貧困者自立支援と悪徳業者と行政と

ケースA 「もやい」

《もやい》の活動は、住所不定状態にある人たちに対するアパート入居時の連帯保証人提供と、生活困窮者に対する生活相談を二本柱としている。連帯保証人提供は、六年半で一三〇〇世帯を超えた。毎年二〇〇世帯のペースで増えている。対象は、野宿者を始めとする広義のホームレス状態にある人たちで、野宿者が七割程度、DV(ドメスティック・バイオレンス)被害を受けて居所を逃げ出してきた人たちが二割程度、残り一割を精神障害者外国人労働者、路上にはいないがアパートもない「ネットカフェ難民」などが占めている。
当初、この活動は多くの人たちから心配とも批判とも取れる忠告を受けた。ホームレス状態にある人たちの連帯保証人になどなったら、お金がいくらあっても足りない。早晩、活動は破産するだろう、と。「パンドラの箱を開けた」とも言われた。しかし、実際に滞納などによる金銭的トラブルになるのは約五%前後。活動は今でも継続して連帯保証人を提供している。
約九五%の人たちが、少なくとも連帯保証人に金銭的な負担をかけずにアパート生活を継続しているという事実は、もっと広く知られていい。それ自体が「ホームレスの人たちはアパート生活などできない/したくない」という広く浸透した偏見に対する反証となっているからだ。
むしろ私たちの記憶に残っているのは、「三〇年ぶりに畳の上で思う存分手足を伸ばして寝ることができた」「自分で作った味噌汁を飲んだときに、しみじみ「帰ってきた」と思った」という声である。長く「好きでやっている」と自己責任論で片づけられてきた野宿者も、アパートに入れさえすれば、そのほとんどが連帯保証人の世話になどならず、アパート生活を維持できる。だとすれば、彼/彼女らをアパート生活から遠ざけているものは何なのか。ここに至って無知に基づく自己責任論は破綻し、社会的・構造的な諸要因へと目が向かう。

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書 新赤版 1124)P126-127より。

ケースB 悪徳業者

(引用者注:以下は「ホームレスビジネス」の実例に続く文)
この場合、入手した野宿者の個人情報によって健康保険証などを作り、消費者金融なとがら借金を繰り返す。貸金業者ブラックリストから逃れるため、養子縁組をしては野宿者の名字を変えては別の人のようにして借金を重ねていたらしい。
このように、「仕事があるよ」「アパートに入れるよ」と声をかけ、野宿者を使って荒稼ぎをする「裏ビジネス」が激増している。かつて、日雇労働者をヤミ手配師ヤミ金融屋が利用してきたように、いま野宿者が様々な裏稼業の「金を生むネタ」として使われているのである。
特に、野宿者を使った「生活保護ピンハネ)ビジネス」は全国で頻繁に行なわれている。具体的には、「業者」(「ボランティア」とか「支援団体」を名乗っている!)が夜回りをして「アパートに入って生活保護を受けられるよ」と野宿者をスカウトし、アパートに入居させ、法定限度一杯の家賃(東京で5万3700円、大阪4万2000円)で生活保護を申請する。アパートといっても、元は飯場のような建物に二段ベッド、そしてカーテンで仕切られているだけの個室という場合も多い。申請が通ると、役所から家賃プラス8万円程度の生活費が月々おりる。業者は、アパートに集めた元野宿者から月々に受給する生活費をピンハネし、本人には月に1万円程度の「お小遣い」しか渡さないようにする。
元野宿者としては、野宿していたところを、まがりなりにも「部屋に往めるようにしてくれた」という恩を感じているので文句が言えない。文句を言ったら、追い出されてまた野宿になるのではないかという恐怖がある。そもそも、「業者」が元野宿者に恫喝をかけていたりする。そうして生活保護費が、本人が逃げ出すかあるいは死ぬまでピンハネされ続ける。家賃が毎月4、5万円入り、さらに敷金礼金も行政から20万円以上も出るので本当のぼろもうけである。夜回りで聞き取った話には次のようなものがある。


