不毛な言葉遊び

昨今、白燐弾が煙幕弾か焼夷弾か通常兵器か化学兵器かということが話題になっていますが、言葉遊びにすぎないと思います。
兵器が設計上の目的と異なる目的に使用されることは良くあること。
飛行機を墜とすための高射砲も水平撃ちすれば対戦車砲
対人使用が反則な筈の重機関銃や機関砲が対人使用されないということもありませんし、その手の弾丸を使用するために対人狙撃銃と名乗れないアンチマテリアルライフルが対人狙撃に用いられないということもありません。
兵器でないものの、例えば夜空に鮮やかな花を咲かす日本の花火も地上で誤爆すれば多数の死傷者がでることでしょう。
同じように、煙幕弾として用いられる白燐弾も相手に直撃させる形で使用すれば白燐の燃焼と化学反応(燃焼も化学反応の一種ですけどね)で相手を焼く焼夷弾
それがどのような形の死をもたらすかは多数の画像が物語る通りです。
「本来は煙幕弾であり通常兵器だ」という意見と「焼夷弾として使用されており白燐の化学特性から化学兵器だ」という意見の対立に私は意味を見出せません。
ただ言えることは、煙幕弾であろうが照明弾であろうが直撃させる形で使用すれば人を殺せますし、あのような形で生きながら焼かれるのは苦しみの多い死に方の一つということです。そして、それを「残酷」とか「人道に反する」とか感じるかは受け取る人間の心次第。(私にしてみれば通常兵器のナパーム弾もその「残酷」性に大した違いはありません。燃料気化爆弾だって空気中の酸素を燃やしつくし影響範囲内の人を窒息死させるわけで、その効果は「化学兵器」的です。通常兵器であっても大量の不発弾が「対人地雷」とかすクラスター爆弾の使用や玩具の形をしている子供を障害者にすることを目的とした対人地雷の使用は非人道的といえるでしょう。NBC兵器だから非人道的なのではなく、その性質上無差別殺戮兵器であるからNBC兵器は非人道的な兵器とされるのです。そして何が非人道的かを決めるのは人間。為すべきはNBC兵器か通常兵器かといった定義の問題で不毛な論争をすることではなく、ありのままの事実を示すことでその非人道性を示すことというものです。でなければ「非人道的通常兵器」による被害はなくならないでしょう。対人地雷禁止条約や特定通常兵器条約の例は通常兵器であっても非人道的なものは規制可能であることを示しています)
どのように言葉を弄ぼうと、米軍がイラクファルージャ白燐弾焼夷弾として使用した事実は変わりませんし、その結果、女子供を含む数知れぬ人々が死んだという事実も変わりません。
米軍の「ザルカウィ一派の殲滅」という作戦目標がまったく達成されていないという事実も変わりません。作戦の結果、ファルージャが廃墟とかしたという事実も変わりません。
侵略した側の人間が侵略された側の人間を虐殺したという事実に変わりありません。
米軍のファルージャ攻撃は都市無差別攻撃であったわけで、少なくとも過去の歴史における都市無差別攻撃と同程度には戦争犯罪であることに変わりありません。
第二次世界大戦において米軍による原爆使用と戦略爆撃による都市無差別攻撃を体験した日本。
その日本がこんな言葉遊びに終始していては犠牲となった人々も浮かばれないことでしょう。

追記

この記事は当時の私の無知による事実誤認が数多く含まれています。
あまりにもひどい部分については修正・削除しました。