証です。歴史学的事実を認めないために知ろうとしないなら、それは歴史上の加害の事実を認めるのに勇気を要すような欲望があり、そして勇気がないのです。
否定論者が「真実」と思っているものは、むしろ彼らの人権感覚の低劣さを示すものであり、それを公表することは、否定論者の願望とは真逆に、世界に恥を曝し日本を貶める行為でしかありません。
そのことは「THE FACTS」に対する各国の反応と非難決議*4が証明しています。
しかし、否定論者はその体験からすら学びません。何が問題視されており、どのように非難されたのかすら知ろうとも理解しようともしません。
慰安婦問題は世界が中韓だのサヨクだのに騙されているからではありません。そのように考えるのは各国の人々の知性に対する侮辱でしかありません。事実は否定論者が聞く耳を持たないのです。
否定論者が仲間内だけで通じる信仰の世界に閉じこもっているのであり、その有様は信仰に反することは書いてあっても読めないかのようです。
私は引用した記事の「歴史の事実をなかったことにして自尊心を保つのではなく、「日本は過ちを認めて加害者としての責任を果たす」という姿勢が必要なのである」という記述を実に真っ当なものだと思います。
しかし、否定論者がこういう記事を読んで改心することがありえるかと問われれば、絶望的だと思わざるをえません。
否定論は事実に対する理解の問題というより欲望の問題であり、自民族中心主義的な欲望が、それによる自己イメージを損なうような情報を拒否し続ける限り、改心は無理だろうと考えるからです。
彼らは元「慰安婦」を嘘吐きババアと呼ぶような下劣な行いを「愛国心」のもとに行い続けるでしょう。
ただ、仮に安倍政権が慰安婦問題で新談話を出すとして、それが河野談話後に発見された資料やそれに基づいた研究を反映したものであり、内容もより人権感覚に適うものであれば、それは否定論者に少なからぬ衝撃を与えるのではないかと思います。左派政権であれば衝撃を与えるどころか、むしろ否定論者には逆効果にしかなりえないでしょうが、安倍政権であれば否定論者の陰謀論の世界を破壊するような衝撃がありえるかもしれない。
………無理でしょうね。安倍政権がそんな談話を出すわけがありませんし、仮に安倍政権がそんな談話を出しても否定論者はより深い陰謀論の世界に籠るのではないかとも思います。こういう予想を裏切ってほしいと思いますが、まあ、ありえないでしょうね。
安倍政権は否定論が原因の非難や活動に対し「河野談話を踏襲している」と噛み合わない反応をし続けるだけでしょう。必要なのは否定論に対して見える活動で対処することなのに。
それは日本が国連から求められていることでもあります。

慰安婦」問題では、日本政府による実態の認識や被害者への謝罪、補償が不十分だと懸念を表明。(1)人権侵害の調査を終え、侵害に関与した責任者の処罰(2)真摯(しんし)な謝罪と適切な補償による「慰安婦」問題の永続的解決(3)「慰安婦」問題を否定する試みの糾弾―を日本政府に求めました。

国連差別撤廃委 ヘイトスピーチ 法規制を/日本政府に勧告 「慰安婦」謝罪など要求

第一次安倍内閣の2007年の閣議決定の欺瞞と嘘

第一次安倍内閣は2007年3月8日に提出された「安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書」に対して2007年3月16日に答弁書閣議決定しています。
この閣議決定は日本のある種の人々の間で強制連行を否定したものとして知られています。
その実際の内容はどういうものだったでしょうか。

安倍首相は、辻元清美衆議院議員の質問に対して、2007年3月16日に答弁書(内閣衆質166第110号、下記資料を参照)を送付しています(内閣衆質166第110号)。この答弁書は、河野談話の発表までに「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と述べています。

2-2 安倍政権と2007年の閣議決定 | Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任

とあるように、この第1次安倍内閣閣議決定河野談話後の研究成果を反映しない欺瞞に満ちたものであり、スマラン事件の調査結果公表が既になされていたことを考えれば明らかな嘘でした。そして、現在では河野談話の資料に軍強制の記述が含まれていたことも明らかになっています。

