「サンフランシスコ平和条約で受諾したのは極東国際軍事裁判所の裁判ではなく判決」というのは文脈無視での俗流解釈による嘘

サンフランシスコ平和条約第11条で受諾したのは法廷が課した刑の執行としての諸判決であり、東京裁判における事実認定を含む裁判ではない。judgmentsと複数形になっているのがその証拠だ。外務省による英文和訳が悪い」というような主張は日本国が事実認定を含めて東京裁判を受諾していることを否定するために用いられる使い古された嘘です。
この記事ではそういう主張の誤りについて説明します。

judgmentsと複数形になっている理由

サンフランシスコ平和条約第11条においてjudgmentsと複数形になっている理由は条文を読めば明らかです。

Article 11
第十一条

Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan, and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan.
日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。

対訳 サンフランシスコ平和条約

「the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan (極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷)」というように極東国際軍事裁判所の他に複数の連合国戦争犯罪法廷のjudgmentも受諾するのですから、それが複数形のjudgmentsになるのは当然のことです。
「judgmentsと複数形になっているから諸判決だ」というのは発想が斜め上過ぎて何を言っているのかと困惑します。

極東国際軍事裁判所のjudgmentは何を指しているか

極東国際軍事裁判所のjudgmentが何を指しているかは判決文を読めば明らかです。

Judgment
International Military Tribunal for the Far East (極東国際軍事裁判所)

PART A
CHAPTERS I-III
Chapter I Establishment and Proceedings of the Tribunal (本裁判所の設立および審理) 1-22
Chapter II The Law (法) 23-37
Chapter III Obligations Assumed and Rights Acquired by Japan (日本の権利と義務) 38-82

PART B
CHAPTERS IV-VIII

Chapter IV The Military Domination of Japan and Preparations for War (軍部による日本の支配と準備) 83-520
(part b) 281-405
(part c) 405-520
Chapter V Japanese Aggression Against China (中国に対する侵略) 521-775
(Sections III-VII) 648-775
Chapter VI Japanese Aggression Against the U.S.S.R. (ソ連に対する侵略) 776-842
Chapter VII The Pacific War (太平洋戦争) 843-1000
Chapter VIII Conventional War Crimes (Atrocities) (通例の戦争犯罪(残虐行為))1001-1136

PART C
CHAPTERS IX-X

Chapter IX Findings on Counts of the Indictment (起訴状の訴因についての認定) 1137-1144
Chapter X Verdicts (判定)

HyperWar: International Military Tribunal for the Far East

引用文の全角括弧内の翻訳は引用者が加えたもの。
これが極東国際軍事裁判所のjudgmentであり、その中には日本の侵略戦争戦争犯罪に関する事実認定が含まれています。
サンフランシスコ平和条約第11条において受諾したjudgmentの中身がこれらであることは文脈的に明らかで、日本語訳でjudgmentを裁判と訳そうが判決と訳そうが、サンフランシスコ平和条約の英文における意味が変わることはありません。
judgmentは日本語では裁判とも判決とも訳され、日本語の法律用語としての裁判は(口頭弁論を経る)判決の他に(裁判所が行う)決定や(裁判官が行う)命令も含むものですが、仮に判決と解釈したところで、判決文に「本裁判所の設立および審理」(裁判が正当なものであることについての判決文)や各種事実認定なども含まれているわけですから、サンフランシスコ平和条約で日本国が東京裁判の正当性や合法性や事実認定を含めて受諾したことに変わりはありません。

judgmentの訳語は日本語における法律用語としてはどうなのか

そもそも、判決は法律用語的には「訴訟において、裁判所が当該事件について一定の厳重な手続を経た上で示す裁判のこと」*1であるわけで、判決は裁判の一形態であり、判決と訳せば東京裁判の事実認定などを受諾していることにならないということになるわけがありません。
サンフランシスコ平和条約第11条におけるjudgmentの訳語は「極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷」で為されたjudgmentsの全てが口頭弁論を経たものであれば裁判でも判決でもいいですが、口頭弁論を経ないものが含まれていれば法律用語的には裁判とするのが適切となります。
極東国際軍事裁判所条例*2の第四条(ロ)では「本裁判所ノ為ス一切ノ決定並ニ判決ハ、出席裁判官ノ投票ノ過半数ヲ以テ決ス」となっているので、極東国際軍事裁判所におけるjudgmentの訳語は法律用語的には決定も判決も含む裁判とするのが適切です。ならばサンフランシスコ平和条約第11条におけるjudgmentの訳語に裁判をあてることには何の問題もありません。極東国際軍事裁判所におけるjudgmentを受諾することが裁判を受諾することであることは法律用語的には明らかです。
サンフランシスコ平和条約第11条の目的が連合国から日本国へ「日本国で拘禁されている日本国民」に対する刑の執行を引き継ぐことであることを考えると、判決と訳してしまうと決定や命令による刑の執行に不都合が生じるので、裁判と訳するのが適切となります。
サンフランシスコ平和条約第11条で刑の執行者となる日本国としては、不当な刑の執行をするわけにはいかないので、「極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判」を不当なものとすることはできませんから、それらを正当なものとして受諾するのは当然のこととなります。
「受諾したのは刑の執行としての判決であって裁判ではない」というのは、極東国際軍事裁判所の判決文を確認せずにサンフランシスコ平和条約第11条におけるjudgmentのみを狭い意味で解釈することによってのみ成立する嘘でしかありません。そして、この嘘が英語圏に対して通じるわけがないことは明らかですし、日本語でも法律用語的には通じるわけがありません。

東京裁判受諾に関する政府見解

過去の国会会議録からサンフランシスコ平和条約第11条に対する日本政府の立場は明らかです。


第12回国会 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第4号 昭和二十六年十月二十六日(金曜日)における当時の政府委員である外務省条約局長西村熊雄氏の答弁。