・ミナミでは、生活保護を勧める不審な団体かおるらしい。3、4人で制服を着て地下街に週2、3回、夜8時半から9時の間にやってくる。アパートは奈良で、一人はそこから逃げ出してきたが、ガリガリにやせていたという。
生活保護を勧める不審な団体に動物園前で声をかけられ、支部のマンションでひと晩泊り、飯を食べた。しかし、行き先が福岡と聞いて逃げてきた。同様の話は天王寺近辺でも多くの人が聞いて知っている。
・4、5日前、男女2人組に「生活保護を受けられるよ。体が悪くなくても1カ月入院してからアパートに入るようにする」と声をかけられる。
・「生活保護業者こ声をかけられ生野区の4畳半のアパートに入る。権利金が50万円と言われ、丸々返却を迫られた。食事は350円が朝晩2回、自分の小遣いは月に4000円のみ。あまりにひどいので逃げてきた」という話。


不思議なのは、われわれ支援者が「現状の行政の対応ではこの人の生活保護は難しい」と判断せざるをえないような比較的若くて体も悪くない野宿者が、これらの「業者」の手にかかるとあっさり生活保護が下りてしまうことである。野宿者をスカウトして入院させる業者の話をしたが、悪徳業者と医師、あるいは福祉事務所の間に裏の関係でもあるのではないかと疑いたくもなる。
こうした「ビジネス」を展開する、都内に本部をおくあるNPO法人は、全国に128の宿泊施設を持ち、入居者数は7278名の規模を持つ(2005年)。このNPOが報告した事業報告書によると、2004年度の事業収入は43億円。この団休がさいたま市の区役所で生活保護費を徴収する光景が地元市民によって目撃されている。支給日に小型バスで入居者たちが連れられ、スーツを着たNPO職員の指示で役所内のフロアにずらりと整列させられる。「ひとりひとり、茶封筒に入った現金を役所から受け取るとすぐバスに押し込められ、NPO職員に一斉に回収される。しかも、この職員が乱暴な言葉道いでどなるので、私はビックリして役所に「あれは何ですか」と尋ねたほど」(「週刊朝日」2005年7月)。
こうした団体には、北海道から沖縄まで全国展開している組織もある。そのひとつでは、大阪の日本橋で野宿者に声をかけ、最初は福岡に連れて行き、最終的に那覇市のアパートに入居させた。大部屋で生活させ、小遣いは月に数千円という極悪非道な方法だったので、ひとりが必死にお金をためて大阪に逃げ帰ってきた(2007年)。先の夜回りで聞いた話に「行き先が福岡と聞いて逃げてきた」とあったが、同一団体である可能性が高い。
ぼくが夜回りしている大阪市日本橋では、「生活保護を受けさせる」と連れ出され、兵庫県西宮市のアパートに入れられた人がいた(2003年)。1カ月間に1万2000円しか渡されなかったが、最近は全く金を渡されなくなったので逃げ出して日本橋でまた野宿している、その建物にはまだ10人ぐらいいるはずだ、と言っていた(その人は体調も悪く、釜ヶ崎であらためて生活保護を受けることになった)。
あまりに問題なので、野宿者ネットワークのメンバーで西宮市の福祉事務所に話を聞きに行った。あらかじめ電話を入れて福祉事務所に行くと、2人の職員が待ち受けていた。その職員がぼくたちに言うには、「わたしどもは、確かに本人さんに生活保護費を渡している。そのあと、本人さんがその金を誰に渡そうと、わたしどもの関知するところではない」というお答えだった。
もちろん、こちらは「それはおかしい」といろいろ話をしたが(「放っておいたら、おたくの市の福祉がどんどん食い物にされるぞ!」)、最後まで福祉事務所の答えは変わらなかった。

ルポ最底辺―不安定就労と野宿 (ちくま新書 673)P151-154より。

ケースC 行政

(引用者注:以下は行政の実力行使による野宿者の追放に関する記述に続く文)
そもそも、公園などから追い出されても、野宿者は他の公園や路上で寝るしかないのだから、何の問題の解決にもなっていない。引っ越しをさせられ、新たな場所で生活をやり直さなくてはならない野宿者が苦しいだけである。行政は「不法占拠」を理由に野宿者を排除しているが、「不法」を言う前に、行政自身が憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」あるいは生活保護法を遵守して、「究極の貧困」である野宿者に最低限度の生活保障を行なうべきではないだろうか。