戦時中、旧日本軍がインドネシアの捕虜収容所からオランダ人女性約35人を強制連行し、慰安婦としたとの記載がある公的な資料が6日までに、国立公文書館(東京)で市民団体に開示された。資料は軍の関与を認めた河野官房長官談話(1993年)の基となるもので、存在と内容の骨子は知られていたが、詳細な記述が明らかになるのは初めて。

http://www.47news.jp/47topics/e/246352.php

河野談話の資料には軍による強制連行を示す記述が含まれていたわけです。この事実を踏まえると答弁書の書きぶりのいやらしさが更に際立ちます。判決文や聞き取り調査などは「直接示すような記述」ではないということなのでしょうね。それは色々限定条件をつけなければ「狭義の強制の証拠はなかった」という結論を導けなかったということでもあるのでしょう。
この閣議決定5年前の歴史すら修正する従軍慰安婦否定論者 - 誰かの妄想・はてなブログ版でも言われているように河野談話の継承するものです。その範囲において強制連行に対して精一杯ケチをつけようという姿勢は、ある種の人々が妄想するような堂々としたものではなく、ひたすらせこいとしか言いようがないものだと思います。

朝日新聞の吉田証言報道取り消しで国際世論は変りうるか?

このタイトルの問いに答えるなら、おそらく変わりえないと答えるしかありません。
なぜなら諸外国、少なくともTHE FACTSに対して非難決議を出したような国々*1は狭義の強制連行を問題にしているのではなく、日本軍性奴隷制における苦難を人権問題として見ているからです。
そのことは以下に示すようなマイケル・グリーン氏の発言からも明らかでしょう。

ブッシュ政権のときに国家安全保障会議上級アジア部長を務めたマイケル・グリーンは、「永田町の政治家達は、次の事を忘れている。<慰安婦>とされた女性達が、強制されたかどうかは関係ない。日本以外では誰もその点に関心がない。問題は、慰安婦たちが悲惨な目に遭ったと言うことだ」(『朝日新聞』2007.3.10)と語っています。

0-1 強制連行が問題の本質なの? | Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任

この発言の背景には、2007年1月に米下院で「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議」の案が提出されたことに対して問われた安倍首相が「言わば狭義の意味においての強制性について言えば、これはそれを裏付ける証言はなかった」「今正にアメリカでそういう決議が話題になっているわけでございますが、そこにはやはり事実誤認があるというのが私どもの立場でございます」「この決議案は客観的な事実に基づいていません」(2007年3月5日 参議院予算委員会 3号)というように答弁したことや「慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会」の発足などに見られる日本の政治家の言動に対する反発があります。
当時から国際社会は強制連行ではなく日本軍慰安婦が性奴隷状態にされていたことを問題視していたのに、日本側がそのことに無理解だったのです。
そして、そのことは安倍首相が慰安婦問題でブッシュ大統領に謝罪(2007.4.28)したことや、THE FACTSの意見広告(2007.6.14)が日本軍慰安婦に関する各国の非難決議を招いたことを経ても変わらなかったのです。むしろ、その無理解は日本社会全般に蔓延したと言っていいでしょう。
朝日新聞の吉田証言報道取り消しをもって強制連行を否定できると考え、そうすることで国際社会における汚名を雪げると認識しているかのような人々の言動がそのことを示しています。


今の日本社会の反応を見ると理解してもらえなくても仕方がないと思いますが、これは朝日擁護ではなく、慰安婦問題において朝日新聞の影響力を誇大視しても意味は無いという話です。
朝日の慰安婦特集記事に対する意見を述べれば、後知恵ですが、あれは出すなら遅くても2007年3月半ばには、せめて2014年2月の河野談話検証検討後数週間以内には出すべきものだったと思います。日本側の言動に対する諸外国の反応と組み合わせれば現状に対する世論の認識を促すことになったでしょうし、日本側の言動により引き起こされた米国側の慰安婦問題への反発を見れば「保守」にも説得的に伝わったのではと思うからです。日本の「保守」の実態を考えると希望的観測が過ぎるかもしれませんが。
慰安婦問題は朝日の捏造!」説はApemanさんが以前より言及していることであり、その主要エントリをリストにまとめられていますので、ここにそのURLを紹介します。
主要エントリリスト(「慰安婦問題は朝日の捏造!」説関連) - Apes! Not Monkeys! はてな別館