第十一條は戰犯に関する規定でございます。この條約の規定は、日本は極東国際軍事裁判所その他連合国の軍事裁判所がなした裁判を受諾するということが一つであります。いま一つは、これらの判決によつて日本国民にこれらの法廷が課した刑の執行に当るということでございます。そうしてこの日本において刑に服しておる人たちに対する恩赦、特赦、仮釈放その他の恩典は、将来は日本国政府の勧告に基いて、判決を下した連合軍のほうでこれをとり行うという趣旨が明かにされております。極東軍事裁判所の下した判定については、この極東軍事裁判所に参加した十一カ国の多数決を以て決定するということになつております。一体平和條約に戰犯に関する條項が入りません場合には、当然各交戰国の軍事裁判所の下した判決は将来に対して効力を失うし、又判決を待たないで裁判所が係属中のものは爾後これを釈放する、又新たに戰犯の裁判をするということは許されないというのが国際法の原則でございます。併しこの国際法の原則は、平和條約に特別の規定がある場合にはこの限りにあらずということでございます。従つてこの第十一條によつて、すでに連合国によつてなされた裁判を日本は承認するということが特に言われておる理由はそこにあるわけでございます。戰犯に関する限り、米国政府の態度は極めて友好的であつたと私は一言ここに附加えておきたいと、こう思います。

参議院会議録情報 第012回国会 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第4号

引用文中の強調は引用者による。
サンフランシスコ平和条約第11条が各軍事裁判所の裁判受諾と刑の執行の二つを規定するものであることは明らかで、刑の執行のみを受諾したなどということはありえません。
平和条約に裁判受諾に関する記述がある理由もこれを読めば明らかでしょう。


第162回国会 外交防衛委員会 第13号 平成十七年六月二日(木曜日)における当時の政府参考人である外務省国際法局長林景一氏の答弁。

先生も今御指摘のとおり、サンフランシスコ平和条約第十一条によりまして、我が国は極東国際軍事裁判所その他各国で行われました軍事裁判につきまして、そのジャッジメントを受諾しておるわけでございます。
このジャッジメントの訳語につきまして、裁判というのが適当ではないんではないかというような御指摘かとも思いますけれども、これは裁判という訳語が正文に準ずるものとして締約国の間で承認されておりますので、これはそういうものとして受け止めるしかないかと思います。
ただ、重要なことはそのジャッジメントというものの中身でございまして、これは実際、裁判の結論におきまして、ウェッブ裁判長の方からこのジャッジメントを読み上げる、このジャッジ、正にそのジャッジメントを受け入れたということでございますけれども、そのジャッジメントの内容となる文書、これは、従来から申し上げておりますとおり、裁判所の設立、あるいは審理、あるいはその根拠、管轄権の問題、あるいはその様々なこの訴因のもとになります事実認識、それから起訴状の訴因についての認定、それから判定、いわゆるバーディクトと英語で言いますけれども、あるいはその刑の宣告でありますセンテンス、そのすべてが含まれているというふうに考えております。
したがって、私どもといたしましては、我が国は、この受諾ということによりまして、その個々の事実認識等につきまして積極的にこれを肯定、あるいは積極的に評価するという立場に立つかどうかということは別にいたしまして、少なくともこの裁判について不法、不当なものとして異議を述べる立場にはないというのが従来から一貫して申し上げていることでございます。

参議院会議録情報 第162回国会 外交防衛委員会 第13号

引用文中の強調は引用者による。
judgmentの中身が極東国際軍事裁判所の判決文であり、それには「裁判所の設立、あるいは審理、あるいはその根拠、管轄権の問題、あるいはその様々なこの訴因のもとになります事実認識、それから起訴状の訴因についての認定、それから判定、いわゆるバーディクトと英語で言いますけれども、あるいはその刑の宣告でありますセンテンス、そのすべてが含まれている」ことはその判決文を読めば明らかです。
judgmentの日本語における訳語を変えたところで、それらを受諾したということに変わりはありません。


第165回国会 本会議 第4号 平成十八年十月二日(月曜日)における当時の内閣総理大臣である安倍晋三氏の答弁。

過去に日本がアジアでとった行為についてのお尋ねがありました。
さきの大戦をめぐる政府としての認識については、平成七年八月十五日及び平成十七年八月十五日の内閣総理大臣談話等により示されてきているとおり、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたというものであります。
いわゆるA級戦犯の国家指導者としての責任についてお尋ねがありました。
さきの大戦に対する責任の主体については、さまざまな議論があることもあり、政府として具体的に断定することは適当ではないと考えます。
いずれにせよ、我が国は、サンフランシスコ平和条約第十一条により極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しており、国と国との関係において、この裁判について異議を述べる立場にはないと考えています。

衆議院会議録情報 第165回国会 本会議 第4号

引用文中の強調は引用者による。
外務省の役人ではなく内閣総理大臣自身が「極東国際軍事裁判所の裁判を受諾」していることを認めています。
このように安倍晋三氏のような人でも日本国の首相という責任のある立場につけば日本政府の公式見解に沿った言動をせざるをえないというわけです。

東京裁判史観を覆したいなら学問的手段で

日本国はサンフランシスコ平和条約東京裁判を受諾しており、政府見解もそうなのですから、東京裁判における事実認定に基づいた国際社会における歴史観を覆すことは政治的手段では無理です。
そういうわけで東京裁判史観を覆したい人々は学問的手段を用いるべきです。
そのためには地道で膨大な史料研究が必要で、知的で誠実でそういう史料研究を行う人が歴史修正主義者になることは、まあ、ありえないのですけどね。