ピースおおさか改装オープンの件

改装後は旧日本軍の加害行為についての写真や資料のほか、慰安婦に関する展示を取りやめ、大阪空襲の被害に関する展示を中心に再構成。日清戦争から終戦までの約50年の経緯を約14分間の映像にまとめた。

「南京大虐殺」写真廃棄、慰安婦展示も撤去 偏向展示・自虐史観と批判受け ピースおおさか改装オープン(1/2ページ) - 産経WEST

旧日本軍の加害に向き合うことを拒み、自国の被害を殊更に強調することで被害感情をこじらせて自国の戦争責任追及に対して逆ギレするという「普通の日本人」の俗情に沿った展示の変更だなと思いました。
そういうのが「普通」だというなら私は「異常者」でいいや。

戦艦武蔵の発見による模型の金型改修はありえるか

結論から述べれば戦艦武蔵の発見に伴う新考証によってその艦船模型の既存キットに金型改修が行われることはないでしょう。
戦艦大和の発見に伴う新考証によってタミヤの1/700戦艦大和に金型改修が行われることはなかったという過去の事例から考えて。
戦艦大和は艦尾の銃座が角型であったことや第二・第三砲塔の三連装機銃のブルワークが六角形であったことなどが判明しましたが、それでタミヤの1/700戦艦大和に金型改修が行われることはありませんでした。以下の画像のように。


いずれの画像も「MODEL Art (モデル アート) 増刊 帝国海軍戦艦総ざらい 2015年 01月号 [雑誌]」より引用。
こういう事例から考えれば新考証によって既存キットのメーカーが慌てふためくことはないでしょう。
基本的にこういう部分はモデラーの方が自作やアフターパーツの組み込みで対応するのが普通です。
おそらくライオンロアとかが新考証再現用の改造パーツを発売してくれることでしょう。
まあ、メーカーの心意気次第では既存キットでも変更部分の金型の追加くらいはあるかもしれません。
アオシマが艦コレ仕様の1/700陸奥に金型追加した事例はあることですし。
無論、これから開発されるキットには新考証が反映されることでしょう。
例えば、フジミの新キットの1/700戦艦大和には上で述べたような新考証が反映されています。


いずれの画像も1/700 艦NEXTシリーズNo.01 日本海軍戦艦 大和の説明書から引用。
とりあえずフジミが艦NEXTシリーズでの武蔵をどう仕上げてくるかに期待しますかね。

武蔵の煙突後方の三連装機銃のシールドの有無について

『俺の知らない機銃がある……』武蔵生中継でパニックになる模型クラスタのみなさん - Togetterで武蔵の煙突後方の後部艦橋周辺の三連装機銃のシールドの有無が話題になっていましたが、この部分は近年の考証ではシールド有りとなっています。

MODEL Art (モデル アート) 増刊 帝国海軍戦艦総ざらい 2015年 01月号 [雑誌]」P139より「武蔵」1944年10月レイテ沖海戦時(最終時)の煙突後方部分。画像中の赤字と赤丸は引用者による。


ちなみに大和ではこの部分はシールド無しとなっています。

戦艦「大和」図面集 (Anatomy of the ship)」P32より、1945年(昭和20)4月、天一号作戦時の戦艦大和の煙突後方部分。画像中の赤字と赤丸は引用者による。


タミヤの1/700キットで武蔵最終時を作る場合、タミヤの1/700武蔵は竣工時の姿であるため、1/700大和を改造して作るのが一般的ですが、その際はこういうところを弄る必要があるわけです。
で、こういう機銃ですが、近年ではファインモールドのナノドレッドシリーズに置き換えるのが主流と思います。
96式25ミリ3連装機銃 シールドタイプ大和用 (1/700 プラスチックモデルキット WA3)
シールド無しの機銃を置き換える場合もナノドレッドシリーズに置き換えるのが主流と思いますが、これ、リニューアル版が発売されたのが、私にしてみれば地味にショックだったりします。
1/700 精密プラパーツナノ・ドレッドシリーズWA25九六式25mm三連装機銃防盾装備 (リニューアル版)
リニューアル前の分の買い溜めの分量ががががが


大和型のキットについてですが、フジミがスナップフィットで多色成型の1/700大和を近日発売します。塗装と接着なしでもそれなりに仕上がるというのは、これからのスケールモデルの生き残りに必要なことの一つと思いますので、こういうフジミの姿勢は大いに評価するところなのですが、同シリーズでレイテ沖海戦時の武蔵もキット化してくれることにも期待しています。今の流れなら絶対にしてくれるだろうとは思いますが。
1/700 艦NEXTシリーズNo.01 日本海軍戦艦 大和

