どんな批判に対してもある程度効果的な無効化を図れる論法

どんな批判に対してもある程度効果的な無効化を図れる論法、それは「思いを汲み取れ論」
やり方は、どれほど非難を浴びるような愚かな行動であろうと、そういう行動を取るだけの相応の思いがあったからだと説明し、その思いに対して配慮することを求めるだけ。情緒的な美文*1を書ける能力があればモアベター
そういう行動によって踏みにじられた人がいても、踏みにじられた人の思いからは意識を逸らすように文章を構築するのがコツ。
語られていもしない「思い」を説得的に代弁できるようになれれば上級者。(そこで「なんで語られていもしないことを御前がそんな風に代弁できるの?」と思われるようではまだまだ未熟)
状況により人数にばらつきはあるものの「思いやり深い人々」が共感して追従してくれること間違いなし。
戦争犯罪があろうと救国の理念に燃えていた先人の思いを汲み取れ。
他者が自分と同じように不幸になることを願うワーキングプアの悪意の源泉となる思いを汲み取れ。
素朴な正義感でリンチを行なう人々の思いを汲み取れ。
素直だったり裏があったりと様々な思いを持つ人々が「同感」とか「自分が言いたかったことを上手く言葉にしてくれた」とか「よくぞ言ってくれた」とかの言葉と共に追従してくることでしょう。
世の中にはポジション的な「思いやり深い人々」がそれなりにいるので、論理では正当化できないことでも「思い」であれば正当化できてしまったりするというわけです。彼らの追従により批判のある程度の無効化ができます。
思いを汲み取れ論を使っているのが「敵」だったら「そんなものは感情論に過ぎない」と否定してやりましょう。
「味方」の思いを汲み取れ論が「感情論に過ぎない」と否定されていたら、「敵」を「人の感情を無視する冷酷な連中」と人格否定してやりましょう。
ほーら、水掛け論の大完成。
うんざりするような水掛け論の応酬でどっちにしろ批判のある程度の無効化間違いなし。
批判に対して論理的に決着がつかないようにして有耶無耶にしたい人にもお勧めの方法です。
好きにすればー?
私としては「思い」という、ある意味無敵なバリアー(ATフィールドでも可)をかざしている時点で思想信条を越えた対話可能性はかなり閉ざされてしまうと思いますので遠慮しときます。
人の思いを汲み取ることは人間関係において大事なことではありますが、論理では正当化できないことを正当化したり相互理解を拒否したりする道具にも使えてしまうのが問題。

*1:私的にはあまり意味の無い修飾が多くて無駄に長い文章のこと