戦史上の南京事件

図説 日中戦争」P88-91より。

中国軍と中国市民の被害

南京戦は南京を占領するのが目的だったが、中国軍を撃滅するのもまた重要な目的であった。だが敵軍を撃滅できるのは、相手が徹底抗戦した場合の話だ。相手が投降してきたらどうするか、日本軍としての明確な方針がなかった。捕虜が大量に出た時に備えての準備、たとえば何万でも収容できる捕虜収容所を作るとか、食糧や衣料の準備をするとか、医療団を結成するとか、何の準備もしていなかった。
数百、数千、ときによっては万を超す中国兵を捕虜として困り果て、上級の司令部に「どうすればよいか」と問い合わせた部隊が多かった。ある参謀は殺せと言い、ある参謀は釈放せよと言ったと伝えられている。最高指揮官の巌とした方針がなかったことを物語る。第一線ではとまどいつつも処刑したケースが多かった。
俘虜といい、捕虜といい、名称はともかく、投降したら保護するのが文明国同士の戦争というものだ。それをお互いに認めたうえで戦争しようと約束したのがハーグ陸戦条約だった(一九〇七年 日本も参加、批准公布)。条約があろうがなかろうが、手を挙げて投降したものを、その場で殺すとは古代か中世の時代感覚である。
少なくとも南京攻略戦の日本軍は文明国のそれではなかった。少数といわず、多数といわず、投降した中国兵の大部分を殺してしまった。そればかりか、難民区に逃れた中国兵を捜索して、少しでも元中国兵という疑いをかけたら容赦なく引っ立てた。中国人のふだん着を「便衣」といったが、ごういうやりかたを「便衣兵狩り」とか「便衣兵の剔出」とよんだ。
公式非公式の史料が数多く残されているが、ぞれらを検討した結果として、捕らえたあとで殺された中国兵を、ある人は一万六〇〇〇名とし、ある人は二万と推定し、ある人は三万とする。
城内外の掃蕩戦で日本軍が大量に殺したのは兵隊ばかりではなかった。多くの市民が、あるいは中国兵とみなされ、あるいはその市民の一団に中国兵が滉じっていて判別不能として、殺された。その数はどれほどか。
難民区の委員長をつとめていたドイツ人のラーベ(ジーメンス社南京支社支配人、ナチス党南京支部長)は翌年(一九三八年)六月、ヒトラー総統宛の上申書の中で、次のように述べている。「中国側の申し立てによりますと、一〇万の民間人が殺されたとのことですが、これはいくらか多すぎるのではないでしょうか。我々外国人はおよそ五万から六万とみています。遺体の埋葬をした紅卍字会によりますと、一日二〇〇体は無理だったそうですが、私が南京を去った二月二二日には、三万の死体が埋葬できないまま、郊外の下関に放置されていたといいます」(ジョン・ラーベ著/エルヴィン・ヴィッケルト編『南京の真実』平野郷子訳講談社)。
秦郁彦は、当時金陵大学社会学教授で難民区の委員でもあったアメリカ人学者ルイス・スマイスが、南京攻略戦が終わった直後に行った調査、紅卍字会や民間慈善団体・崇善会が行った死体埋葬記録などを検討して、三万八〇〇〇から四万二〇〇〇名と推定している。
笠原十九司は「十数万以上、それも二十万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民」が犠牲となったと推測する(前掲、『南京事件』)。
中国側は主として生存者の証言を累積していって軍民三四万名が虐殺されたとしている。そして一般的には三〇万とし、南京市の「南京大虐殺記念館」(侵華日軍南京大屠殺記念館)はそれをもとに建設されている。
同時に、少なからずの将兵が強姦など陵辱事件や、略奪事件にかかわった。数字としてあげにくいこれらの事件も、多くの虐殺現場の目撃談、聞き書きとともに、難民区の外国人、外国特派員によって「ナンキン・アトロシティ(南京の虐殺)」として、世界に向けて発信された。こうして日本軍の蛮行は欧米やアジア各国で記憶されたが、日本人の大部分が知ったのは、戦後、東京裁判でその一端が証言されてからである。

先日、「間違っている論理展開」と「わら人形論法」に耐性の無い人々 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか2chからトラックバックされました。行ってみたところ南京事件否定論者が大量に書き込みしてました。せっかくなので否定論定型句の収集をして反論記事でも書こうと思って今日行ってみたら既にスレッドが削除されてしまっていました。残念。
仕方が無いので太平洋戦争研究会の「図説 日中戦争」から南京事件の中国側犠牲者に関する部分を引用。
南京事件は、引用文が示すように犠牲者数に関しては諸説ありますが、あったこと自体は多数の資料に裏付けられた歴史上の事件です。否定論の定型句「東京裁判で創作された」というのは嘘で、当時から虐殺の事実は世界に知られていました。日本では徹底した報道管制のため東京裁判まで知られていなかっただけです。
南京事件(南京大虐殺)というとネット上ではそんな事実は無くサヨクや中国の宣伝に過ぎないとする南京事件否定論が流布されていますが、学術的及び戦史的にはそういう主張の方が異常。むしろ南京事件否定論の方が原形は宗教右翼とかの宣伝。
既に学術的には歴史上の事実として確定している南京事件をわざわざ否定することで蒸し返し、中国に日本を責める口実を与え歴史認識カードを渡している南京事件否定論の方が売国行為であり戦後日本の名誉を著しく傷つける行為。南京事件否定論者には自らの行いが日本の恥を世界に曝していることを自覚してほしいものです。
以上、歴史修正主義の代表として取り上げた縁から書いた記事。
南京事件に関しては良質な資料サイトがあるので(南京事件−日中戦争 小さな資料集とか)、より詳しく知りたい場合にはそちらを参照することをお勧めします。