原爆の犠牲者数の推計値について

FrenetSerret id:D_Amon 核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数と、まだ一切断定する材料もなく自分も認めるように蓋然性のない30万人を同じに扱っていい理由にはなってない。馬鹿ですか?w

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/www.47news.jp/CN/201501/CN2015011401001738.html

という発言は間違っています。


広島市の公式見解である原爆死没者数「約14万人(誤差プラスマイナス1万人)」は以下のように推計されています。

44年2月の広島市の人口を参考にした推計と、被爆後約3カ月がたった45年11月の広島市と周辺町村の人口を比較し、軍の被害報告資料や県外からの来広者、朝鮮人被爆死亡者などを考慮した、と一定の根拠を説明している。被爆30年を経て犠牲者数が明らかでないことについては、国家的な調査が放置されてきたと指摘する。

(4)原爆の犠牲者数なぜあいまいなの <下>

つまり、(原爆投下前の人口の推計値−1945年11月の生存者の推計値)+(軍関係者・来広者・朝鮮人被爆死亡者などの不明瞭な推計値)です。この値に「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力」から推定された部分はありません。


広島に投下された原爆は臨界前の核物質に臨界に達する量の核物質の弾を撃ちこむことから確実に動作することが予測されたガンバレル式で、実験無しに広島に用いられています。
その発生エネルギーの推定や反応した濃縮ウランの割合の推定ができるようになったのは後の時代の研究によってです。
ゆえに米国の戦略爆撃調査団による推計値が「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力」から推定されているわけがありません。


よって、日米の見解とされるいずれの値も「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力」から推定されていません。
以上。


あと、死者数と犠牲者数は同じというわけではないという話と政治における見解と学問における諸説は異なるという話 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかでも書いたことですが、「蓋然性は低いが推計値として否定できるものではない」と言ったのを「自分も認めるように蓋然性のない」と言いかえるのは捏造です。

蓋然性において同程度に扱っていないので、蓋然性において同程度と実証する必要はない

http://digital.asahi.com/articles/ASG8600W4G85TIPE02V.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASG8600W4G85TIPE02Vにおいて日本政府は「日本の見解とは違う」ことをもって「適切でない」と中国に申し入れています。
これに対して

D_Amon 「外交ルートを通じ「日本の見解とは違う。被害者の具体的な人数を認定することは困難だ」と伝えた」原爆の犠牲者数で日本が米国に「米国の見解とは違う」と言われたらと思うと、相手の気分を害するだけと思うな

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.47news.jp/CN/201501/CN2015011401001738.html

と書いたように、私は「見解の違い」をもって相手に「適切でない」と申し入れることに対してコメントしています。つまり、蓋然性は問題にしていません。

D_Amon 米国の歴史教科書を見る限り米国の見解の原爆犠牲者数が日本の見解のものより少ないのは単なる事実。南京の30万人説にしても蓋然性は低いが推計値として否定できるものではない

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/www.47news.jp/CN/201501/CN2015011401001738.html

と書いたように、既に30万人説の蓋然性を低いと思っていることを書いているので、南京事件犠牲者数と原爆犠牲者数の推計値を蓋然性において同程度に扱っていないのも明らか。
よって、このことについて「蓋然性において同程度と実証しろ」と言われても応じる必要はありません。
死者数と犠牲者数は同じというわけではないという話と政治における見解と学問における諸説は異なるという話 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかのコメント欄でも言及しましたが、そのことを理解できないのがid:FrenetSerretid:cmuethmitid:oxigenusid:pwd24v

以上。


あと、既に、

サ条約体制的には日本の「公式見解」は東京裁判の20万人説である筈だし、「人数を認定することは困難」な原因は日本側の敗戦時の証拠隠滅も原因でそれをもって文句言える立場ではない

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/www.47news.jp/CN/201501/CN2015011401001738.html

と書いていますが、「被害者の具体的な人数を認定することは困難」なのは敗戦時に日本側が証拠隠滅したのも原因で、証拠隠滅した加害者が被害者に「人数を認定することは困難」なことをもって申し入れを行える立場ではないのは当然です。

死者数と犠牲者数は同じというわけではないという話と政治における見解と学問における諸説は異なるという話

死者数と犠牲者数は同じというわけではないという話

日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では20万人以上(松井司令官に対する判決文では10万人以上)、1947年の南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人など様々な推計がなされている。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf

