なんか、すごいなあ

「間違っている論理展開」と「わら人形論法」に耐性の無い人々 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかコメント欄より。

Kemuri-1942 『「南京大虐殺」そのものの理論化傾向に目を瞑られるとは、流石は論理学者!二人死んでも虐殺ですよね。南京大虐殺「否定」論者は、大別して「マボロシ派」(そんなことはなかったよ)「中間派」(中国が言ってる数が多すぎだよ)「肯定派」(中国様の言うことに間違いはないよ。)に分けられるわけなんですが。私は「中間派」であり、南京大虐殺を「中国の言うまま」に受け入れること、あるいは極大化する人間こそ「歴史修正主義」だと思ってますよ。ちなみに、ネット上での多勢も「中間派」なんですよ。何で否定論が盛り上がるって、利益のためやらイデオロギーのために、針小棒大に大騒ぎするド低能様がたくさんいらっしゃるからで。所謂「南京大虐殺」は存在しない、ということですね。つまり、「南京大虐殺」そのものが既に理論語なんですよ。論理学を標榜した癖に、この部分の定義を行わない辺り、「うわぁ、ド素人の知ったかぶり」と思わざるを得ませんよ。論証モデルとか理論語とか、ご存知なんですか?いや、甚だ疑問なんですよね。論理学は「あなたのお好みの答え」を作るためのツールじゃないですよ?

私のことを論理学者と勘違いしていたことと、同業者と思っていたことから、論理学者ということになる人の書き込み。
この人の定義では南京大虐殺の肯定派の定義は「中国様の言うことに間違いはないよ」派ということになるようです。こんな定義、初めて知りましたよ。歴史上の南京事件は各種記録に裏付けられている筈で、中国の主張が基準になっているわけではない筈ですが、いったいどこの定義なのでしょう。まあ、この定義に基づけば大抵の(通常用いられる意味での)肯定派の人は中間派になるでしょうね。肯定派から見れば爆笑ものの定義。
水からの伝言」やホロコースト*1は看過しているのに南京大虐殺に対してだけ厳密な定義を求める態度とか実に香ばしい人だなあと思いました。*2

*1:これらも理論語。この人的には理論語を使う際は観察語から定義しないと駄目らしいのに

*2:一般教養レベルの理論語なんて常用されているわけで、理論語を使う際は一々定義が必要なんてのは非現実的。この「論理学者」は論理学を自分の気にいらないことに難癖をつけるための道具として利用しているということです。あるいは論証とか理論語を理解せずにある種の宣伝の受け売りをしている人かも。