差別への批判は差別か?平和主義者は平和のためにも争ってはならないか?
「しろはた」より
・いつも他人を差別したり嘲笑してる奴には近づかない
(他人の悪口は、中毒性があり、何も生み出しません。人生の浪費です)・やたら肩書きにこだわる人には近づかない
(劣等感が強いので足を引っ張られる)・一番危ないのは自称「正義の味方」タイプ
(悪を討たないと生きられないタイプ。いずれあなたが成敗されます)・小難しいことを言う奴・説教好きは、相手をしない
(自分を賢くみせようとする人や説教好きは、相手を支配しようとします)・自分を馬鹿にしたり軽蔑してる奴とはつきあわない
その結果友達が一人もいなくなっても構わない
(それは友達じゃなくて、主人と家来の関係です。
こういう人を遠ざければ、本当の友達ができることもあります)
本田氏はオタクに対する差別に対抗している人だけに最後の「自己批判」という言葉に重みがあります。
差別や嘲笑に対する批判といった対抗言論自体が、差別する側の人間に「差別」、「嘲笑」、「自称正義の味方」、「説教」という風に受け止められうることを知っている上での言葉ですから。
しかし、それは差別や嘲笑に対して言論で闘うのならば避けられないことです。
平和を望む者が、争いを望まなくても、好戦論に対しては言論で闘わねばならないように。
勿論、その闘いは言論として節度のあるものでなければなりませんが。本日の「産経SHOW」で指摘されているように。
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