広島市の公式見解である原爆死没者数は「科学的な信頼性」を持たない

要旨

はてなブックマーク - 政府、南京犠牲者数で申し入れ 昨年12月中国に、非公表 - 47NEWS(よんななニュース)に始まるid:FrenetSerretの要求はバカ丸出しな言い掛かりにすぎません。
なぜならば原爆犠牲者数に関する日米の見解の基になっている数は「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数」ではないからです。
そのことは原爆の犠牲者数の推計値について - 模型とかキャラ弁とか歴史とかにおいて史実を提示して証明済み。
よって、私が「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数」と他の何かを同じに扱うことはありえません。
つまり、私が「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数」と南京事件犠牲者数30万人説を同じに扱ったという認識のもとでの両者の「科学的な信頼性」が同等であることを証明しろというid:FrenetSerretの要求は前提となる認識自体が間違っています。
蓋然性において同程度に扱っていないので、蓋然性において同程度と実証する必要はない - 模型とかキャラ弁とか歴史とかに書いたように私はもとから両者の蓋然性を問題にしていませんが、仮にid:FrenetSerretの要求に応じるとしても現時点では彼の脳内の数値でしかない「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数」の「科学的な信頼性」など私の知ったことではなく、そんなものは信頼性の評価の対象になりえません。
id:FrenetSerretは他者に「科学的に証明」することを要求する前に、自らの発言の「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数」の信頼性とその日米との関係を「科学的に証明」する必要があります。そして、その「科学的に証明」する方法は彼自身が主張した基準に従うのが筋。
id:FrenetSerretはそういう証明を行わない限り、他者に証明を要求できるスタート地点にすら立っていません。
id:FrenetSerretが「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数」の信頼性とその日米の見解との関係を「科学的に証明」することから逃げ続ける限り、彼はバカ丸出しな言いがかりをつけたことを煽り続けることでごまかすことしかできない惨めな敗北者でしかありません。

本文

原爆の犠牲者数の推計値について - 模型とかキャラ弁とか歴史とかで書きましたが、広島市の公式見解である原爆死没者数は(原爆投下前の人口の推計値−1945年11月の生存者の推計値)+(軍関係者・来広者・朝鮮人被爆死亡者などの不明瞭な推計値)です。「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力」から推定された値でも「実験してデータを取って理論を構築して」推定された値でもありません。
ゆえに、

FrenetSerret id:D_Amon 指摘できてないよww原爆と南京の死者数は科学的な信頼性が異なる、と言ってるんだから、間違いを指摘するなら、科学的な信頼性を同程度だと証明しなきゃねw自分でバカだと証明するの楽しい?w

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/D_Amon/20150121/p2

FrenetSerret id:D_Amon頭悪いなw科学的に証明しろって言ってんだから、実験してデータを取って理論を構築してNatureにでも投稿しろよ、それが科学における反証だよ。お前が、無学なのは分かったけど、教えたんだからやれよ?w

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/D_Amon/20150121/p2

というような発言が意味するところの「科学的な信頼性」を持ちません。
勿論、私に広島市の公式見解を否定する意思はなく、広島市の公式見解の推計方法には相応の社会科学的な信頼性があると考えています。
id:FrenetSerretの言うところの「科学的な信頼性」は自然科学的な信頼性であり、広島市の公式見解は推計方法的にはそのような信頼性を持たないという話です。
広島市の公式見解の推計値も米国の戦略爆撃調査団による推計値も「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数」ではありません。
私は南京事件に関する日中の見解の違いに対して原爆死没者数に関する日米の見解の違いを持ち出したわけですが、死者数と犠牲者数は同じというわけではないという話と政治における見解と学問における諸説は異なるという話 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかの「おまけ」の部分で触れているような彼の発言は、彼が日米の見解のいずれとも関係ない彼の脳内の数を持ち出していることを示しています。
それはつまり、彼が私のブックマークコメントとはまったく関係の無い値を前提に絡んできたということであり、それは彼の発言が端から不当な言い掛かりでしかなかったということを示しています。*1


付け加えると、南京事件の犠牲者数のような歴史学上の事象は史料の収集や分析などにより「こういうことがあったのは確かだろう」という蓋然性の世界の話です。「このようにすればこういうことができる」ということを実験で示す可能性の世界の話ではありません。
広島市の公式見解もその推計方法を見れば明らかなように「実験してデータを取って理論を構築して」推計されたものではなく、史料の収集や分析などにより推計されたものです。
つまり、いずれも自然科学の世界の話ではないことは明らかで、仮に史料の収集や分析などを行って犠牲者数に関する蓋然性の高い推定を行い論文を書いたとしても、その寄稿先は自然科学分野の雑誌にはならないでしょう。
ゆえに「実験してデータを取って理論を構築してNatureにでも投稿しろよ」という発言自体が彼の頭の程度を示す難癖というものです。

追記

FrenetSerret id:D_Amon ほらほら、主張ブレブレで逃げてないで、早くデータを取って理論を構築して原爆同等の信頼性があることを証明しろよw俺は初めから科学的に示せと(こうなる事を見越して)言い続けて来てんだよw

http://b.hatena.ne.jp/entry/image/http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20150122/p1

