ベトナム戦争での韓国軍

この記事は、ある意味、ベトナム戦争における混血児は南京事件などでの日本軍の性暴力を否定しません - 模型とかキャラ弁とか歴史とか南京事件における日本軍の性暴力による妊娠は当時から知られていた - 模型とかキャラ弁とか歴史とかの続きにあたる記事です。


ベトナム戦争において、韓国は米軍に次ぐ規模の派兵を行いました。
「ベトナム戦争を考える」(遠藤聡、明石書店)によれば、その人数は最大時で五万人規模にもなり、その期間は八年四カ月にもおよび、のべで三二万人が派兵されました。
その韓国軍がベトナムで「第二のミライ(第二のソンミ村虐殺)」と呼ばれるような虐殺などの残虐行為を行ったことも知られています。
それでは、何故、韓国はそれほどの規模の派兵を行ったのでしょうか。韓国軍の残虐行為の原因はなんだったのでしょうか。


以下、残虐行為に関する記述があることから「続きを読む」記法で。


何故、韓国はベトナムに派兵したのか?

それでは、韓国政府はどのような理由や動機から、これほどまでの派兵を行なったのであろうか。その第一はアメリカからの経済援助の獲得があった。韓国はベトナム共和国と同盟関係を結んでいたわけでもなく、またSEATOの一員でもなかった。さらに米韓相互防衛条約の適用範囲にベトナムが含まれていたわけでもない。にもかかわらず韓国がベトナム派兵に踏み切ったのは、アメリカの韓国に対する軍事援助・経済援助が減少傾向をたどっていたことが背景にあった。朴正煕政権は、アメリカヘの軍事協力をすることによって、「派兵の見返り」としての経済援助と「ベトナム特需」を期待したのである。これに関連して第二に、朴政権の正当性を維持するために、アメリカからの「支持」と「開発」による経済成長が急務であったという事情があった。一九六一年五月に軍事クーデターにより政権を掌握した朴大統領にとって、経済成長によって軍事政権の正当性を確保する必要性に迫られていたのである。
第三には、アメリカからの軍事援助によって、韓国の安全保障を確立させるという思惑があった。北緯三八度線を境に北朝鮮と対峙している韓国にとって、駐留米軍の継続的な駐屯と韓国軍の近代化が必須となっていた。すなわち、在韓米軍がベトナムに派遣される代わりに韓国軍がベトナムに派兵され、韓国における米軍のプレゼンスを維持したまま、朝鮮半島有事に向けた韓国軍の近代化・強化を行なうというものである。このことは朴軍事政権の強化にもつながるものであった。これに関連して第四に、韓国に共産主義への憎悪があったことは事実であろう。日本の植民地支配から解放されるや、冷戦構造の論理により南北に分断された朝鮮半島では、朝鮮戦争で「同胞」による激しい武力対決を経験したのち、祖国の分断が固定化された。北朝鮮の脅威に対抗するためにも、韓国の存在意義を示すうえでも、国内における反共教育や反共政策が徹底されていた。このことは、韓国の置かれた状況とベトナムの情勢を同一視することにもなり、ベトナムの戦場における民間人虐殺をも含む韓国兵の残虐行為につながったことは悲劇といわざるを得ない。さらに、韓国のベトナム派兵が、ベトナムの戦争を「民族解放闘争」と位置づけていた北朝鮮の韓国に対する対決姿勢を大きくしていったことも付言しなければならないであろう。

ベトナム戦争を考える」P157-158より。
韓国は同盟関係や条約関係的には派兵する必要はありませんでした。
韓国がベトナムに派兵した主な理由は、

  • アメリカの韓国に対する軍事援助・経済援助が減少傾向をたどっていたことを背景に
    • アメリカに軍事協力することの見返りに経済援助と軍事援助と支持を得ること
    • 参戦による戦争特需に対する期待
      • 経済援助と特需を元手にした経済成長
        • 経済成長による(軍事クーデターから間もない)軍事政権の正当性確保
      • 軍事援助による安全保障の確立
        • 在韓米軍の代わりに韓国軍を派兵することで、韓国での米軍のプレゼンスを維持できる
          • 派兵により韓国軍の近代化・強化を行うこともできる
            • 韓国軍の近代化・強化は軍事政権の強化にもなる

