「英霊たちの多大な犠牲」

歴史群像2006年10月号P154-155より引用。

見捨てられた戦場

絶対国防圏−。
それは昭和十八年(一九四三)九月に大本営が策定した”帝国戦争目的達成上、絶対確保を要する圏域”のことである。
簡単に言ってしまえば、少し戦闘地域を拡大しすぎたので、ここらで手堅い戦線だけでもしっかりと確保しておこう、ということだ。
海軍、陸軍それぞれに思惑があり、手仕舞いする地域については微妙な駆け引きを生むが、結局は九月三十日の御前会議において、この策定をもとにした新しい戦争指導方針が決定された。
絶対国防圏、といえば聞こえはいい。だが、確保する部分を縮小するということは、その外側は諦めるということである。死守すべき線の外側で戦っていた兵士たちは、文字どおり見捨てられた存在となる。
置き去りにされた兵士たち−。
元海軍陸戦隊、福山孝之もその一人であった。
「ひどい話だな、と思います。もう食料は送れないから自分たちで勝手に食べていきなさい、弾薬も送れないが、なんとかして死ぬまで戦いなさい、ということですよね。
およそ三〇万人の兵士が、見捨てられたことになります。たとえば東部ニューギニアには約一二万人の兵士がいましたが、終戦時に生きていたのはわずか八〇〇〇人です。一一万人は置き去りにされたまま死んでいったのです。
私のいたブーゲンビル島の場合でも、六万七五〇〇人いた兵士のうち、終戦時まで生存していたのは二万四五〇〇人。つまり四万三〇〇〇人が死んだわけです。しかし、その中で敵と戦って戦死したのは、およそ九〇〇〇人くらいです。あとの三万四〇〇〇人は非常に残念なことに餓死、もしくは病死でした……」
死者の八割近くが餓死か病死。
これが、絶対国防圏の外側に置き去りにされた兵士たちの真実である。
あと少しの食料さえあれば生き延びるはずの命が、次々と失われていった。わずかな薬さえあれば助かる命が、はかなく消えていった。
これはもう、上層部の判断ミスや作戦の失敗とは呼べない。端的に言って大量殺人そのものである。

昨日、Apemanさんとこを巡回してたんです。Apemanさんとこ。
そしたら日本人が「虐殺」なんてするはずない、だって? - Apes! Not Monkeys! はてな別館のコメント欄になんか香ばしい人がめちゃくちゃ涌いていたんです。
で、「世界でもっとも自由な発言が許されている社会は英霊たちの多大な犠牲の上に成立しているのです」なんて発言していたのですよ。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
あのな、お前は「英霊たちの多大な犠牲」が実際にどういうものだったのか知っているのかよ。ボケが。
得意げな顔をして何が「英霊たちの多大な犠牲」だ。
「英霊たちの多大な犠牲」と言ってみたいだけちゃうんかと問いたい、問い詰めたい、皇紀は2600年ですかそうですか、なら2600年問い詰めたい。
いいか、お前らが戦争責任追及の逃げ口上に用いる英霊はな、大部分は日本人に殺されたのだ。多くの英霊が戦地に見捨てられ飢えや病気で死んでいったのだ。日本人の日本人に対する大量殺人だったのだ。
「英霊たちの多大な犠牲」は感情に訴えかける言葉である一方、日本の不合理ぶりを端的に示す危険を伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあ、お前はきちんと資料を示して反論できるようになってから出直してきなさいってこった。


というような吉野家テンプレ的文章はさておき。
引用文が示すように数多くの英霊が戦争指導者の無計画のために死にました。まさに日本人の日本人に対する大量殺人。
こういうことを知っていれば「英霊たちの多大な犠牲」を過去を美化したり戦争責任追及を誤魔化したりするために使うなどということはできないと思うのです。真っ当な倫理観があれば。
まあ、ああいう人々にとっての「正しい歴史」には、そういう過去の事実は記載されていないのかもしれません。そして、「正しい歴史」に反することは、例え日本人が残した記録であろうと事実として認めることはできないと。