日中歴史共同研究日本語論文PDFファイルのP271から脚注を省略して引用。
日本側研究における南京事件の犠牲者数に諸説ある理由の一つとして「虐殺」(不法殺害)の定義があることから分かるように、死者数と犠牲者数は同じというわけではありません。
犠牲者数の推計値は死者数の内のどれくらいを犠牲者数と見做すかという価値観により変わりうるものです。
引用文中の20万人説を笠原説、4万人説を秦説、2万人説を板倉説と仮定してその価値観の違いを説明すると、「虐殺少数派」のトリック - 模型とかキャラ弁とか歴史とか内の引用文中にも書いてあるように板倉説は「中国兵の投降兵、敗残兵、捕虜の殺害を不法殺害=虐殺とみなさないようにしている」ものですし、秦説は「戦闘意欲をまったく失っている「敗残兵」や「投降兵」の殺害を「戦闘の延長と見られる要素もある」として、虐殺とは見ないこと、また軍服を脱ぎ棄てて民間人の服装に着替えて難民区に逃げ込んだ兵士を「便衣兵」とみなして、その殺害を「処刑」と考えた」ものです。
秦説についてですが、「秦は「不法殺害は四万?」といういい方をして、約四万人という被害者数は「あくまでも中間的な数字にすぎない」として「新資料の出現で動くこともある」と柔軟な姿勢を見せていたが、その後、小野賢二らによって第一三師団山田支隊だけで、一万五〇〇〇〜二万の捕虜集団虐殺をおこなったという新資料が発掘されても(後述)、四万人という数字を変えず、むしろ「中間派」としての存在を示すためにこの数字を固定してしまった」ので、現在の秦説は山田支隊が行ったような捕虜集団虐殺を犠牲者数に数えない説になっていると思われます。
つまり、秦説や板倉説といった虐殺少数説を採るということは投降兵、敗残兵、捕虜の殺害を虐殺と見做さないという価値観の表明と同じであり、諸説の中から選べないにしても、投降兵、敗残兵、捕虜の殺害を虐殺と見做すのであれば虐殺少数説は選択肢から外すべきということになります。
なにをもって虐殺と見做すかという価値観を表明すれば自ずと諸説の中で取れる選択肢は限定されますし、それは諸説の中でどれが正しい数か認定する過程において最低限必要なことです。
外務省のサイトには

しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/08.html

と書かれていますが、とりあえず、日本政府はなにをもって虐殺と見做すかという定義を明確にして、それを外務省のサイトに載せるべきだと思います。それは諸説の中でこの説はとらないということを明確に示すことであり、その定義を採用する現代日本の倫理観を示すものでもあるわけですから。

政治における見解と学問における諸説は異なるという話

先に引用した日中歴史共同研究日本語論文PDFファイルの「日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では20万人以上(松井司令官に対する判決文では10万人以上)、1947年の南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している」という記述が示すように国がとる見解は必ずしも学説に依拠するわけではありません。
サンフランシスコ平和条約体制的には連合国の見解は極東国際軍事裁判東京裁判)の20万人説ということになりますし、中国の見解は南京戦犯裁判軍事法廷での30万人説で、いずれも裁判の結果として司法が認定した数であり、学問的に研究された数ではありません。*1
サンフランシスコ平和条約で東京裁判を受諾したので南京大虐殺の犠牲者数は20万人〜30万人で確定ということで - 模型とかキャラ弁とか歴史とかでも書いたことですが、

我が国は、サンフランシスコ平和条約第11条により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しており、国と国との関係において、この裁判について異議を述べる立場にはないと考えています。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/09.html

と外務省のサイトにも書いてあるように、日本はサンフランシスコ平和条約第11条により極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しているため、この裁判について異議を述べる立場にはありません。
これはつまり、日本にしても他国に「南京事件の犠牲者数は東京裁判で認定された20万人である。これに異議はあるか?」と問われたら、政治的には「異議はありません」と答えざるをえないという立場にあるということです。
まあ、実際にはそのように問われたら、「異議はありませんが、学問的には日本国内でも諸説あり、その中でどれが正しい数かは認定していません」とでも答えるのではと思いますが。

否定する根拠もないのに見解の違いがあることをもって「適切でない」と申し入れるのは筋がいいのか

南京事件の犠牲者数について私は中国の30万人説の蓋然性は低いとは思っていますが、日本政府のこういう対応はくだらないと思います。

政府が昨年12月、1937年に起きた旧日本軍による南京事件の犠牲者数は「30万人」と明言した中国の習近平国家主席の発言に関し「適切でない」と中国に申し入れていた

http://www.47news.jp/CN/201501/CN2015011401001738.html

日本政府は、習氏が昨年12月13日の南京での追悼式典演説で「30万人の同胞が殺害された」と述べたことを問題視。同月下旬までに、外交ルートを通じ「日本の見解とは違う。被害者の具体的な人数を認定することは困難だ」と伝えた。

犠牲者数を30万人と言ったことに対して「適切でない」と申し入れる根拠が「日本の見解とは違う」とか「被害者の具体的な人数を認定することは困難だ」とか、論拠にできると考える方がおかしいと思います。
「日本の見解とは違う」からなんなのですか。その「日本の見解」が世界から見て正しいのなら、洋書に「Between 200,000 and 300,000 People were killed」*2とか書かれたりしません。そんなものが論拠にできるわけもありません。
「被害者の具体的な人数を認定することは困難だ」からなんなのですか。史実派と否定派をどっちもどっちと言うのは只の知的怠惰の表明 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかでも書いたことですが、敗戦時の資料焼却が「これだけのことしかしていない」を日本側資料で蓋然性の高い主張にすることを不可能にしているわけで、被害者の具体的な人数を認定することが困難なのは、いわば自業自得。それを申し入れの論拠にする方がおかしいというものです。
日本側の言うことは「30万人説の否定」自体ではなく「被害者の具体的な人数の認定は難しいのだから具体的な人数は言うな」ということになるわけですが、それは中国側にとって「30万人説の否定」でしかないでしょう。
こういう件に関する私の意見は以前から変わりませんので、以下に引用します。