私は既に死者数と犠牲者数は同じというわけではないという話と政治における見解と学問における諸説は異なるという話 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかの「おまけ」部分で「どうやらFrenetSerret氏の言うところの被害者数は広島市の公式見解とは違うようですね。なら、私のはてブでの発言にはまったく関係ないなー」と書いているように、彼が私のブックマークコメントとはまったく関係の無い値を前提に絡んできていることを既に示していますし、蓋然性において同程度に扱っていないので、蓋然性において同程度と実証する必要はない - 模型とかキャラ弁とか歴史とかで書いているように端から蓋然性において同程度に扱っていません。つまり、「同等の信頼性があることを証明しろ」という主張自体が彼の歪んだ認知が生みだした言い掛かりにすぎません。
彼のこういう発言は、相手を煽り続けることで自らの面目を保とうとでもしていることによるのですかね。
ちなみに彼の初めの主張は「科学的に被害者数が公式に見積もられている原爆」の「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数」と南京事件の被害者数を私が同じ様に扱っているというもの。私は「見解の違い」を根拠に申し入れすることに対してコメントしているのであり、南京事件の犠牲者数の蓋然性と原爆の犠牲者数の蓋然性を同じ様に扱っていないのは蓋然性において同程度に扱っていないので、蓋然性において同程度と実証する必要はない - 模型とかキャラ弁とか歴史とかでも明らか。
日米の見解とされるいずれの犠牲者数も「科学的に被害者数が公式に見積もられている原爆」の「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数」ではないわけで、彼の言っていることは支離滅裂というものです。

再追記(2015/01/23)

D_Amon 頭が悪すぎてhttp://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20150122/p1に書いてあることが読めないんだね。自然科学がどういうものかも理解していないわけだ。まあ、自説が何説のどういう値かも示せない知ったかぶりらしい態度と思うid:FrenetSerret

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/D_Amon/20150122/p1

FrenetSerret id:D_Amon 読んでないし読む気もないよw「証明した(キリ)」とかっていきっといて「見解の違い」とか馬鹿を盾に逃げるなww早く科学的に実験してデータを取得して、南京の死者数の信頼性を原爆並だと証明しろよww

つまり、id:FrenetSerretはこの記事を読みもしないで「主張ブレブレで逃げてないで」という評価を行ったというわけです。この手の人が読解力に問題があるだけでなく心性も低劣であることは珍しいことではありませんけど。

再々追記(2015/01/24)

D_Amon 「外交ルートを通じ「日本の見解とは違う。被害者の具体的な人数を認定することは困難だ」と伝えた」原爆の犠牲者数で日本が米国に「米国の見解とは違う」と言われたらと思うと、相手の気分を害するだけと思うな

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.47news.jp/CN/201501/CN2015011401001738.html

FrenetSerret 犠牲者数が明らかに出来ていない南京大虐殺と、科学的に被害者数が公式に見積もられている原爆とを、同じ様に扱うw皆さんこれがid:D_Amonによる反日論法です。とても頭悪いですねww覚えておきましょう

D_Amon 米国の歴史教科書を見る限り米国の見解の原爆犠牲者数が日本の見解のものより少ないのは単なる事実。南京の30万人説にしても蓋然性は低いが推計値として否定できるものではないid:FrenetSerretid:cmuethmitid:oxigenus

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/www.47news.jp/CN/201501/CN2015011401001738.html

FrenetSerret id:D_Amon 核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数と、まだ一切断定する材料もなく自分も認めるように蓋然性のない30万人を同じに扱っていい理由にはなってない。馬鹿ですか?w

id:FrenetSerretはこのように「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数」と「一切断定する材料もなく自分も認めるように蓋然性のない30万人」(30万人は中国の見解の南京事件の犠牲者数)を私が同じに扱っているという認識のもと、私に絡んできています。
既に書いたように原爆死没者数に関する広島市の公式見解は「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数」ではありません。
id:FrenetSerret広島市の公式見解を「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数」と思っていた場合、それは彼の認識の方が間違っていたということです。
id:FrenetSerretが自らの脳内の「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数」を前提に絡んできた場合、そんな彼の脳内の数のことなど、私の知ったことではありません。
(私は元から原爆犠牲者数の蓋然性と南京事件犠牲者数の蓋然性を同じに扱っていませんが、)いずれにしろ、「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数」と「一切断定する材料もなく自分も認めるように蓋然性のない30万人」を私が同じに扱ったという認識のもと、両者の蓋然性が同程度だと証明しろという要求は不当な言い掛かりに過ぎません。
後、繰り返しになりますが、「蓋然性は低いが推計値として否定できるものではない」と言ったのを「自分も認めるように蓋然性のない」と言いかえるのは捏造です。

追記4(2015/01/29)

FrenetSerret id:D_Amon 記憶力もないんだなw科学的に証明しろと言ってきて、「証明した」と断言したのだろ。科学的に証明できてないよ。それとも科学的な証明ってのが何か、また忘れちまったのか?頭悪いもんなw

さらっと主語を省略するなよな話。
あるいは自分の「科学的に証明しろ」の主語を忘れてしまったのかな話。
id:FrenetSerretは「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数」という自身の脳内原爆犠牲者数と南京事件犠牲者数30万人説の信頼性が同等であることを「科学的に証明しろ」と言ってきたわけで、それが不当な言いがかりであることを証明するのには史実を提示すれば十分。id:FrenetSerretが言うところの「科学的な証明」は不用です。(だいたい、史実の提示は社会科学的な信頼性のある答え)
「Aであることを科学的に証明しろ」という要求自体のAの範囲外にまで「科学的な証明」を求めるのはid:FrenetSerretが敗北を認めないために逃げ続けるための行為にしか過ぎません。
そもそもid:FrenetSerretの脳内原爆犠牲者数の科学的な信頼性など私の知ったことではなく、私に「科学的な証明」を求める前に、id:FrenetSerretが自説の科学的な信頼性と日米の見解との関係を自分基準で証明すべき。さもなくばid:FrenetSerretの自説は南京事件犠牲者数30万人説との比較対象にすらなりません。
自説の科学的な信頼性と日米の見解との関係について実験してデータ取って理論を構築してNatureに投稿して掲載されて、ようやくid:FrenetSerretはスタート地点に立てるわけです。
id:FrenetSerretは自説の根拠の説明から逃げ続け、自分がバカ丸出しな言いがかりをつけたことを煽り続けることでごまかすことしかできない惨めな敗北者。

