願望による妄想力で自らを「扇動」する人々

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070905ic04.htm
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070906it12.htm
電車内で拳銃型ライターで遊んだ高校生が下車後に酔漢に暴行されたこの事件。初期の報道に対し「『高校生が言うことを聞かないから殴った』という誤解に基づいて」暴行した酔漢を擁護する意見が多数寄せられ、その誤解を解くために、より状況を詳細に説明した続報がなされました。
で、現在、ネットにおいて、この事件の初期の報道に「扇動」されてしまった人が、続報により「扇動」されてしまったこと自体を批判されていることに対し、「そういう風に批判している人々も続報に扇動されているのではないか」とか逆ギレしていたりする風景が見られることがあったりするわけです。
そこで、そういう風に逆ギレしている人に対して、一言いっておこうかと。


「そういう風に批判している人々も続報に扇動されている」なんてことはありません。


この事件は、電車の中という「公共空間」で拳銃の玩具を振り回すようなオコサマな高校生と酔っ払いが下車後に揉めて、酔っ払いが高校生に暴力をふるって怪我をさせ、現行犯で逮捕された事件です。
こういう事件の内容は初期の報道からでも読み取れることです。
当然、暴力をふるって怪我をさせた酔っ払いの方が悪い事件。
それを擁護すべきと勘違いしたのは、初期の報道に「扇動」されてしまった人が勝手に『高校生が言うことを聞かないから殴った』という誤解をしただけです。報道の説明不足な部分を願望で補って「英雄譚」を作り出し、勝手にその妄想に基づいて行動しただけ。「報道に扇動された」というより「妄想で自らを『扇動』した」状態。*1
「扇動」された原因は「欠けている情報を願望による妄想力で補う人格」にあり、「扇動」されなかった人はそういうようなことはなかったというだけの話で、「そういう風に批判している人々も続報に扇動されている」なんてことにはなりようがありません。


とりあえず、「扇動」されてしまった人は「人は見たいようにしか見ない」と揶揄されるような「人の愚かさ」を克服できていないわけで、詐欺に注意した方が良いと思います。
対象の欲望や願望につけこんで誘導するのは詐欺師の常套手段ですから。
今回の経験を教訓とし、自らの判断が欲望や願望により補われた情報に基づいていないか自己批判する習慣を身につけることは騙されやすさの克服に役立つのではないかと思います。

おまけ:暴力が相手の行動に対して与える影響で、酔漢の行動を正当化できるか?

人間の心理的カニズムからいって、「信頼関係」の上での暴力は行動修正に使えますし、「信頼関係」が無くても相手が暴力に対して恐怖を持ち恐怖に屈するのであれば暴力で相手の行動を支配できます。継続的に暴力による支配を続けられるのであれば、という条件付きで。
この事件においては、被害者と加害者は「信頼関係」を築けたわけもなく、継続的に暴力による支配を続けられる環境にもありませんので、そのいずれにも該当しません。つまり、この事件における暴力は対象の行動を正す効果はあまり期待できません。
この事件における暴力は「気に入らない奴をとっちめてやれ」的な感情を満たす以外には役立たないでしょう。


私は暴力が持つ効果を否定しませんが、暴力で相手の行動を支配しようとすることも「気に入らない奴をとっちめてやれ」的な感情も醜悪だと思います。

*1:「正義感」の暴走に日比谷焼討の暴徒の系譜を見た、とかなんとか。そういった感じ。