「中立」というポジションの魅力

「中立」な人の発言の特徴

  • 「よく分からないけど、どっちもどっち(どっちもバカ)」系の発言
  • 「つまらないことに熱くなってバカじゃないの」系の発言
  • 「どちらからも責められてつらい立場です」系の発言

上記のような発言は、歴史修正主義論争などにおいて史実派(肯定派)と否定派を「どっちもどっち」といってしまうような「中立」な人の心理をよく示していると思われる。

「よく分からないけど、どっちもどっち(どっちもバカ)」系の発言

「よく分からない」、つまり両者の意見の妥当性を判断するだけの知識もないのに関わらず、「どっちもどっち」と両方を見下している発言。両方の発言に価値を認めないので「どっちにも一理有る」というような表現にはならない。

「つまらないことに熱くなってバカじゃないの」系の発言

論争の対象になっていることは「つまらないこと」であり、それについて熱心に論じることは愚かであるとし、両方を見下している発言。

「どちらからも責められてつらい立場です」系の発言

「つらい立場」と自己憐憫している発言。「責められる」ことを理不尽と認識していることを示している。

仮説

本来、中立というポジションは論争の両者の意見の妥当性を判断するだけの知識が無ければとれない。
しかし、半端な知識しか無いのを自覚しつつ「中立」というポジションで論争に言及したがる人(そして半端な知識ゆえに頓珍漢な発言をしてしまう人)がいるのは「中立」というポジションに精神的に魅力があるからではないだろうか。
「中立」な人の発言の特徴から以下のような精神的魅力があることが考えられる。

  • 「両者を評価する立場」という上位視点で言及することにより論争に必要な知識を得るのに必要なコストを殆ど払わずに論争の両者を見下すことができ、ローコストで優越感を得られる。
  • 「両者を評価する立場」で言及することにより「自らの賢明さをアピール」することができ、簡単に自己顕示欲を満たせる。
  • 「どちらからも責められてつらい立場」の自分に対する憐憫に自己陶酔できる。

「中立」の背景には「(「両者を評価する立場」という「上」の位地に自分を置くことで)お手軽に優越感を得たい」というような心理的欲求があるのかもしれない。


相手に疑問をぶつけながら相手の知識に対する敬意が無いことや、自分で調べて知識を得ようという姿勢に乏しいことについては以下のように考えられる。

  • 論争の対象になっていることを「つまらないこと」と認識しているので相手の知識に対する敬意が無い。
    • あるいは、相手の知識に敬意を持っては優越感を満たしがたいので、「つまらないこと」と認識することで相手の知識に敬意を持たない。
  • 論争の対象になっていることを「つまらないこと」と認識しているので、その知識を得るためにコストを払う意欲が無い。
    • あるいは、知識を得るためにコストを払う意欲が無いゆえに、「つまらないこと」と認識することで知識を得るためにコストを払わない自分を正当化。


というようなことを情報弱者な「普通の人々」 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかを読み直して思いました。
知識があれば史実派(肯定派)と否定派のどちらが正しいかは一目瞭然で、それに対して「中立」なんていうのは賢明であることではなく只の無定見の表明に過ぎないんですけどね。