追記5(2015/02/03)

FrenetSerret id:D_Amon 可愛そうになる位、頭使ってないよなw俺に最初から、比較不能なものを比較するなら科学的に示せ、と指弾されてるの理解してる?比較不能だって俺は言ってんのwお前の空っぽな頭でも、これで分かる?w

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/240597596/comment/FrenetSerret

id:FrenetSerretに彼自身が言い出した「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数」の信頼性と日米の見解との関係を彼自身に証明することを求めたらこれです。
id:FrenetSerretは「原爆と南京の死者数は科学的な信頼性が異なる、と言ってる」わけで、その言によれば「科学的な信頼性」の高低は比較可能でなければなりませんし、その「科学的な信頼性」は彼自身が主張するところの証明方法で示すことができなければなりません。
「科学的な信頼性」の高低が比較不能であれば、「科学的な信頼性」の差を問題にしていた彼の発言もその証明方法も嘘になります。
「科学的な信頼性」の高低が比較可能であれば「最初から、比較不能なものを比較するなら科学的に示せ、と指弾」という彼の発言は嘘になります。
私にしてみれば、私自身は史実に対する諸説の蓋然性は大雑把な高低において比較可能と考えますが、id:FrenetSerretの脳内数値など私の知ったことではありませんし、当然それを私が他のものと比較することもありえないのですけどね。

*1:彼が日米の見解についてそういう「科学的な信頼性」がある数だと思っていたのなら、それは彼が前提としていたことが間違いだったということで、やはり、不当な言い掛かりでしかありません。

原爆の犠牲者数の推計値について

FrenetSerret id:D_Amon 核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数と、まだ一切断定する材料もなく自分も認めるように蓋然性のない30万人を同じに扱っていい理由にはなってない。馬鹿ですか?w

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/www.47news.jp/CN/201501/CN2015011401001738.html

という発言は間違っています。


広島市の公式見解である原爆死没者数「約14万人(誤差プラスマイナス1万人)」は以下のように推計されています。

44年2月の広島市の人口を参考にした推計と、被爆後約3カ月がたった45年11月の広島市と周辺町村の人口を比較し、軍の被害報告資料や県外からの来広者、朝鮮人被爆死亡者などを考慮した、と一定の根拠を説明している。被爆30年を経て犠牲者数が明らかでないことについては、国家的な調査が放置されてきたと指摘する。

(4)原爆の犠牲者数なぜあいまいなの <下>

つまり、(原爆投下前の人口の推計値−1945年11月の生存者の推計値)+(軍関係者・来広者・朝鮮人被爆死亡者などの不明瞭な推計値)です。この値に「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力」から推定された部分はありません。


広島に投下された原爆は臨界前の核物質に臨界に達する量の核物質の弾を撃ちこむことから確実に動作することが予測されたガンバレル式で、実験無しに広島に用いられています。
その発生エネルギーの推定や反応した濃縮ウランの割合の推定ができるようになったのは後の時代の研究によってです。
ゆえに米国の戦略爆撃調査団による推計値が「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力」から推定されているわけがありません。


よって、日米の見解とされるいずれの値も「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力」から推定されていません。
以上。


あと、死者数と犠牲者数は同じというわけではないという話と政治における見解と学問における諸説は異なるという話 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかでも書いたことですが、「蓋然性は低いが推計値として否定できるものではない」と言ったのを「自分も認めるように蓋然性のない」と言いかえるのは捏造です。

蓋然性において同程度に扱っていないので、蓋然性において同程度と実証する必要はない

http://digital.asahi.com/articles/ASG8600W4G85TIPE02V.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASG8600W4G85TIPE02Vにおいて日本政府は「日本の見解とは違う」ことをもって「適切でない」と中国に申し入れています。
これに対して

D_Amon 「外交ルートを通じ「日本の見解とは違う。被害者の具体的な人数を認定することは困難だ」と伝えた」原爆の犠牲者数で日本が米国に「米国の見解とは違う」と言われたらと思うと、相手の気分を害するだけと思うな

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.47news.jp/CN/201501/CN2015011401001738.html

と書いたように、私は「見解の違い」をもって相手に「適切でない」と申し入れることに対してコメントしています。つまり、蓋然性は問題にしていません。

D_Amon 米国の歴史教科書を見る限り米国の見解の原爆犠牲者数が日本の見解のものより少ないのは単なる事実。南京の30万人説にしても蓋然性は低いが推計値として否定できるものではない

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/www.47news.jp/CN/201501/CN2015011401001738.html