これは「30万人説を否定するな」ということではありません。具体的根拠を挙げて学術的手順を踏まえて30万人説を否定できるというのなら、是非やってみせてもらえればと思います。
30万人説を本当に否定したいのであれば、それは日中あるいは多国間で議論を重ねて線引きを確定し、その線引きでより精度の高い推計値を出すことというものでしょう。史実派の学者がそういうことをやっているので、30万人説を否定したい人は自らもそういう場に立つ努力をしてみればいいのではないでしょうか。

南京大虐殺と選択的無知 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

歴史的経緯を考えれば、中国が自国の式典において自国の公式見解である30万人説を述べるのは当然のことです。
それに対して「適切でない」と申し入れるのであれば、最低限「これらの資料からこの定義で推算すればこの人数だ」と具体的に述べるべきですし、さらにいえばその定義について国際社会なり中国なりの合意を得ておくべきというものです。
私はこういう申し入れは相手の主張を変える効果を持たないどころか「日本側の史実否認の欲望を示す行為」として中国側の宣伝に利用されかねない迂闊な行為というものだと思います。

見解が異なることは相手が適切でないということにはならない

私はこの記事のはてなブックマーク

D_Amon 「外交ルートを通じ「日本の見解とは違う。被害者の具体的な人数を認定することは困難だ」と伝えた」原爆の犠牲者数で日本が米国に「米国の見解とは違う」と言われたらと思うと、相手の気分を害するだけと思うな

というコメントを書いたわけですが、原爆の犠牲者数について日本と米国で見解に差があることはよく知られていることです。

米国の中・高校生用の歴史教科書の中で、広島、長崎への原爆投下で亡くなった犠牲者数を、両市の「公式見解」(広島約14万人、長崎約7万人)に沿って記しているものが極めて少ないことが日本の研究者の調査で分かった。犠牲者数を掲載しないか、しても多くは公式見解の半分ほど。被爆者をむしばむ放射線の長期的な健康への影響にふれた教科書もほとんどないという。

http://digital.asahi.com/articles/ASG8600W4G85TIPE02V.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASG8600W4G85TIPE02V

米国では、戦略爆撃調査団が46年、犠牲者数を「広島で7万〜8万人、長崎では3万5千人以上」と報告。藤田助教は「米教科書は調査団の数字などを根拠にしたとみられるが、日本側の公式見解を顧みていないと言える。原爆の被害をより小さく見せたい心理が働いている可能性もある」と指摘する。

というように。
記事中で指摘されている米国の戦略爆撃の調査結果はhttp://www.trumanlibrary.org/whistlestop/study_collections/bomb/large/documents/index.php?pagenumber=42&documentid=65&documentdate=1946-06-19&studycollectionid=abomb&groupid=で読むことができます。
それによれば広島の死者及び行方不明者が70000〜80000人、長崎の死者及び行方不明者は35000〜40000人となっています。
参考までに英語版のウィキペディアの記事Atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki - Wikipediaによれば、広島の死者が90000〜166000人で、長崎の死者が39000〜80000となっています。
このように日本の両市の公式見解と米国の見解は異なるわけですが、見解の差にはそれぞれに事情があるわけで、それに対し相手を不適切と言うにたる根拠もないのに「適切でない」などと申し入れるのはただの傲慢だと私は思います。

「被害をより小さく見せたい心理」は日本側の南京事件に対する姿勢にも向けられるべき言葉

先の記事には「原爆の被害をより小さく見せたい心理が働いている可能性もある」という指摘がありますが、私自身はあまりそういう可能性があるとは思いません。米国が戦略爆撃調査団の数字を根拠とすることに違和感を感じませんから。
無論、その数は原爆投下後数カ月の内に死亡した人数は含みませんが、それはこの数が戦略爆撃の調査結果であり「定義が異なる」わけで、国によって見解の元となる定義が異なるからといってなんなのでしょうか。
もし、仮にそういう心理があるとしても否定論や虐殺少数説といった日本側の南京事件に対する姿勢と比べれば、まったく露骨なものではないと思います。
なぜならば、死者及び行方不明者というように死者数だけでなく行方不明者も数えていますし、英語版ウィキペディアの記事に「Some 70,000-80,000 people, of whom 20,000 were soldiers, or around 30% of the population of Hiroshima, were killed by the blast and resultant firestorm」とあるのを見る限り、その数は軍人も含むものだからです。
南京事件虐殺少数説や否定論の理屈に則れば犠牲者数は死者及び行方不明者の数に比べて小さくすることができます。
広島には軍隊、軍事施設、軍需工場があり、原爆投下は軍事目標に対する攻撃でもあったわけで虐殺少数説的には戦闘行為として軍人なり軍事施設や軍需工場の労働者なりは犠牲者数から除かなければならない筈です。
行方不明者を数えるのもおかしいですね。きちんと死体を数え、その中で犠牲者とする人数を選別しなければなりません。原爆の閃光での蒸発とか火事とか川に飛び込んだとかで死体が残ってないとしても知ったことではありません。
だいたいB-29が飛んできたとき日本の防空部隊は何をしていたのですか?爆撃を受けたのは迎撃しなかった日本側の責任です。とかなんとか。
で、これに対して、日本側の電探網と管制能力の貧弱さとか、日本側戦闘機の高高度性能の低さとか、単機で高高度を飛ぶB-29偵察機扱いしていて彼我の能力や効率を考えて迎撃に飛び上るつもりもなかったこととか言っても、それだけ戦力に差がありながらさっさと降伏しなかった日本側の責任とされてしまうわけです。
こういうことを考えると米国の見解は軍人も含む死者及び行方不明者の人数を採用しているだけ良心的にすら見えます。

