塞翁が馬

北朝鮮非難決議に対する日本国内での報道に対し中韓朝が嫌いな人々が採択を喜んだり国連憲章第7章が削除されたことを悲しんだりしているのを見て「塞翁が馬」を思い出しました。というわけで「吉事」に対して喜ばなかったり「凶事」に対して悲しまなかったりしてみます。

北朝鮮非難決議

北朝鮮非難決議は喜ぶことではありません。北朝鮮の将来的な崩壊リスクが高まったからです。
素直に喜んでいる人々は北朝鮮の崩壊を歓迎しているように見え、その背景には「どうせ困るのは中国や韓国だから構わない」という考えがあるようですが、だとしたらあまりにも浅はかです。
崩壊でおこるのは難民問題とそれに伴う経済問題や治安問題だけではありません。生物・化学兵器といった北朝鮮が所有する大量破壊兵器の無秩序な拡散も憂慮すべきことです。それはそれらの兵器のテロでの使用の危険性の向上を意味します。日本国内も例外ではありません。
大量破壊兵器の無秩序な拡散の危険性を考えれば北朝鮮は「崩壊は先送り」ではなく「崩壊させてはならない」*1となります。

国連憲章第7章の削除

国連憲章第7章が削除されたことは悲しむことではありません。制裁戦争発動のリスクが低くなったからです。
素直に悲しんでいる人々には「北朝鮮が制裁に苦しむ姿が見れないのは残念」という考えがあるようですが、だとしたらあまりにも浅はかです*2
国連憲章第7章は相手国の態度によっては実力行使も含みます。つまり制裁戦争です。北朝鮮の論理を考えれば屈服の可能性は低く、ことがそこまで進むことは十分に考えられます。もしそのような軍事力の行使まで進めば日本もただではすみません。
ことが戦争にまで発展する危険性を考えれば、制裁戦争につながる国連憲章第7章の削除は喜んで同意すべきこととなります。


ことの吉凶を目先のことだけで判断するのはどうだろうというお話。

*1:崩壊を避けるには「体制保障」か「他国に併合」になるわけですが、「他国に併合」は韓国では国力的に困難。「朝鮮自治区として中国に併合」も一時的な解決手段として選択肢に含めるべきかもしれません。崩壊の悲惨さに比べれば。

*2:他者が苦しむ姿を喜ぶという感覚もどうかと思う