望まない実名の公開は、人が仮名に求めるものを踏みにじる行為

名乗りへの権利 - 恐妻家の献立表
t-hirosakaさんのこの記事は、人がペンネームやハンドルネームといった仮名に求めるもの(あるいは託すもの)が様々であることを示す、非常に示唆に富んでいる記事と思いました。

人が仮名に求めるもの

人が仮名に求めるものは「暮らしの安全」だけではありません。
仮名ゆえのしがらみのない気さくな付き合いとか、自らの肩書きの「影響力」から離れて気楽に表現を行える環境とか、本業と副業との責任の分散とか色々あります。
本人が望まないのに実名を明かすということは、人が仮名に求めるそういうものを破壊する行為です。
ゆえに仮に実名を明かしても「暮らしの安全」が保たれるとしても、実名を明かすことには問題があるわけです。
本人の望まない実名に関する情報の公開の一番駄目なところは、人が仮名に求めるものを踏みにじる行為であることであって、「暮らしの安全」は人が仮名に求めるものの一部に過ぎません。
よって、言論での争いは言論自体でケリをつけるべし - 模型とかキャラ弁とか歴史とかの「暮らしの安全を願う人々が論争相手のプライバシー情報を漏らすような人を批判・非難するのは妥当な判断というものでしょう」という記述は不適切であり、「人が仮名に求めるものを大切に思う人々が、仮名でいることを望む相手の実名に関する情報を漏らすような人を批判・非難するのは妥当な判断というものでしょう」とした方が適切ということになります。

個人的感情

その気になれば身元をたどれるような情報を本人が公開していたことをもって、仮名でいることを望む相手の実名に関する情報を漏らすことを免罪しようとするかのような言葉を私は不快に思います。
「性犯罪被害者にも隙があった」的な言葉と共通する醜悪さを感じるからです。

他の論点について

  • 仮名でありながら、自らの「影響力」を上げるための「権威」として使える個人情報を公開することの正当性
  • 知名度の「影響力」による実名公開のメリット・デメリット

これらについて論争するのは良いと思いますが、そういう面で相手の行動が気に入らないからといって、仮名でいることを望む相手の実名に関する情報を漏らすのは只の暴力と思います。