広島市の公式見解である14万人説にも南京事件虐殺少数説や否定論の理屈を適用してみましょうか。

原爆投下後に様々な機関が調査を行っていますが、原爆によって死亡した人の数については、現在でも、正確には分かっていません。
これにはいくつか理由があり、
被爆直前の人口状況が分かる資料が原爆で焼失してしまったこと
・多くの人が疎開のため広島市を離れたり、逆に広島市疎開してきたりして、人口が流動的であったこと
・軍関係者の情報が不明であること
などのためです。
なお、死没者数について、本市では、放射線による急性障害が一応おさまった昭和20年(1945年)12月末までに、約14万人が亡くなられたと推計しています。

広島市 - 原爆によって何人の人が亡くなったのですか(FAQID-5801)d

これは南京事件虐殺少数説や否定論の理屈的には話になりませんね。
人口状況が分かる資料の焼失とか人口が流動的であったこととか犠牲者数をいくらでも盛りほうだいではないですか。軍関係者を死没者としてはともかく犠牲者数として数えては駄目ですね。原爆投下から昭和20年(1945年)12月末までに死んだ人にしても、日本の医療インフラの貧弱さや、後からのこのこ汚染地にやってきて死んだ人を犠牲者として数える義理はありません。

44年2月の広島市の人口を参考にした推計と、被爆後約3カ月がたった45年11月の広島市と周辺町村の人口を比較し、軍の被害報告資料や県外からの来広者、朝鮮人被爆死亡者などを考慮した、と一定の根拠を説明している。被爆30年を経て犠牲者数が明らかでないことについては、国家的な調査が放置されてきたと指摘する。

(4)原爆の犠牲者数なぜあいまいなの <下>

南京事件虐殺少数説や否定論の理屈的にはそんな曖昧な根拠で約14万人(誤差プラスマイナス1万人)と推定されてはたまったものではないでしょう。

大体、終戦時は、原爆による死者は

 広島 78,150人(1945年11月末  広島県警調)
 長崎 23,753人(1945年11月25日 長崎市調査)

 合計101,903人 とされていたのです。

(「戦史叢書 本土防空戦」 P642,649)

http://homepage1.nifty.com/SENSHI/book/objection/6nankin_genbakku.htm

のような終戦時の原爆による死者数と、

最近の高校の教科書を調べてみると、この数字を根拠としたと思われる「原子爆弾による1945(昭和20)年12月までの死者は、広島で約14万人」という記述や、「被爆直後から5年間に、広島では20万人以上(中略)の市民が死亡」など、期間や人数がばらばらだ。時期を特定せずに「およそ12万人の命をうばった」とするものもあった。

(3)原爆の犠牲者数なぜあいまいなの <上>

のような様々な教科書の記述を考えると、南京事件虐殺少数説や否定論の理屈的には「日本は犠牲者数を水増ししている」ということも言えそうですね。
うわあ、下衆いわあ。下衆なのは南京事件虐殺少数説や否定論の理屈の方ですけど。
南京事件虐殺少数説や否定論の理屈を考えると原爆については死者数=犠牲者数とするのを当たり前の前提のように認識することが傲慢に思えてきますね。

そもそも南京事件の犠牲者数に対し原爆を持ち出してきたのは歴史修正主義者の方

私のはてなブックマークコメントが南京事件に対して原爆を持ち出していることに対して異のある方もいるようですが、南京事件に対して原爆を持ち出してきたのは歴史修正主義者の方なんですけどね。

同程度の犠牲者数で責任を相殺?

近現代史研究家の水間氏によると、数十万の罪のない市民が亡くなるのだから、原爆投下は判定するまでもなく戦時国際法違反であり、これが東京裁判が始まる前からアメリカのトラウマになっていたとのことです。この責任を相殺するため、日本が「南京大虐殺」を行ったという話が作られたのです。同氏は広島・長崎の犠牲者数と、南京大虐殺の犠牲者数が非常に近い点を指摘します。「南京で日本軍はこんなヒドイことをやったんだから、原爆がヒドイと言う権利はない』と言えるように、アメリカ側が事件を利用したのです。

原爆投下と南京大虐殺の関連を徹底解明!『ザ・レイプ・オブ・南京』を生み出した米中の意図 | ザ・ファクト THE FACT 公式サイト - マスコミが報道しない事実を伝えるネット番組 -