と書いたように、既に30万人説の蓋然性を低いと思っていることを書いているので、南京事件犠牲者数と原爆犠牲者数の推計値を蓋然性において同程度に扱っていないのも明らか。
よって、このことについて「蓋然性において同程度と実証しろ」と言われても応じる必要はありません。
死者数と犠牲者数は同じというわけではないという話と政治における見解と学問における諸説は異なるという話 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかのコメント欄でも言及しましたが、そのことを理解できないのがid:FrenetSerretid:cmuethmitid:oxigenusid:pwd24v

以上。


あと、既に、

サ条約体制的には日本の「公式見解」は東京裁判の20万人説である筈だし、「人数を認定することは困難」な原因は日本側の敗戦時の証拠隠滅も原因でそれをもって文句言える立場ではない

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/www.47news.jp/CN/201501/CN2015011401001738.html

と書いていますが、「被害者の具体的な人数を認定することは困難」なのは敗戦時に日本側が証拠隠滅したのも原因で、証拠隠滅した加害者が被害者に「人数を認定することは困難」なことをもって申し入れを行える立場ではないのは当然です。

死者数と犠牲者数は同じというわけではないという話と政治における見解と学問における諸説は異なるという話

死者数と犠牲者数は同じというわけではないという話

日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では20万人以上(松井司令官に対する判決文では10万人以上)、1947年の南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人など様々な推計がなされている。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf

日中歴史共同研究日本語論文PDFファイルのP271から脚注を省略して引用。
日本側研究における南京事件の犠牲者数に諸説ある理由の一つとして「虐殺」(不法殺害)の定義があることから分かるように、死者数と犠牲者数は同じというわけではありません。
犠牲者数の推計値は死者数の内のどれくらいを犠牲者数と見做すかという価値観により変わりうるものです。
引用文中の20万人説を笠原説、4万人説を秦説、2万人説を板倉説と仮定してその価値観の違いを説明すると、「虐殺少数派」のトリック - 模型とかキャラ弁とか歴史とか内の引用文中にも書いてあるように板倉説は「中国兵の投降兵、敗残兵、捕虜の殺害を不法殺害=虐殺とみなさないようにしている」ものですし、秦説は「戦闘意欲をまったく失っている「敗残兵」や「投降兵」の殺害を「戦闘の延長と見られる要素もある」として、虐殺とは見ないこと、また軍服を脱ぎ棄てて民間人の服装に着替えて難民区に逃げ込んだ兵士を「便衣兵」とみなして、その殺害を「処刑」と考えた」ものです。
秦説についてですが、「秦は「不法殺害は四万?」といういい方をして、約四万人という被害者数は「あくまでも中間的な数字にすぎない」として「新資料の出現で動くこともある」と柔軟な姿勢を見せていたが、その後、小野賢二らによって第一三師団山田支隊だけで、一万五〇〇〇〜二万の捕虜集団虐殺をおこなったという新資料が発掘されても(後述)、四万人という数字を変えず、むしろ「中間派」としての存在を示すためにこの数字を固定してしまった」ので、現在の秦説は山田支隊が行ったような捕虜集団虐殺を犠牲者数に数えない説になっていると思われます。
つまり、秦説や板倉説といった虐殺少数説を採るということは投降兵、敗残兵、捕虜の殺害を虐殺と見做さないという価値観の表明と同じであり、諸説の中から選べないにしても、投降兵、敗残兵、捕虜の殺害を虐殺と見做すのであれば虐殺少数説は選択肢から外すべきということになります。
なにをもって虐殺と見做すかという価値観を表明すれば自ずと諸説の中で取れる選択肢は限定されますし、それは諸説の中でどれが正しい数か認定する過程において最低限必要なことです。
外務省のサイトには

しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/08.html

と書かれていますが、とりあえず、日本政府はなにをもって虐殺と見做すかという定義を明確にして、それを外務省のサイトに載せるべきだと思います。それは諸説の中でこの説はとらないということを明確に示すことであり、その定義を採用する現代日本の倫理観を示すものでもあるわけですから。

政治における見解と学問における諸説は異なるという話

先に引用した日中歴史共同研究日本語論文PDFファイルの「日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では20万人以上(松井司令官に対する判決文では10万人以上)、1947年の南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している」という記述が示すように国がとる見解は必ずしも学説に依拠するわけではありません。
サンフランシスコ平和条約体制的には連合国の見解は極東国際軍事裁判東京裁判)の20万人説ということになりますし、中国の見解は南京戦犯裁判軍事法廷での30万人説で、いずれも裁判の結果として司法が認定した数であり、学問的に研究された数ではありません。*1
サンフランシスコ平和条約で東京裁判を受諾したので南京大虐殺の犠牲者数は20万人〜30万人で確定ということで - 模型とかキャラ弁とか歴史とかでも書いたことですが、

我が国は、サンフランシスコ平和条約第11条により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しており、国と国との関係において、この裁判について異議を述べる立場にはないと考えています。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/09.html

