扇動されやすさを克服できなかった人々

人々は人間という社会的動物の精神構造を研究することで、人間というケモノの行動を操作する手法を手に入れました。そういう社会心理学的手法は、軍隊における練兵に、悪徳商法におけるセールストークに、カルトの勧誘に、ポピュリズムにおける大衆扇動に、大いに威力を発揮しました。
人々はかつて戦争を起こしました。
戦争に負けた人々は、暴力を伴う弾圧により物言えぬ社会を構築し人々を戦争に巻き込んだ軍に責任を押しつけ非難しました。
そして、人々は自らが扇動による熱狂の中で物言えぬ社会の構築に積極的に参加したことを忘れました。
人々は他人の罪を責めることは大好きでしたが、自らの責任を認めて反省することは大嫌いでした。
時が流れました。
社会心理学的手法はさらに洗練され、それらは相変わらず、軍隊における練兵に、悪徳商法におけるセールストークに、カルトの勧誘に、ポピュリズムにおける大衆扇動に、大いに威力を発揮中。
人々は相変わらず他人の罪を責めることは大好きで、自らの責任を認めて反省することは大嫌い。今度は軍ではなくて外国を非難しています。過去の戦争の件で外国を責めるのは大好き、自国のことを反省するのは大嫌い。
どうも人々は、「打ち倒すべき敵」を与えることにより正義感を満たす機会を与えてくれる宣伝や、虚栄心や自己誇大妄想といった精神的快楽を満たしてくれる宣伝を容易に鵜呑みにしてしまうようです。
人々は社会心理学的手法を、自らの精神的構造に起因する弱点を知り、それを克服する方法として利用することができませんでした。
人間というケモノである自分を制御することで得られた自由を獲得できなかった人々の姿。
またしても人々は他罰好きで自省嫌いな自らの性質ゆえに自らの扇動され易さを克服できなかったようです。