とか、

いま、「南京大虐殺」なる捏造事件を声高に叫んでいるのは支那共産党と、そのスパイであることは紛れもないが、それだけではなく、GHQ時代のアメリカ合衆国の関与もある。
アメリカが、なぜこの事件を捏造する必要があったのか。
それはアメリカが広島と長崎に原子爆弾を落としたからであり、アメリカが広島・長崎で虐殺した原爆の犠牲者数が30万人である。「南京大虐殺30万人説」というのは、アメリカと支那が組んだ陰謀であり、アメリカと支那が手を組んで日本を悪者に仕立てているのである。
南京大虐殺」を否定するためには、まずアメリカの非道を突き付ける必要がある。そして「南京大虐殺」を否定すると不法な極東国際軍事裁判(東京裁判)がひっくり返るため、アメリカも必死にならざるをえない。

エラー ‐ 通信用語の基礎知識

とか。
これらの同類の窪田順生の時事日想:なぜアメリカは「原爆投下は正しい」と言い張るのか (1/3) - ITmedia ビジネスオンラインなんかは「広島は昨日、原爆投下から67年の「原爆の日」を迎えた。一瞬で14万人もの尊い命を奪ったわけだが、なぜアメリカは「原爆投下は正しい」といい続けるのだろうか。その背景にある、アメリカの“論理”に迫ってみた」と書いているように14万人が昭和20年(1945年)12月末までの死者ということも理解していない模様。
これらの歴史修正主義者の主張については原爆と相殺するため南京事件が捏造されたというのは嘘 - 南京事件FAQのように南京事件FAQの記事になるくらいにはよく知られている話。
南京事件論争に関して新規参入組がこういうことを知らなくても仕方がないとは思いますが、歴史修正主義者がこういう頭の悪い陰謀論を唱えているという事実があっての私の発言という面もあるのです。

おまけ

FrenetSerret 天然記念物的馬鹿 犠牲者数が明らかに出来ていない南京大虐殺と、科学的に被害者数が公式に見積もられている原爆とを、同じ様に扱うw皆さんこれがid:D_Amonによる反日論法です。とても頭悪いですねww覚えておきましょう

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.47news.jp/CN/201501/CN2015011401001738.html

D_Amon 米国の歴史教科書を見る限り米国の見解の原爆犠牲者数が日本の見解のものより少ないのは単なる事実。南京の30万人説にしても蓋然性は低いが推計値として否定できるものではないid:FrenetSerretid:cmuethmitid:oxigenus

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/www.47news.jp/CN/201501/CN2015011401001738.html

FrenetSerret id:D_Amon 核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数と、まだ一切断定する材料もなく自分も認めるように蓋然性のない30万人を同じに扱っていい理由にはなってない。馬鹿ですか?w

「核実験や科学的に明らかにされた原爆の威力から推定される被害者数」がどの説のどういう値かは知りませんが、どうやらFrenetSerret氏の言うところの被害者数は広島市の公式見解とは違うようですね。なら、私のはてブでの発言にはまったく関係ないなー。
蓋然性において両者を同じにも扱っていませんし、「蓋然性は低いが推計値として否定できるものではない」と言ったのを「自分も認めるように蓋然性のない」と言いかえるのは捏造ですね。

*1:実際には孫宅巍ら中国の歴史学者の主張から明らかなように中国の歴史学における数でもありますが

*2:[歴史修正主義における否定論の分類 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

有り合わせの道具で蕎麦打ち

今年の年越し蕎麦は久々に自分で打とうと思い、本番に向けて練習してみました。
専門の道具を買うつもりはないので自宅にある道具で実施。


まずは材料の蕎麦粉と中力粉。
蕎麦粉は今回は茨城県産のものを使用。


素人なので無理せず五割蕎麦から行くことにし、蕎麦粉と中力粉をそれぞれ100gずつ使用。
それらをふるいにかけてからボールの中でハシを使って水80mlと混ぜ合わせ、ボソボソの状態になったら手捏ねに移行。


蕎麦玉作りは捏ねた材料をボールの底に手の平で押しつけて成形することによりへそだしの工程を省いて省力化。


テーブルの上に打ち粉して蕎麦玉を置き、1mのVP30の塩ビパイプを麺棒として用いて伸します。
実際に使ってみた感じではVP30だと少々太過ぎだったので、VP25の方が適していると思います。


角出し。真四角に伸ばしたいところですが、素人なのでこの程度。要練習ですね。


伸ばした材料を八つ折りにしたところ。


小間板の代わりに小型のまな板を切り出しのガイドに用い、牛刀を蕎麦包丁の代わりにして麺を切ります。
麺の幅は1.5mm程度。


麺を切り終えました。


後はごく普通に茹でてから、ざるで湯を切り、水洗い。


別に準備した麺つゆと合わせて完成。
作った分の半量でどんぶり一杯分。
専門の道具を使わなくてもなんとかなるものですね。
それでは皆様、よいお年を。

とある南京事件否定論者の英語での「情報戦」

KUIDAORE氏という人は転載記事をこのように並べれば南京事件を否定できると思っているようです。

[ The New York Times : January 9, 1938 ]
"Wholesale looting was one of the major crimes of the Japanese occupation. Once a district was in their full control, Japanese soldiers received free rein to loot all houses therein. [...] Occupants of homes were robbed and any who resisted were shot."

