ミニブログとしてのはてなブックマーク

http://d.hatena.ne.jp/genovese33/20120213/1329144863
に対する返答。

問題はあるとは言わんけど、なんというか、それってどういう意味があるのかなあと。

私のはてなブックマークコメントをチェックしている人に読んでもらうため。
はてなブックマークをコメントを読んでもらうためのミニブログとしても使っているというだけの話ですね。
http://b.hatena.ne.jp/D_Amon/20120204
での私が2012年2月4日にしたブックマークコメントを読んでもらえれば言及対象のブックマークコメントに至る流れがわかりやすいのではと思います。

D_Amon もしかして括弧付きhttp://bit.ly/zO862Oの意味から説明が必要なのかとブコメを見て思った。普通の人はそういうことはしないが反差別・反貧困・反歴史修正主義に対して否定的な形で意見したがる「普通の人」はいる。事例集 2012/02/04

注:文末の事例集というのはこの後にしたブックマークコメントが事例集という意味ではなく、対象URLでブックマークコメントしている人々の一部が事例集になっているという意味。

D_Amon セルクマ こんなことを書いていたのか…。自称中道レイシスト歴史修正主義者に対する「風刺」/「普通の人」Ver.2007。正面きってはそういうことをあまり言わなくなったあたりに進歩を感じる。嫌味な書き方なのは認める。 2012/02/04

注:「進歩を感じる」というのは「普通の人」の言動に対して。「嫌味な書き方」というのはこのブックマークコメント自体に対してではなく言及対象の自分の記事自体に対してのもの。

D_Amon 普通とか中立とか中道とかを自称しながら言動から滲み出る欲望的に全然そうでない人々を私は括弧付きの「普通の人」とか「中立」とか自称中道と呼ぶ。彼らはマジョリティという強者を詐称することに逃避する卑怯者。 2012/02/04

これらのブックマークコメントはある意味セットです。
これらについてですが、私が中立と括弧付きの「中立」を異なる意味で使っていることは言及対象のブックマークコメントだけでも明らかでしょう。
はてなブックマークを私のはてなブックマークコメントをチェックしている人且つ括弧付きの意味の説明が必要な人に対して説明するための道具として使用したというだけの話。

まあそれはどうでもいいんですが、問題はコメントですよね。だって最後で「卑怯者」だもの。まあ何のためにつけたのかすら他人の目からわからんはてブのコメントでいきなり「卑怯者」ではそりゃあ人様からは痛々しくも見えますって。自分の言う「薄っぺらい」ってのもそういうところから出た感想。

貴方にはわからなかったのなら「他人の目から」ではなく「自分には」と書くべきですし、貴方自身の価値判断なら「人様から」ではなく「自分から」と書くべきだと思います。
「彼らはマジョリティという強者を詐称することに逃避する卑怯者」というように卑怯者と判断する理由つきの文に「いきなり」と思うのも貴方自身の内面の問題だと私は思います。

これは結果論になっちゃってあれですけど、あれでかえって別のキチガイに補足されて絡まれて、そんでなんだろ、命がどうとかっていう話になって、そして別の人にTogetterよろしくまとめられて(ようやると思うけど)、そこでまた面倒なの(俺含む)を引き込むって、申し訳ないけど世話ねえなとは思うよ実際。

「別のキチガイ」というのがid:Midasさんのことなら彼の反応は私のはてなブックマークが「コメントを読んでもらうためのミニブログ」として機能していることを証明するもので私の望み通りの結果です。
アクセス解析の結果やWebでの反応から考えて、私のはてなブックマークをお気に入り登録以外の方法でチェックしている人はおそらく何人かはいて、Midasさんは高い蓋然性でその一人です。「2008年当時のブクマが並んでる後にいきなり」の私のコメントに対する反応の早さなど彼の過去の反応がそのことを示しています。私をはてなブックマークのお気に入りに登録しているわけでもないのに最新記事でもホッテントリ入りでもない記事のブックマークコメントに短時間で反応するというのはそういうことなんでしょう。彼の過去の言動から考えて彼はおそらくApemanさんのブックマークコメントもそのようにチェックしているでしょうね。「補足されて絡まれて」というより前々から目の敵にされ続けているようです。
「面倒なの(俺含む)」については、あっさりと「そして幾分はあの記事では批判的な物言いになってたのかなと思うと申し訳なかったと思います」と言うような人間は「面倒なの」ではありえないと思いますね。

というか、「黙れ」に対して「黙らない」ってのを、半ば命張ってやったわけっしょ?だけどその「黙れ」って言われた言論って何?それって命張ってまで「黙らん」と主張し通さなきゃイカンものなの?

これは価値観や思想信条やリスク評価の問題ですのでそれらを共有しない人にはいくら長く説明しても無駄だと思います。
例えば登山、特に雪山登山は金と時間をかけて命張ってやることなわけですが何故そのようなことをするかわからない人にはわからないでしょう。その場合、質問自体が価値観を共有してないことを示すような質問に対しての答えは「そこに山があるから」で十分ではないかと思います。
ただ、色んな場合に「黙れ」と言われるのでその都度「黙らない」と答える必要があり、「黙らない」というのはあの発言単体の問題ではないということは答えておきます。

そういうトコから考える必要ってあると思うんですよ。そういう命の張り方って正しいのかって。まあ本当に相手が絶対タマ取るわけないって踏んでたからあんな事言う勇気あったんでしょうけど。

「絶対タマ取るわけないって踏んでた」ということはないですね。死ぬ可能性はあると考え、死んだ場合の準備もしてました。戻れなかった場合のための書置きを残して出発しましたし、到着時のはてなハイクへの投稿もそういう仕込みの一つです。確率自体は低いと考えてはいてもその低い確率に当たる可能性も考えて行動していたわけです。