徴兵制の条件

徴兵制に関して考えさせられる記事があったので以下に引用します。

戦うだけが軍隊ではないようだ - 非国民通信より。

徴兵では軍事力の強化に貢献しないと言われているにもかかわらず、世界には徴兵制を維持している国も少なくありません。軍隊好きの連中は好んで北朝鮮の脅威を煽りますが、しかるに北朝鮮軍を構成しているのは軍隊好きに言わせれば戦力にならないはずの徴兵された兵士達です。北朝鮮はどうして今でも徴兵制なのでしょうか。
北朝鮮でも中国でも韓国でも徴兵された兵士に戦力を期待しているわけではなく、あくまで規範意識だの公に尽くす精神だの指導者への忠誠心だのを養うための訓練として徴兵が維持されているような気がします。農家の役に立ちそうもない都会の貧弱な若者に徴農制を提案しているのと発想は同じです。そしてこういう発想は、日本にもあるわけです。
ニートやひきこもりの若者には生活に規範意識を持たせることが最も大切。軍事訓練が最適だ」安倍や麻生や中川がこういうことを言い出したところで、今更驚く気もしませんね。

http://park8.wakwak.com/~spike/news/2007/1/07-3.htmlより。

ハイテク兵器と徴兵制の間に関連性があるかも確認してみましたが、密接なものを見いだすのは困難でした。これが本当なら、それぞれの軍が持つハイテク兵器の質や量と徴兵制の間に密接な関係があるはずですが、世界の軍隊が所持するハイテク兵器と徴兵制度の間には顕著な関連性はみられません。ハイテク兵器を持っていても徴兵制の軍隊があるし、ローテク兵器でも志願制の国があるのです。カナダやオーストラリアはその好例で、ハイテク兵器を装備する前からずっと志願制を維持してきました。
一部、ヨーロッパ諸国が徴兵制から志願制への切り替えを検討していることに、「ハイテク兵器が増えたため」という説明がつけられることがあります。しかし、これもヨーロッパ地域での大規模な戦争が考えにくくなったためという、より大きな別の要因を無視しています。特に、冷戦の終了とEUの結成は、安全保障をEUで一本化するチャンスを生み、大規模な兵力を不要にしました。ハイテク兵器は副次的な理由でしかないと考えられます。
徴兵制が選択される理由は、第一に脅威が目の前にあって、大量の兵士を動員する必要が生じる可能性があることだと考えた方が合理的です。アジアでいえば、韓国がハイテク軍ながらも徴兵制を敷いています。これは北朝鮮という脅威が目の前にあり、軍の経験者を大勢持っていた方が安心だからです。

徴兵制が採用される主要な理由は、軍隊の外にあります。かつて日本では、男は軍隊に行って一人前とみなされた時代がありました。教育の一環として徴兵を考える国もあります。イスラム国では、地域の危機に際して男子が武器を持って戦うことを義務としていますから、徴兵制を避ける理由はありません。逆に、志願制の方が好ましいと考える国もあります。歴史的にも徴兵制に対する評価や解釈は何度も変化してきました。こうした社会的な環境が徴兵制の採用に大きな影響を与えるのです。そして、財政上の問題が大きく関係します。大軍を抱える必要がないのに徴兵制を維持しようという国は少ないでしょう。つまり、徴兵制が選ばれる理由は、第一に「大きな脅威」が目の前にあり「大軍が必要とされている」こと、第二に「経済的、社会的な理由」だと言って差し支えがないと考えられます。

これらの記事は「大量の兵員獲得手段としての徴兵」、「教育手段としての徴兵」、「慣習(通過儀礼など)としての徴兵」を指摘しています。
「大量の兵員獲得手段としての徴兵」に関しては私も省人数化を進める軍隊、されど占領には歩兵の頭数が必要 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかで触れましたが、後の二つに関しては文化的先進国においては概ね除外されるものとして思考の外にありました。しかしながら、今の日本を見るとこれらも論外とは言えないようになってきているのかもしれません。

「大量の兵員獲得手段としての徴兵」にしても、将来的に日本が大規模な占領軍(もしくは治安維持軍)を組織しなければならないようになればありえるかもしれません。
自衛隊専守防衛であればそういう事態はありえませんが、防衛省では国際平和協力活動は本来任務です。日本が「国際平和に協力する」ために大規模な占領軍(治安維持軍)を組織しなければならなくなるということは、もはやありえない話ではないのです。
ハイテク兵器はその自動化や戦闘能力から軍隊に必要な兵員数を下げる効果が期待できますが、現時点では占領における歩兵の能力を代替しうるものではありません。ゆえに占領には未だに歩兵の頭数が必要となります。また、徴兵制は低報酬で兵員を確保する手段ともなります。防衛省が人員に割く予算を下げつつ、低練度でも大量の兵員を確保する必要性にかられた場合、徴兵制は魅力的な選択肢に見えるようになるかもしれません。*1

「教育手段としての徴兵」に関しては、「どこそこの国の若者は礼儀正しい。礼儀正しいのは徴兵制で鍛えているからだ」*2といった軍隊を更生施設と勘違いしているかのような発言を行なう人々には受けがいいでしょう。昨今では保守反動政治家がそういうことを口走らないとも限りません。徴農の例もありますしね。

「慣習としての徴兵」に関しては、日本には幕末から明治への短期間で民衆の意識が「戦争は武士の仕事」から「国民の義務」に変わった実績があるわけです。

徴兵制導入の予兆としては、「徴兵は若者を鍛えなおすのに良い方法」なんて報道が積極的になされるようになったら黄(キケン)信号、日本が国際貢献の名の下に大規模な治安維持軍を派遣するようになったら赤(アカン)信号といったところでしょうか。
日本で徴兵制なんて本当なら笑い飛ばせる話の筈なのですがね…
昨今の「日本が終わった」と感じさせられるような報道の連続を見ると、もう笑い話ではないのかもしれないと思わされます。
まあ、「美しい国」では志願制のまま「経済徴兵制」(日刊ベリタ : 記事 : 影山あさ子「戦争する国・アメリカ」(1) 格差社会が生み出す戦争する若者たちより)に移行する可能性のほうが遥かに高いでしょうが。

*1:少子化云々は抜きに、必要性の問題として。大日本帝国は国内労働人口を無視して徴兵したわけですし。

*2:1980年代の新聞の投書欄でしばしばそのような投稿が見られました。どこそこの国にはドイツとか韓国とかが入ります。