自立支援センターの限界

排除にあたっての行政の基本姿勢は「野宿者は公園で生活するのをやめて、シェルターか自立支援センターに入りなさい」というものだ。全国の幾つかの公園にできたシェルターは、べッドひとつ分+αの大きさの部屋に24時間滞在することができる。しかし、その多くは食事は白飯―回だけ、そして利用期間も数カ月と限られている。したがって、なんらかの事情がない限り、シェルターに入ろうとする人はあまりいない。「自立支援センター」は、野宿者問題に対する行政の「切り札」と言うべき施設である(2006年度で全国22ヵ所、うち大阪市内で5ヵ所が運営。総定員2060人)。入所者はそこで原則3ヵ月(大阪の場合。東京では2ヵ月、北九州では6ヵ月など)生活しながらハローワークに通い、仕事を見つけていく。しかし、自立支援センターの多くは「2段ベッドの10人部屋」という居住状態で、設備やプライバシー確保の面で利用者に生活上のストレスを与えていると指摘されている。また、自立支援センターでは禁酒を強いられ、外出規制や門限もある。
しかし、アルコール依存などの病気があるのならともかく、なぜ一般に禁酒を強いられ、共同生活や外出規制、門限などの行動の制約がされるのだろうか。一般の生活困窮者に対して、「生活保護」ではなくこうした施設への入所を迫るようなことをすれば、重大な人権侵害として問題になるだろう。これらの規則は、自立支援センターが「野宿者専用の矯正施設」の面を持つことを示している。
さらに、最大6ヵ月(原則は3ヵ月)の期限内に自立支援センターから仕事に就いた人(「就労自立」)の割合は、大阪市では約35%(2005年)、東京では累計51%たった。つまり、入所したかなりの人が行き場がないまま野宿に戻る。また、就労できた場合の内訳を見ると、正規雇用ではなく臨時雇いの清掃員やガードマンが多い。大阪労働局の調査では、就職したものの「給与が少なくて自立できない」などの理由で離職するケースが少なくないことが判明している。もちろん、自立支援センターに入ってうまく就職できた人も大勢いるか、それは当たり前だが「若くて使える資格のある人」に集中する。野宿者の多くがそうである「五十代で体のどこかが悪い」人については、自立支援センターはあまり「使えない」。
確かにこの数年、全国にシェルターと自立支援センターが次々と作られた。だが、そこに入った人のかなりが「仕事が見つからず(あるいは離職して)野宿生活に戻った」ことは明らかな事実である。その意味で、「自立支援センター」は生活保障というより「賭け」(バクチ)に近い。下手をすると、仕事が見つからずに路上に戻り、しかも元の場所にテントはもう建てられず、という「最悪」の状態になりかねないからだ(入所のとき「この場所にテントを二度と建てません」という誓約書をしばしば書かされる)。それを考えて、多くの野宿者はシェルターや自立支援センターという「バクチ」を敬遠して、テントやダンボールハウスの生活を続ける。
強制排除の際、行政は「テントを捨てて自立支援センターに入所して自立せよ」と迫り、多くのマスコミも、自立支援センターに入らない野宿者は「自立の意志がない」「自由がない施設を敬遠している」と報道する(普通、「自由がない施設」は誰でも敬遠すると思うが……)。それについて、長居公園で野宿していた一人が行政代執行の際の「弁明書」でこう言っている。
「マスコミ報道などでは、私たちは「代替住居として自立支援センター入所を勧めてきたのに応じていない」などと、いかにも我儘で、好き好んで野宿生活を続けているかのように書き立てられています。しかし、これは全くの誤りです。私は3年前まで調理師として働いていましたが、失業が原因で野宿生活を始めました。万策尽き果てて、飯を食うために止むを得ず、生まれて始めてゴミ箱に手を入れようとしたとき、私がどれほど躊躇したか、あなた方に分かりますか。生きるために必死だったからこそ、それができたのです。決して好き好んでできることではありません。それでも何とか、廃品回収の仕事をしながら食いつないできました」「今、私は自立しています。自力で稼いでいます。アパートを借りて家賃を払えるほど稼いではいないけれども、公園の片隅で野宿しながらであれば、何とか生活できています。野宿生活を始めてから、いろいろと苦労して試行錯誤しつつ、地域の人だちと関わりあいながら、今の生活を築いてきました。どこかの銀行や空港会社や娯楽施設などとは違い、行政の手助けは一切なしで生活してきました」「それなのに、大阪市は「あなたの自立してきた方法は間違いだ。公園を出て自立支援センターに入りなさい。」とでも言いたげな態度を貫いています。バカにされているような気がします。大阪市が命じるままに自立支援センターに入所して「自立」に向けて努力させられることは、私から見れば、これまでの私自身の自助努力の歴史を否定することに他ならないのです。私の生き様を、私自身が否定しなければならない。人間として、これほどまでに悲しいことがありますか」(「Sさんの弁明書」2007年1月10日)
野宿者問題についての国や行政の対応は、国際的に見ても極めて不十分である。対策も選択肢も不十分なまま「施設はあるのだからそこに入れ」と言われても困る、こっちは生活がかかっているんだ、というのが野宿者の本音だろう。そもそも、暴力的に追い出さなくても、就労対策や生活保護が本格的になされれば野宿者は自然に滅っていく。ほとんどの野宿者は「仕事さえあればこんなところには寝ていない」と言っているからだ。