言われたのでゼオライトの性質とかについて調べました

移行係数(移行率)の低さは土中にセシウムが固定されていることを意味しません

放射性セシウムの移行係数(移行率)は植物体の放射性セシウム濃度(Bq/kg)を土壌の放射性セシウム濃度(Bq/kg)で割ることにより求められます。
植物体の放射性セシウム濃度と土壌の放射性セシウム濃度が単純比較できる値でないことはその重量の由来から明らかです。
植物体の重量は何に由来するかといえば、大部分は空気と水です。植物は土中から成長に必要な元素を吸い上げますが、それが植物体の重量に占める割合は僅かでしかありません。
セシウムは植物には不要ですがカリウムと同族の元素(元素周期表1族)で、植物のカリウム吸収とともに吸収されていると考えられています。*1
この植物体が吸収したセシウムのベクレル数を大部分が空気と水に由来する植物体の重量で割ったのが植物体の放射性セシウム濃度であるわけで、植物体の放射性セシウム濃度と土壌の放射性セシウム濃度は別種の値です。
移行係数の計算において、土壌の放射性セシウム濃度は環境を示す値であり、植物体の放射性セシウム濃度はその環境の生産物への影響を示す値であり、単位は同じでも相互に加減算を行うことができる関係の値ではありません。ゆえにセシウムが土壌に留まる割合として「1-移行係数」なんて計算をすることに意味はありません。例えば、3kgの土壌からセシウムを吸い尽くして1kgに育つ植物体、つまり移行係数が3になるだろう植物体を仮定すれば、こういう計算のおかしさが伝わるでしょうか。これはあくまで「1-移行係数」という計算のおかしさを示すための例で、そんな植物は存在しませんが。(殆どの場合、0.01を下回る)*2
移行係数は土中のセシウムが植物が吸収可能な形で溶出している程度と吸収しやすさの両方の影響を受けるので、移行係数の低下は土中にセシウムが固定されていることを必ずしも意味しません。
例えば土中にカリウムが豊富な場合、土中のセシウムカリウムに置換される形で溶出しやすくなりますが、カリウムが豊富だと植物はセシウムを吸収し難くなるので、総合的には移行係数は低くなります。

ゼオライトは選択的にセシウムを吸着するわけではありません

土壌改良剤として知られているゼオライトセシウム対策として持ち上げられていますが、畑に肥料を足しながら使っている限り、移行係数の低下はゼオライトセシウムを吸着していることによるのではないだろうと思います。
むしろゼオライトを施すことによるカリウムの増加が移行係数を下げていると考えた方が自然と思います。

現地ほ場、ポット栽培試験ともにゼオライト施用量に応じて土壌の交換性カリ含量は増加した(図1、2)。土壌の交換性カリ含量が低いほど、ゼオライト施用による野菜の放射性セシウムの吸収量は低下したため、ゼオライトから供給された交換性カリが放射性セシウムの吸収抑制効果に寄与したと考えられた。

http://www4.pref.fukushima.jp/nougyou-centre/kenkyuseika/h24_radiologic/h24_radiologic_27.pdf