と外務省のサイトにも書いてあるように、日本はサンフランシスコ平和条約第11条により極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しているため、この裁判について異議を述べる立場にはありません。
これはつまり、日本にしても他国に「南京事件の犠牲者数は東京裁判で認定された20万人である。これに異議はあるか?」と問われたら、政治的には「異議はありません」と答えざるをえないという立場にあるということです。
まあ、実際にはそのように問われたら、「異議はありませんが、学問的には日本国内でも諸説あり、その中でどれが正しい数かは認定していません」とでも答えるのではと思いますが。

否定する根拠もないのに見解の違いがあることをもって「適切でない」と申し入れるのは筋がいいのか

南京事件の犠牲者数について私は中国の30万人説の蓋然性は低いとは思っていますが、日本政府のこういう対応はくだらないと思います。

政府が昨年12月、1937年に起きた旧日本軍による南京事件の犠牲者数は「30万人」と明言した中国の習近平国家主席の発言に関し「適切でない」と中国に申し入れていた

http://www.47news.jp/CN/201501/CN2015011401001738.html

日本政府は、習氏が昨年12月13日の南京での追悼式典演説で「30万人の同胞が殺害された」と述べたことを問題視。同月下旬までに、外交ルートを通じ「日本の見解とは違う。被害者の具体的な人数を認定することは困難だ」と伝えた。

犠牲者数を30万人と言ったことに対して「適切でない」と申し入れる根拠が「日本の見解とは違う」とか「被害者の具体的な人数を認定することは困難だ」とか、論拠にできると考える方がおかしいと思います。
「日本の見解とは違う」からなんなのですか。その「日本の見解」が世界から見て正しいのなら、洋書に「Between 200,000 and 300,000 People were killed」*2とか書かれたりしません。そんなものが論拠にできるわけもありません。
「被害者の具体的な人数を認定することは困難だ」からなんなのですか。史実派と否定派をどっちもどっちと言うのは只の知的怠惰の表明 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかでも書いたことですが、敗戦時の資料焼却が「これだけのことしかしていない」を日本側資料で蓋然性の高い主張にすることを不可能にしているわけで、被害者の具体的な人数を認定することが困難なのは、いわば自業自得。それを申し入れの論拠にする方がおかしいというものです。
日本側の言うことは「30万人説の否定」自体ではなく「被害者の具体的な人数の認定は難しいのだから具体的な人数は言うな」ということになるわけですが、それは中国側にとって「30万人説の否定」でしかないでしょう。
こういう件に関する私の意見は以前から変わりませんので、以下に引用します。

これは「30万人説を否定するな」ということではありません。具体的根拠を挙げて学術的手順を踏まえて30万人説を否定できるというのなら、是非やってみせてもらえればと思います。
30万人説を本当に否定したいのであれば、それは日中あるいは多国間で議論を重ねて線引きを確定し、その線引きでより精度の高い推計値を出すことというものでしょう。史実派の学者がそういうことをやっているので、30万人説を否定したい人は自らもそういう場に立つ努力をしてみればいいのではないでしょうか。

南京大虐殺と選択的無知 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

歴史的経緯を考えれば、中国が自国の式典において自国の公式見解である30万人説を述べるのは当然のことです。
それに対して「適切でない」と申し入れるのであれば、最低限「これらの資料からこの定義で推算すればこの人数だ」と具体的に述べるべきですし、さらにいえばその定義について国際社会なり中国なりの合意を得ておくべきというものです。
私はこういう申し入れは相手の主張を変える効果を持たないどころか「日本側の史実否認の欲望を示す行為」として中国側の宣伝に利用されかねない迂闊な行為というものだと思います。

見解が異なることは相手が適切でないということにはならない

私はこの記事のはてなブックマーク

D_Amon 「外交ルートを通じ「日本の見解とは違う。被害者の具体的な人数を認定することは困難だ」と伝えた」原爆の犠牲者数で日本が米国に「米国の見解とは違う」と言われたらと思うと、相手の気分を害するだけと思うな

というコメントを書いたわけですが、原爆の犠牲者数について日本と米国で見解に差があることはよく知られていることです。

米国の中・高校生用の歴史教科書の中で、広島、長崎への原爆投下で亡くなった犠牲者数を、両市の「公式見解」(広島約14万人、長崎約7万人)に沿って記しているものが極めて少ないことが日本の研究者の調査で分かった。犠牲者数を掲載しないか、しても多くは公式見解の半分ほど。被爆者をむしばむ放射線の長期的な健康への影響にふれた教科書もほとんどないという。

http://digital.asahi.com/articles/ASG8600W4G85TIPE02V.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASG8600W4G85TIPE02V

米国では、戦略爆撃調査団が46年、犠牲者数を「広島で7万〜8万人、長崎では3万5千人以上」と報告。藤田助教は「米教科書は調査団の数字などを根拠にしたとみられるが、日本側の公式見解を顧みていないと言える。原爆の被害をより小さく見せたい心理が働いている可能性もある」と指摘する。

というように。
記事中で指摘されている米国の戦略爆撃の調査結果はhttp://www.trumanlibrary.org/whistlestop/study_collections/bomb/large/documents/index.php?pagenumber=42&documentid=65&documentdate=1946-06-19&studycollectionid=abomb&groupid=で読むことができます。
それによれば広島の死者及び行方不明者が70000〜80000人、長崎の死者及び行方不明者は35000〜40000人となっています。
参考までに英語版のウィキペディアの記事Atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki - Wikipediaによれば、広島の死者が90000〜166000人で、長崎の死者が39000〜80000となっています。
このように日本の両市の公式見解と米国の見解は異なるわけですが、見解の差にはそれぞれに事情があるわけで、それに対し相手を不適切と言うにたる根拠もないのに「適切でない」などと申し入れるのはただの傲慢だと私は思います。