ルポ最底辺―不安定就労と野宿 (ちくま新書 673)P168-172より。

自立支援したホームレスが再びホームレスに戻るのは支援の方法に問題があるのでは?

「もやい」の場合、広義のホームレス状態にある人をアパート入居できるように支援した結果、「約九五%の人たちが、少なくとも連帯保証人に金銭的な負担をかけずにアパート生活を継続している」
悪徳業者の場合、あまりに非道い待遇に逃げ出して再び野宿生活に戻る場合もある。
行政の場合、あれこれ口実を設けて別の場所に追放するだけで問題の解決にはなっていない。まあ、行政の「自立支援」が名ばかりで実質的にはあまり役立っていないということはリテラシー大好きっ子な皆さんは御存知でしょうけど。


今回、こういうことを書いたのははてなブックマーク - ホームレス論に正義感ぶって粘着してる奴が最も人を殺しそう。 - Automatons Hacking Guideでのid:kajuntk氏のブックマークコメントに、氏のホームレス蔑視の根拠にはホームレスの自立支援をしてもまたホームレスに戻ってきてしまうことに対する無力感があるというようなことが書いてあったからです。今ではコメントが書きかえられてしまって痕跡も残ってませんので、どうでもいいといえばどうでもいいのですが、仮にそれが事実だとしてもそれだけではホームレス蔑視の根拠にはならないということは書いておこうと思います。*1
さて、「もやい」の活動の場合、広義のホームレス状態にある人を支援した結果、95%の人がアパート生活を継続できるわけです。
それに対し、ある人はホームレスの自立支援をしても殆どの人が再びホームレスに戻ってきてしまうと。
仮にこの主張を真だとしても、これだけではホームレスに戻ってしまうのはホームレスの方に原因があるとはいえません。原因は自立支援の方法自体にあるのかもしれませんから。
例えば、悪徳業者の「自立支援」の場合、待遇の非道さに逃げ出す人がいたりするわけですが、そういう風に「こんな条件ならホームレスに戻った方がマシ」と判断するような境遇に放り込むことを「自立支援」としていたのかもしれません。
別に悪徳業者でなくても、暴走した独善を他者に押しつけておいて、それでいて思い通りにならないと逆切れするような人がこの世にいても不思議ではないですから。
あるいは、実際にホームレスに問題があったとして、その人は「もやい」での5%を偶々連続で引き当て続けたのかしれません。天文学的に小さい可能性ですけどね。
念のために書いておきますが、私は、自立支援をしてもホームレスに戻ってしまう原因が仮にホームレスの方にあるとしても、それをホームレス蔑視の根拠にするのは間違いだと思います。

*1:そもそも「我が闘争」臭の強い芸人の主張を信じる理由はどこにもない。「我が闘争」には主張の説得力を上げるために自らの境遇を偽っている部分が多数あることは有名なこと(cf.アドルフ・ヒトラー―「独裁者」出現の歴史的背景 (中公新書)。いつでも釣り宣言逃亡ができる劇場スタイルをとる人の話が実はそういうものであったとしても私は全く驚かない。