ということになります。
経済成長、北朝鮮の脅威に対抗するための軍事力強化と米軍のプレゼンスの維持、それらによる政権基盤の強化。それらはどれも軍事クーデターから間もない反共軍事独裁政権であった当事の韓国にとって重要なものでした。
そして、当事の韓国が置かれた状況による必然的な反共はベトナムでの韓国軍の残虐行為の原因の一つともなりました。
国家が南北に分断されていることによる共産主義勢力に対する憎悪は、同様に南北に分断されているベトナムにおいて北ベトナムやその同調者に対する憎悪ともなったのです。

虐殺と混血児

韓国軍の残虐行為には元韓国兵からの証言もあります。

Fさんはつぎのように語った。「戦友が殺された地域で皆殺しをやった。わが部隊がそうだった。ベトコンの捕虜も殺した。子どもだって抹殺した。子どもの首を切り落して,腰の横につけた(インタビューの場に居合わせた人たちが,そんな話を外国人にしないほうがよい,と言葉をはさんだので,Fさんはちょっとひるんだが,言葉をつづけた)。女の乳房をナイフで切り落した。血の赤に乳の白がまざった。別の部隊では,もっとひどいこともあったようだ。なぜ皆殺しにするかって?夕食のとき愉快に話し合っていた戦友が,夜に待ち伏せ戦に出て,やられた。背後からやられたらしく,発見された時は,両腕,両足を刀で切り落され,穴の中に投げ棄てられていた。そのとき感情が爆発した。戦友が殺されたとき食物は喉を通らないし,笑う人などいないだろう」。「ベトナム人は韓国人に対して非常な恨みをもっていると私は聞いたことがある。あそこでセックスしたり,結婚したりして子どもが生まれた。戦争が終わって,韓国に行きたいというベトナム人が大勢いたが,韓国は受け入れなかった。韓国政府の態度は許せない。なぜかっていうと,自分でばらまいた種は,責任もつのが当り前ではないか!」

「ベトナム戦争の記録」(大月書店)P173-174より。
戦友を惨たらしく殺されたことに対する強い報復感情も韓国軍の残虐行為の一因であることを示す証言だと思います。
背景事情により植えつけられた憎悪と戦友の殺害に対する報復感情。そういう憎悪や報復感情が戦場での残虐行為の原因となることは一つの類型というものでしょう。
そして、そのような憎悪や報復感情は現代の日本でも身近なものではないかと思います。
共産主義者を蔑称としてアカと呼び、アカの人権軽視を当然視するような人、日本は在日に陰から支配され搾取されていると思い込んでいて在日に対する報復感情に燃えている人。
そういう人々の心理には当事の韓国兵の共産主義者に対する憎悪や非人間視や報復感情に近しいところがあるというものではないでしょうか。
虐殺は人間が置かれた状況による心理から引き起こされるものであり、そこに民族性は関係ありません。山本七平に見られるような虐殺の原因を民族性に帰すような考えは間違っているというものです。
人間の残虐行為を防ぎたいのであれば、その手段の一つは自らの中にもあるそういう人間の性質を直視し、それを抑え込む方法を考案することなのだと思います。残虐行為の原因を民族性に帰し自らと切り離すような考えは残虐行為を防ぐところから程遠いというものです。


それと、この証言についてですが、伝聞であることを差し引く必要がありますが、この証言はベトナムの韓国系混血児(ライタイハン)の母親が韓国兵の現地妻であることを裏づけるものでもあると思います。性暴力による関係で「戦争が終わって,韓国に行きたいというベトナム人が大勢いた」というようなことがありうるでしょうか。この証言は混血児の誕生が親密な長期的関係の結果であることを示しているというものでしょう。
そして、この証言を信じるかぎりにおいて、混血児問題でまず責められるべきなのは、現地妻と混血児の入国を拒んだ当時の韓国政府というものです。