「被害をより小さく見せたい心理」は日本側の南京事件に対する姿勢にも向けられるべき言葉

先の記事には「原爆の被害をより小さく見せたい心理が働いている可能性もある」という指摘がありますが、私自身はあまりそういう可能性があるとは思いません。米国が戦略爆撃調査団の数字を根拠とすることに違和感を感じませんから。
無論、その数は原爆投下後数カ月の内に死亡した人数は含みませんが、それはこの数が戦略爆撃の調査結果であり「定義が異なる」わけで、国によって見解の元となる定義が異なるからといってなんなのでしょうか。
もし、仮にそういう心理があるとしても否定論や虐殺少数説といった日本側の南京事件に対する姿勢と比べれば、まったく露骨なものではないと思います。
なぜならば、死者及び行方不明者というように死者数だけでなく行方不明者も数えていますし、英語版ウィキペディアの記事に「Some 70,000-80,000 people, of whom 20,000 were soldiers, or around 30% of the population of Hiroshima, were killed by the blast and resultant firestorm」とあるのを見る限り、その数は軍人も含むものだからです。
南京事件虐殺少数説や否定論の理屈に則れば犠牲者数は死者及び行方不明者の数に比べて小さくすることができます。
広島には軍隊、軍事施設、軍需工場があり、原爆投下は軍事目標に対する攻撃でもあったわけで虐殺少数説的には戦闘行為として軍人なり軍事施設や軍需工場の労働者なりは犠牲者数から除かなければならない筈です。
行方不明者を数えるのもおかしいですね。きちんと死体を数え、その中で犠牲者とする人数を選別しなければなりません。原爆の閃光での蒸発とか火事とか川に飛び込んだとかで死体が残ってないとしても知ったことではありません。
だいたいB-29が飛んできたとき日本の防空部隊は何をしていたのですか?爆撃を受けたのは迎撃しなかった日本側の責任です。とかなんとか。
で、これに対して、日本側の電探網と管制能力の貧弱さとか、日本側戦闘機の高高度性能の低さとか、単機で高高度を飛ぶB-29偵察機扱いしていて彼我の能力や効率を考えて迎撃に飛び上るつもりもなかったこととか言っても、それだけ戦力に差がありながらさっさと降伏しなかった日本側の責任とされてしまうわけです。
こういうことを考えると米国の見解は軍人も含む死者及び行方不明者の人数を採用しているだけ良心的にすら見えます。

広島市の公式見解である14万人説にも南京事件虐殺少数説や否定論の理屈を適用してみましょうか。

原爆投下後に様々な機関が調査を行っていますが、原爆によって死亡した人の数については、現在でも、正確には分かっていません。
これにはいくつか理由があり、
被爆直前の人口状況が分かる資料が原爆で焼失してしまったこと
・多くの人が疎開のため広島市を離れたり、逆に広島市疎開してきたりして、人口が流動的であったこと
・軍関係者の情報が不明であること
などのためです。
なお、死没者数について、本市では、放射線による急性障害が一応おさまった昭和20年(1945年)12月末までに、約14万人が亡くなられたと推計しています。

広島市 - 原爆によって何人の人が亡くなったのですか(FAQID-5801)d

これは南京事件虐殺少数説や否定論の理屈的には話になりませんね。
人口状況が分かる資料の焼失とか人口が流動的であったこととか犠牲者数をいくらでも盛りほうだいではないですか。軍関係者を死没者としてはともかく犠牲者数として数えては駄目ですね。原爆投下から昭和20年(1945年)12月末までに死んだ人にしても、日本の医療インフラの貧弱さや、後からのこのこ汚染地にやってきて死んだ人を犠牲者として数える義理はありません。

44年2月の広島市の人口を参考にした推計と、被爆後約3カ月がたった45年11月の広島市と周辺町村の人口を比較し、軍の被害報告資料や県外からの来広者、朝鮮人被爆死亡者などを考慮した、と一定の根拠を説明している。被爆30年を経て犠牲者数が明らかでないことについては、国家的な調査が放置されてきたと指摘する。

(4)原爆の犠牲者数なぜあいまいなの <下>

南京事件虐殺少数説や否定論の理屈的にはそんな曖昧な根拠で約14万人(誤差プラスマイナス1万人)と推定されてはたまったものではないでしょう。

大体、終戦時は、原爆による死者は

 広島 78,150人(1945年11月末  広島県警調)
 長崎 23,753人(1945年11月25日 長崎市調査)

 合計101,903人 とされていたのです。

(「戦史叢書 本土防空戦」 P642,649)

http://homepage1.nifty.com/SENSHI/book/objection/6nankin_genbakku.htm

のような終戦時の原爆による死者数と、

最近の高校の教科書を調べてみると、この数字を根拠としたと思われる「原子爆弾による1945(昭和20)年12月までの死者は、広島で約14万人」という記述や、「被爆直後から5年間に、広島では20万人以上(中略)の市民が死亡」など、期間や人数がばらばらだ。時期を特定せずに「およそ12万人の命をうばった」とするものもあった。

