戦争は「殺しに行くこと」と同じくらい「殺されに行くこと」

カマヤンさんの10/26の記事に対して思ったこと

戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫)は普通の人間が同族殺しに対してどれほど心理的抵抗を持つか如実に語っています。
戦争とは兵士になった人々に同族殺しの禁忌を犯させることであり、同時に相手に同族殺しの標的を与えることです。一部のサイコパスを除き、それは人の心を激しく傷つけます。
そして、「殺しに行くこと」と「殺されに行くこと」、どちらの度合いが強いかは兵士の置かれた立場によります。
太平洋戦争において米機動艦隊への攻撃を命じられた一式陸攻搭乗員は殺されに出撃したようなものでした。皆無といっていい防弾装備で機銃攻撃で容易に火を吹き撃墜されることから一撃ライターとも揶揄された一式陸攻は米軍の防空体制の前にろくに射撃位置にもつけずに撃墜されました。
同じく太平洋戦争において米軍のB-29搭乗員は殺しに行く側でした。強固なB-29が撃墜される可能性は低く、B-29の爆撃により多くの人が死にました。
近代戦の特徴は、科学技術の進歩によって安全な場所から一方的に攻撃できる立場にいる少数の人間が殺人の殆どの部分を担うということです。
大量殺戮を担う少数の人間になれる確率は低く、そういう意味ではカマヤンさんの「『殺す』側になる可能性より、『殺される』可能性のほうが、ずっと大きい」というのは真。
そして、安全な場所から一方的に攻撃できる立場にいない兵士にとって、戦場は「殺す人数より、殺される人数のほうが多い」場所でしょう。
ただ、「戦争は殺しに行くんじゃなくて、殺されに行くんだ」というのは必ずしも真ではありません。それは兵士の置かれた立場により変わるからです。
カマヤンさんが伝えようとする思いは理解できますが、論理的に厳密でない部分に引っ掛かりを感じました。
また、件の生徒の質問の答えにもなっていないように思いました。「戦争でいかに人を殺すか」と聞くその生徒の求める答えは「殺人方法」でしょうから。
カマヤンさんの言葉は「殺される立場」になって考えさせるという意味では良いものですが、その生徒には殺人に伴う精神的犠牲を教え、戦争は殺される側にはもちろん殺す側にとっても悲惨なものであることを伝えるべきだったのではないかと思います。
そういう教育が「殺しに行かない」だけでなく同朋を「殺しに行かせない」考え方を育むと思うからです。