"Many Chinese civilians who failed to leave the southern and southwestern sections of the city were killed, the total probably running as high as the total of military dead. This writer, visiting the South City after the Japanese had occupied the area, found sections of it almost demolished by Japanese shelling, and Chinese civilian dead were lying everywhere."

[ Documents of the Nanking Safety Zone : December 17, 1937 ]
"In other words, on the 13th when your troops entered the city, we had nearly all the civilian population gathered in a Zone in which there had been very little destruction by stray shells and no looting by Chinese soldiers even in full retreat."
(PDF)
*December 17, 1937 "International Committee for Nanking Safety Zone"

The New York Times : January 9, 1938 : REAL PHOTOS, FILMS TAKEN NANKING IN 1937-1938

上はニューヨークタイムズの1938年1月9日の記事。
翻訳はニューヨーク・タイムズ F・ティルマン・ダーディンの記事で読むことができます。
該当部分は

日本軍の占領の主要な犯罪は大規模な略奪であった。いったん地域が日本軍の完全支配下に入ると、そこの住宅はどこも日本兵の略奪がほしいままになされた。なにより先に食料が求められたようだが、高価な物はなんでも、ことに持ち運びの簡単な物を、勝手気ままに持ち去った。住宅に人がいる場合は強奪し、抵抗する者は射殺された。

市の南部および南西部から避難できなかった大勢の市民は殺害され、総計ではおそらく戦闘員の死亡総計と同数くらいにのぼるであろう。記者は日本軍が地域を掌握してからの市南部を訪れたが、一帯は日本軍の砲爆撃で破壊され一般市民の死骸がいたるところに転がっていた。

となります。
下は南京国際区安全委員会の第6号文書の一部で、翻訳は第6号文書 z9 - 思考錯誤アーカイブ & とほほがピースウォーク @wiki - アットウィキで読むことができます。
この一文だけでは誰が誰にあてたものなのかも文脈も分からない転載ですが、該当部分は

言いかえれば、13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが、同区内には流れ弾による極めてわずかの破壊しかなく、中国兵が全面的退却を行った際にもなんら略奪は見られませんでした。

となります。
では、この南京国際区安全委員会の文書は上記ニューヨークタイムズの記事を否定するものになるでしょうか?なるわけがありません。
南京国際区安全委員会の一般市民のほとんど全体を集めていたという認識は間違っており、安全区の外にも一般市民が残っていたことは知られています*1し、南京市街が日本軍の砲爆撃で破壊されたことと、日本軍が安全区を攻撃しなかったことにより安全区が流れ弾によるわずかな破壊しかなかったことは矛盾しません。むしろ、流れ弾の存在が日本軍の砲爆撃があったことを示しているというものでしょう。
そして、この転載部分の前後を読めば、この転載の悪質な切り取り具合が分かろうというものです。
以下に前後を含めて引きます。(「平常名」は「平常な」に修正)

ところが、不幸にも貴下の兵士は、安全区内で当方が秩序を維持し、一般市民のための諸サービスを続けることを望みませんでした。その結果として、我々が12月14日の朝まで続けていた秩序維持と必要 なサービス提供の体制は瓦解しました。言いかえれば、13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが、同区内には流れ弾による極めてわずかの破壊しかなく、中国兵が全面的退却を行った際にもなんら略奪は見られませんでした。貴下が当地区を平穏に接収し、かつ市内の他の部分が整備されるまで、そのなかで平常な生活が乱されることなく続けられる準備はすっかり整っていました。それだと、市内で完全に平常な生活を進めることもできたのです。このとき市内に居住していた27名の外国人全員も中国人住民も、14日いらい貴軍の兵士が行っている強盗・強姦・殺人の蔓延にまったく驚いています。

日本軍の兵士の所為で南京国際区安全委員会が行っていた「秩序維持と必要 なサービス提供の体制」が瓦解したこと。件の転載部分が「完全に平常な生活を進めることもできた」ことを説明するための前置きだったこと。日本軍の兵士による強盗・強姦・殺人が蔓延していたこと。こういうことを示す文の中であの一文だけを切り取ることで南京事件の否定に用いようとすることができる感覚。これは不誠実としか言いようがないと思います。
そして、その不誠実さはソースを確認すればすぐに判明するわけで、これでどれほどの英語圏の人々を騙すことができるというのでしょうか。まさしく知性に対する侮辱としか言えない切り取りだと思います。
日本の否定論者の相手がソースを確認しないことに対する信頼はいったいどれだけ海外で通用するのでしょうね。
KUIDAORE氏はヴォートリン日記からも以下を転載しています。

[ Diaries of Minnie Vautrin ]
December 8, 1937
"This evening we are receiving our first refugees - and what heartbreaking stories they have to tell. They are ordered by Chinese military to leave their homes immediately if they do not they will be considered traitors and shot. In some cases their houses are burned, if they interfere with the military plans. Most of people come from near South Gate and the southeast part of city."