この証言にあるようなベトナム人の韓国人に対する恨みですが、こういう証言もあります。

Fさんのように「ベトナム人は韓国人に対して非常な恨みをもっていると私は聞いたことがある」と言いきった人は少ない。元兵士の多くは,ベトナム民衆が韓国兵を歓迎していた,と述べている。その代表的な意見として,将校のIさんの話を紹介しよう。
ベトナム南ベトナム政権)はなぜ敗北してしまったか。国民精神が腐っていた。貧しい人はますます貧しく,豊かな人はますます豊かになった。(政府支配地域の)村長は司法権まで握っていて,村の人を逮捕することさえできた。農民は上の人に搾取されていた。稲は年に3回収穫できたが,それでも搾取されていたので農民は貧しかった。農民たちは,情報を韓国軍やアメリカ軍にも,またベトコンにも売る二重スパイだった。これが生きのびる彼らの方法だった。民衆は誰が政権を握るか,南かそれとも北か,には関心がなかった。早く戦争が終わればいい,とばかり思っていた。反共の精神も強くはなかった。政府軍の地域防衛隊はでたらめで,住民に平気で迷惑をかけた。韓国兵が小さな店の前に座って休んでいると,店の人から,行かないでくれ,行ってしまったあとで,地方防衛隊がやってきて酒を欲しがるから,と頼まれたりした」「われわれは彼らによく説明したものだ。韓国は朝鮮戦争で打撃を受けたが,いまは復興している。そこで,ベトナムの復興のために助けにきた,と。民衆はそれを聞いて,喜んでいた。一口に言って,ベトナムは未開の国だ。民衆の家はドロでできていて,ぼろぼろだった。前に言ったように,貧富の差がはげしかった。それに住民は怠け者だった。農業を一生懸命やらないし,正午から2時まで昼寝した。商売上手のやつはいたがね」「アメリカ人より韓国人のほうが人気があったと思う。東洋人で,肌の色が同じだったから,違和感がなかったのだろう。また,南北に分かれているので,親しい感情をもったのだろう。それに韓国軍は,対民活動をよくやった。民衆には気をくばった。 100人のベトコンを捕まえられなかったとしても,ひとりの無罪の人を犠牲にするようなことはしたくなかった。韓国兵は心やさしい」
Iさんの言葉のように,元韓国兵の多くは,ベトナムでの戦闘行為を,その地の民衆との関係から意義づけようとしている。しかもそこに,優越感が複雑にしのびこんでいる点も見落せない。

ベトナム戦争の記録」P174より。
この証言はFさんの証言と相反するように思えるかもしれませんが、必ずしも矛盾するわけではありません。
何故ならば、Fさんの証言でのベトナム人の恨みはベトナム戦争後に現地妻と子供を見捨てたことによるものだからです。
対して、この証言はベトナム戦争時の南ベトナムでの活動に関するものです。証言にあるように南ベトナム人が自らの国家の境遇などから韓国兵に親近感を持つことは十分にありうることでしょう。
同様に、韓国兵が北ベトナムやその同調者に対する憎悪と相反する形の感情を南ベトナムに対して持つことも十分にありうることでしょう。本田勝一「戦場の村」(朝日文庫)にも南ベトナム人に優しく接する韓国兵の姿が出てきます。
長期の戦争のような空間的範囲や時間的範囲が大きい事象は巨大すぎて一人の人間にはその一部しか体験できないものです。例えば、南京事件の当時、事件を目撃しなかったという兵士の証言があり、その証言自体が信頼に足るものだとしても、南京事件を否定することはできません。何故ならば、南京事件は様々な場所、様々な時間での数々の記録に裏づけられており、それに対し、証言は限定された範囲での個人的体験に過ぎないからです。
これらの証言に見られるような内容の相違はそういう証言の性質を示すものともいえるでしょう。

ブックマークコメントに対する応答

oguogu *ブログ , 439はてサ, 593反歴史修正主義 ベトナム戦争当時の韓国は北朝鮮より貧しい国でした。韓国へ派兵したのもアメリカが韓国軍兵士に払う給料をピンハネするためです。秦氏の名前があるから読みにくれば笠原氏ですか。とんだ羊頭狗肉です。

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/D_Amon/20100214

id:oguoguさん、韓国政府が韓国軍兵士に払う給料を横取りしたのは事実です。「ベトナム戦争の記録」にもアメリカが払った月給は一人当たり300ドルだったのに韓国兵が受け取ったのは60ドルだったというような証言が出てきます。(その60ドルでもきわめて魅力的な金額であったろうことも)
しかし、この記事を読めば派兵が給料をピンハネするためではないこと、少なくとも主目的ではないこと、は分っていただけるのではないかと思います。そして、ベトナムの韓国系混血児が現地妻との間の子供であるだろうということも。

gasemato 自衛厨 レイプ被害者に対して「お前が望んだんだろ?」と貶めるとは何事!!!!!「自称被害者」が被害者だと言ったら、同意の上でなく、被害者なの!!絶対なの!!!!!

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/D_Amon/20100202/p1

というブックマークコメントを書いたid:gasematoさんには是非おききしたいのですが、仮に混血児が生まれた原因が性暴力であるとして、そういう関係で「韓国に行きたいというベトナム人が大勢いた」というようになることがありうると思うのでしょうか。何らかの根拠があっての発言なのでしたら、是非、それを説明してほしいと思います。