「あたまがわるい」は何に対してかかっているのか

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080808/p1での言及に対するお返事。

2008年08月08日 D_Amon 自称中道 右も左も嫌いという中立病。そうやって右も左も見下して得られる優越感の虜。それゆえ自らの偏りを認められない。私はこういう「あたまがわるい」人が嫌いだなー。「あたまがいい」人は思想に関係なく好きですけど。

本当に「右も左も見下して」いたら「貴方がたのこれまでのネット右翼との果てしない戦いに」「敬意を表し」たりはしません。むしろ、「私はこういう『あたまがわるい』人が嫌いだなー。」とか平気で書く輩の方に、自分は「大衆」的な「優越感」の表出としてのシニシズムを感じますがね。遠いドイツの世界史的悲劇も、こうして、「俺はあたまがいい」と思いたい馬鹿の知的虚栄の道具に堕してしまったということなんでしょうね。

質問1

何か勘違いしているようですが、私が使った「あたまがわるい」は「それゆえ自らの偏りを認められない」という行動にかかっているわけで、知識や知能にかかっているわけではありません。
ゆえに「遠いドイツの世界史的悲劇も、こうして、「俺はあたまがいい」と思いたい馬鹿の知的虚栄の道具に堕してしまったということ」にはなりえません。
私のこういう言葉が知識や知能ではなく行動にかかっていることは下記のブックマークコメントからも読み取れると思います。

「分からない」というのは、知能や知識の問題で理解できないのではなく、理解することを拒否するという心理の問題であり、その心理に本人のバイアスが表れてしまったという話。要はサヨクが気に入らないんでしょ、と

http://b.hatena.ne.jp/D_Amon/20080808#bookmark-9577536

ここでも「知能や知識」ではなく「理解することを拒否するという心理」を問題にしています。私はHALTAN氏の知能や知識の程度を見下しているわけではなく、理解に必要な知能や知識は十分にあるという評価のもと、理解することを拒否している心理を問題にしているわけです。

わからないわからないと理解することを拒否することにより自らの過ちを認めなくて済むようにするというバカ最強メソッドは理解させようとする努力を衒学的と非難することでさらに無敵になるのでした。

http://b.hatena.ne.jp/D_Amon/20080807#bookmark-9567090

ここでのバカという言葉も知能や知識にかかっているわけではなく、理解することを拒否するという行動にかかっているわけです。
私は一貫してそういう行動を問題にしており、「あたまがわるい」という評価はそういう行動に対してのものです。
対して「馬鹿の知的虚栄の道具」という言葉の馬鹿は知能的要素にかかっていると思いますが、どうなのでしょう。(1-1)
それと「「俺はあたまがいい」と思いたい馬鹿」というのは誰のことを指しているのでしょうか。(1-2)
私はそういう行動をとらない「あたまがいい」人は思想に関係なく好きとは述べましたけどね。
(HALTAN氏自身が他者の言葉に対する返答として自ら「あたまがわるい」と評しているのは置いときます)

質問2

「敬意を表し」ていることは見下していない根拠にはなりません。
何故ならば相手を見下すことと、その相手にある面においては敬意を払うことは矛盾しませんから。「あいつは本当にバカだけど○○なのは凄いよね」という感じで。
そこで質問。

本当に「右も左も見下して」いたら

の「本当に」の意図はどういうものでしょうか。(2)
「基本的に見下しているけど、ある面においては敬意を払っているので、本当に見下しているわけではない」というようなものでしたら、それは単なるエクスキューズに過ぎず、見下していることと、ある面において敬意を払うことと、本当に見下しているわけではない、ということは矛盾無く成立しますよ。

質問3

私がHALTAN氏は右も左も見下しているという判断をした根拠は言葉に対する意図と解釈と想像力の問題ですので、参考までに以下の質問に答えていただけないでしょうか。


左が嫌いという人が左を批判する目的のエントリーで「左の旦那様」という言葉を用いるのをどう解釈しますか?(3-1)
右が嫌いという人が右を批判する目的のエントリーで「国士様」という言葉を用いるのをどう解釈しますか?(3-2)


どうにも「左の旦那様」というHALTAN氏が用いているカテゴリータグがひっかかるんですよね。
私にはそういうのが「嫌いなものを貶めたいという感情に基づいた呆れや軽蔑といった見下しの感情がこめられた皮肉表現」に見えるのです。
もちろん、それは私の方に原因があり、私が皮肉に対して「知覚過敏」になっているせいかもしれませんが、ネット上で国士様という言葉がどういう意味で使われているかということを考えれば、そういう風に解釈することは別段的外れではないのではと思います。


繰り返しになりますが、私は知識や知能に対してではなく行動に対して「あたまがわるい」という評価をしています。
相手にきちんと物事を理解するだけの知能や知識があることがそういう評価の前提になっています。
知識や知能に問題があることをもって頭が悪いと見下すのは私の信条に反しますので、もしその前提が間違っていた場合、私は謝罪することになります。(仮に相手が論争の題材に対して無知な場合、無知であることではなく「知ったかぶり」や「無知の無知」といった行動が問題になるわけです)
理解できるのに理解することを心理的に拒否しているというわけではなく、本当に理解するだけの知識や知能を欠いている相手に対して言いがかりをつけてしまったことになるわけですから。