December 9
"Tonight the flames are lighting the sky above the whole southwest corner of the city and during much of the afternoon we have seen clouds of smoke rising from every direction save northwest. The aim of the Chinese military is to get all obstructions out of their way - obstructions for their guns and possible ambush or protection for Japanese troops. McDaniel of Associated Press says he watched the fires being started with kerosene. The owners of these houses are the refugees who have been coming into the city in great crowds during the last two days."

December 10
"Fires have been seen around the city a good part of day, and tonight the sky to the west is aflame - the destruction of the houses of the poor just outside city wall."

(PDF) *Microfilmed collection of Vautrin papers includes her diary

該当部分の翻訳は「知恵ノート」は終了いたしました - Yahoo!知恵袋で読むことができます。

12月8日水曜日:夜、初めての避難民受入。南門付近や市南東部の人達が殆ど。中華軍、自宅からの即時立退きを命じ、従わないと反逆者と見做して銃殺。軍の計画を妨害すると、家が焼払われる事もあるとか。

12月9日木曜日:夜、南京市南西隅の空全体が火炎で照し出されている。午後は殆ど、北西以外の方角から濛々と煙が立ち昇る。中華軍の狙いは、総ての銃撃の邪魔や、日本兵に役立つ物を取り除く事。マクダニエル特派員は、中華兵が灯油を家に掛けて火をつけている所を目撃したと言う。この2日間、焼け出された人達が城内に大挙避難した。人々にこれ程の苦難を与えて迄もする価値があるのか疑問。

12月10日金曜日:日本軍、光華門のすぐ近くに。市街周辺各所で、殆ど一日中火災。夜は西の空が真っ赤。城壁のすぐ外側の貧しい人々の家が焼かれた。マギーによると、彼の邸宅は燻る焼跡の海に浮かぶ孤島のようだとか。

これはつまり、家屋の破壊や殺人は中国軍によるものだと言いたいのでしょう。
中国軍の清野作戦による家屋の破壊や略奪はよく知られていることです。
無論、このことは日本軍の砲爆撃による破壊を否定しません。
また、放火にしても行軍中の日本軍も放火していたこともよく知られていることです*2
京城区が南京市の一部であり、南京安全区が南京城区のそのまた一部であることを考えれば騙される筈も無い話です。
だいたい、ヴォートリン日記は資料:ヴォートリン日記に見る「殺害事例」資料:ヴォートリン日記に見る「連行事例」のような日本軍の行状も多数載っている本です。
つまり、こういう「情報戦」を行う人々はソースを確認した上で、日本軍の様々な行状を示すその内容の中から史実否定に役立ちそうな部分だけを切り取るということをしているということです。
これまた、相手がソースを確認しないことと相手の無知に対する信頼無しにはできない行為というものでしょう。
このような行為はある種の南京事件否定論者の不誠実さを証明しているだけというものです。
このような南京事件否定論者はその不誠実さゆえに歴史学的には問題にはなりませんが、ソースの切り取りぶりが示すその不誠実さゆえに説得不可能な相手だということも明らかでしょう。
こういう人々は無知ゆえに騙されて否定論を受け売りしているのではありません。不誠実さにより自ら否定論を作り出している人々なのです。

「蘭・バタビヤ法廷事件番号第二五号 三警事件資料」にはどういうことが書かれているか

私の一番恐れていた事件は、慰安所事件であった。
これは慰安婦の中には、スラバヤから蘭軍下士官の妻君五人の外、現地人七十人位をバリ島に連れてきた件である。
下士官の妻君五人は、終戦後直ちに送り返したが、スラバヤ着と同時に現住民に殺されたとのことであった。
この外にも、戦中の前後約四ヶ年間に200人位の婦女を慰安婦として奥山部隊の命により、バリ島に連れ込んだ。
私は終戦後、軍需部、施設部に強硬談判して、約七十万円を本件の工作費として貰い受け各村長を介して住民の懐柔工作に使った。
これが完全に効を奏したと見え、一番心配した慰安所の件は一件も訴えが出なかった。

「蘭・バタビヤ法廷事件番号第二五号 三警事件資料」より引用。供述者は元海軍兵曹長
現地調査などで裏を取らない限りは供述内容を完全に肯定することはできませんが、この供述が真とすれば、この慰安所事件は
・オランダ軍下士官の妻の他、現地人を慰安婦としたこと。
・その慰安所終戦時まで運営していたこと。
・軍部隊命で慰安婦を連れ込んだ例もあったこと。
慰安婦の連行形態または待遇あるいはその両方(加えて慰安所の設置自体も)は戦犯裁判的に懐柔工作で口止めしなければならないものだったこと。
を示しています。
また、この慰安所事件がいわゆるスマラン事件(白馬事件)とは別のものであることも明らかでしょう。

慰安婦問題で新談話を出すなら河野談話後に発見された資料の反映は当然ですよね?

結果として、今、私たちが目にする「官憲が」「人さらいのごとく」連行したことを示す公文書は、戦後の東京裁判やBC級裁判でこれらの犯罪が問われた記録や「慰安婦」裁判の判決である。植民地にされていた朝鮮半島での犯罪は、戦犯裁判の対象にはならなかった。しかし、1990年代に韓国の「慰安婦」被害者が提訴した3件の「慰安婦」裁判では、全てが事実認定されている。
日本政府・軍は、敗戦前後に文書を組織的に焼却したが、それでも「慰安婦」制度に関する日本軍・政府の関与を示す公文書は、河野談話(1993年)までに300点以上が公表された。一方、その後も研究者など民間の手によって重要な文書が発見されており、この20年余りに国内外の公文書館等で発見された資料は500点以上を数える。この中には戦後に実施された法務省による元戦犯への聞き取りで、200人にのぼる「慰安婦」を集めたことが罪に問われることを恐れた兵士が、日本軍の資金70万円を使って隠蔽工作をし、功を奏したとの証言記録も含まれている(文書5)。これらの新たな公文書は今年6月、安倍首相に宛てて提出されたが、政府はそれらを「慰安婦」関連の資料として認める気配すらない。

早急な被害回復措置を

「証拠がない」のではない。歴史の事実に向き合おうとする姿勢が欠如しているのだ。日本軍の責任を示す証拠はすでに十分ある。日本政府は「慰安婦」制度の事実と責任を認め、一人でも多く存命のうちに被害回復措置をとらなければならない。歴史の事実をなかったことにして自尊心を保つのではなく、「日本は過ちを認めて加害者としての責任を果たす」という姿勢が必要なのである。

DAYS JAPAN (デイズ ジャパン) 2014年 10月号P25より引用*1。引用文中の文書5は「蘭・バタビヤ法廷事件番号第二五号 三警事件資料」*2
慰安婦」制度に関する日本軍・政府の関与は多数の資料に裏づけられています。
河野談話後も資料の発掘と研究は行われており、「慰安婦」制度とその問題点はより確固な歴史学的事実となっています。
河野談話後の研究成果を反映しなかった第1次安倍内閣閣議決定*3は安倍政権の欲望を示す卑劣なものであり、恥を知らない行為というものです。
否定論者の「証拠がない」という言葉は彼らの不勉強あるいは選択的無知の証です。歴史学的事実を認めないために知ろうとしないなら、それは歴史上の加害の事実を認めるのに勇気を要すような欲望があり、そして勇気がないのです。
否定論者が「真実」と思っているものは、むしろ彼らの人権感覚の低劣さを示すものであり、それを公表することは、否定論者の願望とは真逆に、世界に恥を曝し日本を貶める行為でしかありません。
そのことは「THE FACTS」に対する各国の反応と非難決議*4が証明しています。
しかし、否定論者はその体験からすら学びません。何が問題視されており、どのように非難されたのかすら知ろうとも理解しようともしません。
慰安婦問題は世界が中韓だのサヨクだのに騙されているからではありません。そのように考えるのは各国の人々の知性に対する侮辱でしかありません。事実は否定論者が聞く耳を持たないのです。
否定論者が仲間内だけで通じる信仰の世界に閉じこもっているのであり、その有様は信仰に反することは書いてあっても読めないかのようです。
私は引用した記事の「歴史の事実をなかったことにして自尊心を保つのではなく、「日本は過ちを認めて加害者としての責任を果たす」という姿勢が必要なのである」という記述を実に真っ当なものだと思います。
しかし、否定論者がこういう記事を読んで改心することがありえるかと問われれば、絶望的だと思わざるをえません。
否定論は事実に対する理解の問題というより欲望の問題であり、自民族中心主義的な欲望が、それによる自己イメージを損なうような情報を拒否し続ける限り、改心は無理だろうと考えるからです。
彼らは元「慰安婦」を嘘吐きババアと呼ぶような下劣な行いを「愛国心」のもとに行い続けるでしょう。
ただ、仮に安倍政権が慰安婦問題で新談話を出すとして、それが河野談話後に発見された資料やそれに基づいた研究を反映したものであり、内容もより人権感覚に適うものであれば、それは否定論者に少なからぬ衝撃を与えるのではないかと思います。左派政権であれば衝撃を与えるどころか、むしろ否定論者には逆効果にしかなりえないでしょうが、安倍政権であれば否定論者の陰謀論の世界を破壊するような衝撃がありえるかもしれない。
………無理でしょうね。安倍政権がそんな談話を出すわけがありませんし、仮に安倍政権がそんな談話を出しても否定論者はより深い陰謀論の世界に籠るのではないかとも思います。こういう予想を裏切ってほしいと思いますが、まあ、ありえないでしょうね。
安倍政権は否定論が原因の非難や活動に対し「河野談話を踏襲している」と噛み合わない反応をし続けるだけでしょう。必要なのは否定論に対して見える活動で対処することなのに。
それは日本が国連から求められていることでもあります。

慰安婦」問題では、日本政府による実態の認識や被害者への謝罪、補償が不十分だと懸念を表明。(1)人権侵害の調査を終え、侵害に関与した責任者の処罰(2)真摯(しんし)な謝罪と適切な補償による「慰安婦」問題の永続的解決(3)「慰安婦」問題を否定する試みの糾弾―を日本政府に求めました。

国連差別撤廃委 ヘイトスピーチ 法規制を/日本政府に勧告 「慰安婦」謝罪など要求