(3)原爆の犠牲者数なぜあいまいなの <上>

のような様々な教科書の記述を考えると、南京事件虐殺少数説や否定論の理屈的には「日本は犠牲者数を水増ししている」ということも言えそうですね。
うわあ、下衆いわあ。下衆なのは南京事件虐殺少数説や否定論の理屈の方ですけど。
南京事件虐殺少数説や否定論の理屈を考えると原爆については死者数=犠牲者数とするのを当たり前の前提のように認識することが傲慢に思えてきますね。

そもそも南京事件の犠牲者数に対し原爆を持ち出してきたのは歴史修正主義者の方

私のはてなブックマークコメントが南京事件に対して原爆を持ち出していることに対して異のある方もいるようですが、南京事件に対して原爆を持ち出してきたのは歴史修正主義者の方なんですけどね。

同程度の犠牲者数で責任を相殺?

近現代史研究家の水間氏によると、数十万の罪のない市民が亡くなるのだから、原爆投下は判定するまでもなく戦時国際法違反であり、これが東京裁判が始まる前からアメリカのトラウマになっていたとのことです。この責任を相殺するため、日本が「南京大虐殺」を行ったという話が作られたのです。同氏は広島・長崎の犠牲者数と、南京大虐殺の犠牲者数が非常に近い点を指摘します。「南京で日本軍はこんなヒドイことをやったんだから、原爆がヒドイと言う権利はない』と言えるように、アメリカ側が事件を利用したのです。

原爆投下と南京大虐殺の関連を徹底解明!『ザ・レイプ・オブ・南京』を生み出した米中の意図 | ザ・ファクト THE FACT 公式サイト - マスコミが報道しない事実を伝えるネット番組 -

とか、

いま、「南京大虐殺」なる捏造事件を声高に叫んでいるのは支那共産党と、そのスパイであることは紛れもないが、それだけではなく、GHQ時代のアメリカ合衆国の関与もある。
アメリカが、なぜこの事件を捏造する必要があったのか。
それはアメリカが広島と長崎に原子爆弾を落としたからであり、アメリカが広島・長崎で虐殺した原爆の犠牲者数が30万人である。「南京大虐殺30万人説」というのは、アメリカと支那が組んだ陰謀であり、アメリカと支那が手を組んで日本を悪者に仕立てているのである。
南京大虐殺」を否定するためには、まずアメリカの非道を突き付ける必要がある。そして「南京大虐殺」を否定すると不法な極東国際軍事裁判(東京裁判)がひっくり返るため、アメリカも必死にならざるをえない。

エラー ‐ 通信用語の基礎知識

とか。
これらの同類の窪田順生の時事日想:なぜアメリカは「原爆投下は正しい」と言い張るのか (1/3) - ITmedia ビジネスオンラインなんかは「広島は昨日、原爆投下から67年の「原爆の日」を迎えた。一瞬で14万人もの尊い命を奪ったわけだが、なぜアメリカは「原爆投下は正しい」といい続けるのだろうか。その背景にある、アメリカの“論理”に迫ってみた」と書いているように14万人が昭和20年(1945年)12月末までの死者ということも理解していない模様。
これらの歴史修正主義者の主張については原爆と相殺するため南京事件が捏造されたというのは嘘 - 南京事件FAQのように南京事件FAQの記事になるくらいにはよく知られている話。
南京事件論争に関して新規参入組がこういうことを知らなくても仕方がないとは思いますが、歴史修正主義者がこういう頭の悪い陰謀論を唱えているという事実があっての私の発言という面もあるのです。

おまけ

FrenetSerret 天然記念物的馬鹿 犠牲者数が明らかに出来ていない南京大虐殺と、科学的に被害者数が公式に見積もられている原爆とを、同じ様に扱うw皆さんこれがid:D_Amonによる反日論法です。とても頭悪いですねww覚えておきましょう

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.47news.jp/CN/201501/CN2015011401001738.html

D_Amon 米国の歴史教科書を見る限り米国の見解の原爆犠牲者数が日本の見解のものより少ないのは単なる事実。南京の30万人説にしても蓋然性は低いが推計値として否定できるものではないid:FrenetSerretid:cmuethmitid:oxigenus

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/www.47news.jp/CN/201501/CN2015011401001738.html

FrenetSerret id:D_Amon 核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数と、まだ一切断定する材料もなく自分も認めるように蓋然性のない30万人を同じに扱っていい理由にはなってない。馬鹿ですか?w

「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数」がどの説のどういう値かは知りませんが、どうやらFrenetSerret氏の言うところの被害者数は広島市の公式見解とは違うようですね。なら、私のはてブでの発言にはまったく関係ないなー。
蓋然性において両者を同じにも扱っていませんし、「蓋然性は低いが推計値として否定できるものではない」と言ったのを「自分も認めるように蓋然性のない」と言いかえるのは捏造ですね。

*1:実際には孫宅巍ら中国の歴史学者の主張から明らかなように中国の歴史学における数でもありますが

*2:[歴史修正主義における否定論の分類 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか