先制自衛と敵基地攻撃能力

北朝鮮の弾道弾打ち上げに関連して日本による先制自衛や敵基地攻撃能力獲得を語る人がいますが先制自衛には法的に問題がありますし、敵基地攻撃能力を得てもノドンのような弾道弾による被害を防ぐことは現状では不可能に近いです。

先制自衛

国連憲章第51条「自衛権」では武力攻撃が発生した場合に個別的又は集団的自衛権を行使可能となります。将来の危険や虞では理由になりません。ゆえに相手の攻撃準備をもって先制自衛をすることは国際法に違反します。
仮に相手の攻撃準備をもって先制自衛をするとして攻撃準備と軍事演習の区別をどうするかが問題になります。*1判断基準を設けたとして、その判断基準に従って「先制自衛」した後に相手に軍事演習と言われたらどうするのでしょうか。先制自衛にはそれを相手に政略的に逆利用される危険性*2も伴います。
現実問題として「敵による第一撃は仕方がない」のです。
不戦条約と国際連合憲章により自衛戦争と制裁戦争(国連憲章第7章に定める強制措置を安保理が発動した場合)以外の戦争は違法*3
先制自衛を否定することは当然のことで、先制自衛を否定する人に敵による第一撃の死傷者の責任があるかのようなある種の人々に見られる意見は誤りです。敵による第一撃による死傷者の責任はそれを行なった敵にあります。

先制自衛の正当化は不戦条約と国際連合憲章の空文化につながる

そもそも「自衛という理由であっても先制攻撃を認めてはならない」というのは、人類がとうの昔に学んだ教訓なのです。
不戦条約で「国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争」を行なうことができなくなってからというもの、戦争がしたい国は「自衛戦争」という建前を得るために色々と工夫しました。ある国は自衛のための「予防攻撃*4として侵攻しましたし、またある国は「いかにして最初の一撃を相手に撃たせるか」ということに腐心し様々な戦争挑発行為*5を行ないました。こうした「条約をすり抜けるための工夫を惜しまない姿勢」の積み重ねの上に今の国連憲章があるわけで*6、先制自衛を認めてしまうことは不戦条約と国際連合憲章を容易に空文化してしまいます。

アメリカとイスラエルを基準にしてはいけない

先制自衛の例としてアメリカやイスラエルの軍事作戦を挙げる人がいますが、日本にはアメリカやイスラエルのような「政治的能力」はありません。
そもそもアメリカやイスラエルを基準に考えるのが間違いというもの。アメリカは一国で世界の軍事予算の半額近くを使う特異な存在。圧倒的な軍事力を持ち常任理事国であり拒否権を持つアメリカを制裁することは不可能という現実の上にアメリカの姿勢はあります。そして、イスラエルはそのアメリカの強固な後ろ盾を得ている国。暴虐な軍事行動を行なった結果、国連でイスラエルに対する非難決議が出され大多数の国が賛成しようともアメリカが拒否権を使うので大丈夫という国。先制攻撃どころか単なる侵攻でも制裁されることが無い国。そういう無理を力で押し通せるのがアメリカとイスラエル。それは現在進行中のイスラエルによるレバノン侵攻でも明らかでしょう。*7
拒否権の行使や京都議定書の非批准といった国家エゴイズム丸出しの行為を行なっても、そのあまりの強大さからつきあわざるをえない大国アメリカや、そのアメリカに支持されるイスラエルを基準に考えるのがそもそも誤りです。
国際協調主義を掲げる日本にはそういうことはまず無理というもの。

敵基地攻撃能力

敵基地攻撃能力で弾道弾を防ぐことはまず無理です。
弾道弾の発射機にはミサイル基地の地下サイロのような固定発射機と輸送兼発射車両*8のような移動発射機があるわけですが、両者ともその捜索と破壊は困難です。
この手の弾道弾システムは発射時を除けば赤外線を殆ど出さないので偵察衛星からの発見は困難(湾岸戦争では米軍はイラクのミサイル発射基地さえろくに発見できなかった)ですし、地下構造物の破壊や撃ってはすぐ隠れるような移動目標の破壊も困難だからです。
湾岸戦争という前例から考えて不可能といわざるをえません。遮蔽物の少ない砂漠という条件の下、多大な戦力を有するアメリカであってもイラク軍によるスカッドの発射を阻止することはできませんでした。
まして北朝鮮は険峻な山岳地帯を含む地形。
敵基地攻撃能力を得ることで弾道弾による攻撃を阻止というのは夢物語と言わざるをえません。結局、一番有効な手段は外交による政治的解決。外交がこじれているからといって軍事に頼ろうとするのはあまりにも安直。外交により軍事的脅威を引き下げるのも防衛というものです。実力行使による解決は必要な装備を整えるだけでも莫大な金がかかるのですから国家財政の観点からも無理というものでしょう。

敵基地攻撃能力以前に監視体制ができてない

仮に敵基地攻撃能力を得ても、敵を捜索し位置情報を得なければ攻撃できません。(精密誘導兵器で標的を破壊するためにはGPS座標などの標的位置情報が必要。低高度を巡航するなら地形情報も必要不可欠)
そして、日本のその手の情報を得るための能力は低いといわざるをえません。北朝鮮ミサイル報道を見れば分かるように情報収集もアメリカに強く依存しているのが現状です。
日本には現状北朝鮮を24時間体制で監視できるほどの数の偵察衛星はありません。
静止衛星準天頂衛星では高度が高すぎて詳細な監視はできない以上、偵察衛星は低軌道の周回衛星となるわけですが、それで北朝鮮を24時間体制で監視するためには衛星を北朝鮮上空を通過する軌道に複数投入する必要があります。
北朝鮮を24時間体制で監視するための必要最低限の衛星数は24を衛星の一日当たりの撮像可能時間で割れば求められますし、衛星一基当たりの撮像可能時間は一日辺りの通過回数と一回当たりの撮像時間で求められるわけですが数個の衛星ではその条件を満たすことはできません。
仮にそれだけの衛星を揃えたとしても衛星による監視は気象条件等光学的条件の制約を受けるため、常時有効な監視ができるわけでもありません。
撮像は主に可視光と赤外線によるわけですが、監視対象に厚い雲がかかっていたりすると対象を撮像できませんし、可視光では夜間の有効な監視はできません(湾岸戦争ではイラク軍は夜間に発射準備と発射を行ないました)。
映像解析にしても経験を積む必要がありますし人力だけでは困難なので作業を補助する画像解析プログラムを開発する必要もあります。
事前の偵察機や特殊部隊*9による情報収集も日本の国情から困難です。

敵基地攻撃能力を得ても事前に攻撃することは物理的に困難

仮に敵基地攻撃能力と攻撃に必要な情報収集能力を得ても、事前に攻撃することは時間的に無理です。
巡航ミサイルにしろ航空機にしろ日本から北朝鮮に移動するまで1時間以上かかります。対してノドンにしろスカッドにしろ、ああいう単純な単段式弾道弾の発射にはそれ程時間はかかりません。日本からの出撃では事前に探知しても弾道弾発射阻止は不可能です。航空機の場合は活動の安全確保のためにまず防空ミサイルの無力化*10を行なう必要があるので尚更。
阻止するためには弾道弾発射機が姿を現してから弾道弾を発射するまでの短い時間で攻撃できる距離に対地兵装を施した航空機や艦船を配備しておく必要があるわけですが、それにはまた別の問題*11があります。


結局のところ、先制自衛や敵基地攻撃能力で弾道弾を防ごうというのは、軍事を知らない人が無理な要求をしているだけのことといっていいでしょう。
敵基地攻撃能力では弾道弾による攻撃に対する安心は得られません。
敵基地攻撃能力を得ても弾道弾の発射を阻止できない以上、攻撃は弾道弾発射機に対する限定攻撃だけに終わるわけはなく、全面的な報復攻撃を自国の戦力で行うことを覚悟する必要があります。それは多大な人命の損失と出費を覚悟することを意味します。

*1:弾道弾はロケット噴射が終了して軌道要素が確定するまでどこに落ちるか分かりません。ゆえに弾道弾の方位が日本に向けられていたとしても、発射されたそれが日本に落ちるかどうかを判断するためにはロケット噴射が終わって落下予想地点が判明するまで待たなくてはなりません。何をもって発射前に攻撃準備と軍事演習を区別するのでしょう?

*2:相手を軍事演習で挑発して相手の勘違いを誘い相手の「反撃」に対して「自衛戦争」を行なうとか

*3:より正確には旧敵国つまり日独に対する武力行使もOKだったりしますが

*4:第二次世界大戦のドイツによるソ連侵攻とか

*5:第二次世界大戦アメリカによるラニカイ号とか

*6:それでもベトナム戦争でのトンキン湾事件のような謀略は防げませんが

*7:そういうのがアメリカとイスラエルが嫌われる有力な理由の一つでもあるわけですが。

*8:重トラックを車台にした発射機。起立発射機輸送車(TEL)とか移動起立発射機(MEL)とか。

*9:米軍のように衛星通信機とGPS対応レーザー測距儀を装備した特殊部隊を送り込んで情報収集活動を行なえばリアルタイムの標的GPS座標を得られるわけです。

*10:電子戦機と共同で対レーダーミサイルなどで防空施設を破壊すること

*11:領空侵犯、領海侵犯、相互の軍事的緊張を煽る等