だまされにくくなるためのヒント

だまされる人と抵抗する人

このような多様性は、物理的構造と同様、心理学的性質にも影響する――感化に対する感受性、あるいは抵抗性を高める性質を含む。ある人は拷問にも屈せず、あるいは詐欺師のブラシで毛を刈られることなく逃れることができる。彼らは、友人をうらやましいと思わせる物事や、絶望を偽る慈善事業やセールスマンに対してノーと言う能力を持っている。そのような人々がスタンレー・ミルグラムに出会うと、彼の実験方法(第四章参照)に初めから従わないであろう(もちろん、彼の実験対象にも少数例そのような人がいた)。彼らは、内的強度、つまり自信が強く、このような形の社会的圧力から隔離された状態にある。だが、われわれの多くは、このような防御機構を欠いている。われわれは、自分が抵抗力を持っていると考えるが、現実は常にそれが間違いであることを証明する。われわれは詐欺師の犠牲になり、怪しい売込みに同意し、不必要な物を買ったり、実際には全く気にかけていない慈善にお金を寄付したりする。もしわれわれが誠実であれば、われわれの被暗示性によって、コンプライアンス技術の専門化であるロバート・チャルディーニに同意することと思われる。彼の(大きな影響を及ぼした)著書『影響力の武器』の冒頭は次のように書かれている。

今や私はそれを自由に受け入れることができる。生涯を通じて私はだまされやすい人間であった。私が思い出すかぎりにおいて、行商人、募金者、あらゆる種類の策士の格好の標的であった。間違いなく、それらの人々の一部は卑劣な動機しか持っていなかった。他には、−例えば、ある種の慈善団体の代表など−最も善良な意図を持つ人々もいた。しかしそれは問題ではない。自分でも心配になるような頻度で、私はいつも不要な雑誌を講読したり、清掃作業員のためのチャリティー・ダンスパーティーの切符を手にしていた。
−チャルディーニ「影響力の武器」

感化の試みは、その標的である精神と同じくらい古く、したがって、今日の技術が標的とする脳と極めて適切に調和するまでに進化してきたことは決して驚きではない。言い換えると、感化と、それに抵抗しようとする試みは、進化の武装競争の中での敵対者であったのだ。その武装競争における最近の進歩は、例えばロバート・チャルディーニなどの社会心理学者の本を買って読むようにすることだが、それでさえ、感化の武器に対する防衛を保障するものではない。われわれは、自分自身が精神を持った独立した存在であることを常に覚えているわけではなく、時にわれわれは疲れていたり、忙し過ぎたり、怠けていたり、弱っていたりする。しかし独立した存在であることを意識していることもしばしばある――多くの感化の試みにとって、どちらでも問題にはならない。私は、使えさえすれば、どのブランドの食器洗剤が流しの厖にあっても気にしないので、それが明らかに高価なものでさえなければ、最も宣伝に出てくるものを手にするだろう。手に入るすべての洗剤の相対的利点を細かく考慮することは、私の能力の範囲内ではあるが――全く時間の無駄である。食器がきれいにさえなれば、誰が気になどするだろうか?

信念を変える

しかし時にそれが問題になる。時にわれわれは操作されて、自分自身が最も興味を持つことに反した行動をとり、それが自分には全く必要の無い物を買うことで借金を作ることや、殉教を目指して爆発物を体に縛り付けることになる。洗脳の目的は、思想と行動の両方をコントロールすることであ――理想的には、標的者の頭の中に入ってそれを行うことである。第十四章では、現代の神経科学がいかにしてそれを実際に可能とするかを考える。しかしながら、感化の技術の大部分は直接脳を変化させることはできず、その代わり、脳が囲まれている環境を変化させるのである。
これが機能するためには、感化の過程における二つの段階に障害を置くことが必要である。一つめは信念を変化させるのに必要な時間と努力の量で、信念の変化に意味があり長時間続くものでなければならない場合には特に必要となる。感情を煽ることは有効だが、新しい信念が習慣――無意識なもの――になり、攻撃される可能性を極度に減らすためには、繰り返し強化されなければならない。

洗脳の世界―だまされないためにマインドコントロールを科学するP273-275より。
大抵の人は自分で認識しているほど騙されにくいわけではありません。
騙されにくくなるための基本の一つは詐術に対する弱点となりうる人間の心理学的性質について知ること。
そういう社会心理学的知識を身につけることはマインドコントロール技術に対する抵抗力をつけることに役立ちます。しかし、それが完全ではないということも覚悟しておくべきことでしょう。