このPDFファイルにはゼオライトを施しても放射性セシウムの吸収抑制効果は認められなかった例が載っています。
栽培前土壌の交換性カリが高濃度な場合、もとからそこで得られる植物体の放射性セシウム濃度は低く、ゼオライトを施すことによる低下は見られないわけです。
ゼオライト負電荷を帯びているゆえにCs+を含む陽イオンを吸着しますが、天然の状態でK+なりCa2+なりNa+なりを吸着しているわけで、ゼオライトを施すことでそれが土中の別種の陽イオン(NH4+とかMg2+とか)を吸着し相対的にカリウムを放出すること(置換)により交換性カリ含量が増加しているのではないでしょうか。
そうであるにしろないにしろ、ゼオライトを施すことで土壌の交換性カリ含量は増加しているわけで、土壌は豊富に陽イオンを抱えている状態であり、つまり、ゼオライトセシウムを吸着しても陽イオン置換ですぐに溶出する状態と推測できます。この場合の植物体の放射性セシウム濃度低下はゼオライト陽イオン吸着能力によるセシウム固定の結果というより、カリウムセシウム吸収抑制能力によると見た方がいいのではと思います。
陽イオン吸着能力の低い土壌にゼオライトを施すことはセシウム対策としてある程度の効果を持ちうると思いますが、もともと陽イオン吸着能力が高く陽イオンも豊富な土壌にゼオライトを施しても、その移行係数低減効果は殆どカリウムによるもので、ゼオライトセシウムを固定するからではないでしょう。おそらく、カリウム系肥料でも類似した効果が得られると思います。
セシウムを選択的に固定する能力がある土壌だったりしたら、ゼオライトを施すよりカリウム系肥料を施した方が結果的には良いのではないでしょうか。

除染の基本は表土を取り除くことだと思います

セシウムは降雨がいくらあっても、またいくら湛水して掛け流ししても下方に実にゆっくりにしか移行しない。(2)*3は、1955年から1975年まで原水爆実験が行なわれ世界の土壌がセシウムによって汚染されたが、その後耕作し続けた土壌でも表土50cm以下までセシウム汚染しているところがないことを示している。したがって、表土を10cmほど削り、50cm以上掘って、天地返しすることは、放射能汚染を人間環境から完全に隔離するという点からは、技術的にはベストな方法である。

http://yamazaki-i.org/kou/KOU125_henshubu_mori.pdf

未耕地土壌ではセシウムは概ね深さ10cmまでに留まるので、除染を考えれば放射能汚染事故後の最初の耕作は耕す前に表土を10cm削りとるのが良いと思います。

結局、セシウムをどうしたいのですか?

セシウム対策は何をしたいのかにより変わると思います。
植物が吸収し難いように土中に固定させたいのか、除染のために溶出させたいのか。
セシウムを土中に固定させたいのであれば肥料を施すべきではありません。肥料を施すということはK+なりCa2+なりNH4+なり土壌に陽イオンを供給することとほぼ同じで、それは陽イオン置換によりセシウムの溶出を促すものだからです。肥料を施さず土壌を痩せた状態にしておけば、土壌の陽イオン吸着能力に応じてセシウムは土中に固定されやすくなります。
セシウムを土中に溶出させたいのであれば、その上で植物体への移行係数を上げたいのか下げたいのか。
移行係数を上げたいのであればアンモニア系肥料を多めにすればいいでしょう。移行係数は上がり、その分、植物体に吸収させての土壌の除染は早まります。特にNH4+は雲母と吸着したりしているCe+でも溶出させるようですから土中に固定されてしまったセシウムにも有効でしょう。*4
移行係数を下げたいのであればカリウム系肥料を多めにすればいいでしょう。移行係数は下がり、植物体の放射性セシウム濃度は低くなります。その分、植物体に吸収させての土壌の除染には時間がかかることになりますが。
いずれにしても植物体に移行した分、土壌に含まれるセシウムの量は減少します。植物体が汚染されている分だけ、土壌は除染されます。
「食べて応援」とは長期的には、ある意味、「食べて「薄めて散らす」に貢献」であり「食べて除染に協力」なのだと思います。
汚染の程度が低ければ人間が食べても殆ど問題にならないと分かっていてやっていることであり、それが汚染地の人々への幾らかの貢献になると考えてやっていることなわけです。
仮に生産者の人々が汚染度の高い表土を取り除かずに耕していたとしても「植物体に吸収させての除染」の対象量が幾分増えるということがあっただけで、やることは変わりませんし、生産者の人々が仮にEM菌を信奉していたりとかゼオライトの効果を盲信していたりとかしていても、それをやめることを私はしないでしょう。


以上、id:kurumishinhamaさんへの私信のようなもの。