集団規模で信念を変えることは、現代社会の大きさを考えると、集団の支持のない個人にとっては、ほとんど問題外であることは間違いない。この支持を獲得するために、感化の専門家は本書で議論してきた方法を利用する。感化の専門家は、関連する連想を被害者の脳に押し込むために巧妙な言葉を用い、自分の主張を明解で覚えやすいものにすることで、自分のレトリックを霊的概念と結びつける。プラトンが報告している話におけるソクラテスのように、洗脳者は被害者を変える試みのすべての段階で被害者の同意を得ようとする(19)。洗脳者の目的は被害者さらに不幸と感じて、自分が与えようとしている「援助」を彼らが求めるようにすることにあるが、力ではなく愚弄することによって自分の考え方に対する反論を抑え、自分が持っている聴衆との共通点を強調することによって、自分をユーモアと人間味があり好かれるように見せようとする。洗脳者はまた、健全な議論の印象や自己批判でさえ導入する(例えば追従者を壇上で議論させる)が、実際に発せられるメッセージは、たとえ洗脳者が逆のことを言っているように見えても常に同じである(20)。洗脳者はまた、単一の目的を持っているという自信を見せることによってカリスマ性を高め、曖昧に見せないように十分注意する。これらすべてにおいて、メディアヘの接触の規制を確立し、人々を議論に参加させ、自分の考えが正当なばかりでなく全く当然のものと尊重されているという権威を信じさせることによって、自分の根拠が周知されることを目指す。
ヒトの脳は変化を見つけ出したり、自分の蓄積された経験と現在受けている情報との不一致を検出するように調整されている。感化の専門家は、それを利用して自分自身を新しく、ユニークかつ異なった者として提示することで注意を引こうとする。彼らが押し付けたいと思う概念と標的の脳を現在占めているものとのギャップが大き過ぎると、新しい概念が受け入れられる可能性が低下するのが欠点である。これに対して、小さな一歩は受け入れやすい(小さな一歩を十分積み重ねることで、尊敬すべき中産階級の市民を冷血の殺人者にすることもできる)。標的の聴衆を知ることはまた、表現法を確立するのに役立つ。洗脳者は、ストレスと変化に対する脳の反応を利用するとともに、既存の社会的圧力を自分の利益のために利用する。自分が選んだ外集団に、利己主義、欺瞞、堕落、疾患、大規模な疫病など、社会的に容認されず集団にとって脅威的な特徴を結びつけることによって、脅威の感覚を強化するとともに、彼ら自身は利己的ではなく、不快でもなく、非道な地球上の疫病でもないことを確実にする(21)。これらはすべて集団にも個人にもあてはまり、状況によっては、潜在的な方法は素晴らしいものに見える。

同書P303-305より。
引用文が示すように、洗脳者は相手を感化するために相手に受け入れられやすい人格を演じようとすることがあります。
その際、洗脳者がどういう人格を演じるかということを知ることは、感化技術に対する警戒心を鍛錬するのに役立つというものでしょう。

立ち止まって考える−感化への抵抗手段

われわれが感化の試みに抵抗する方法の多くは、立ち止まって考えることを伴う(第十章参照)。批判的に考えること、懐疑的であること、とユーモア、それらはいずれも立ち止まって考える反応の例である。批判的思考と懐疑的であることはメッセージを分析し、それが論じている論点、情緒的言語の使用、実際の表現の正確性をチェックすることになる。それらはまた、メッセージの源の権威と動機を問うことでもある。ユーモアは、議論よりも感情を強調することによって権威に挑戦するものでもある。
立ち止まって考えるように反応するためには、われわれ個々人が生涯を通して記憶の中の事実関係にとらわれつつも、ジョージ・スタイナーが「具体的事実からなる現実的日常世界」(3)と呼ぶ進行中の経験に「根ざした状態にある」ことが必要である。これら二つの要素の調和は時間とともに変化する。

同書P328より。
代表的な感化への抵抗手段。それは、立ち止まって考える、つまり、思考停止しないこと。
しかしながら、それは簡単なことではありません。罪意識や恐怖感は容易に大抵の人を思考停止させます。
相手の罪意識に訴えかけるような言葉がネット上の「ディベート」で多用されていることからも分かるように。
もっとも、そういう言葉が多用されすぎたせいで、その手の「脅迫」にタフになっている人も多いですが。


以上、国民洗脳装置としての靖国 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかを書く際にスキャンしておいて使わなかった部分を利用してみたエントリー。