自称中道問題

自称中道が問題になるのは「中道など存在しえない」というような極端な発想によるものではありません。
中道や中庸は存在しえます。
自称中道の問題は、ある意味、他称ネット右翼の問題。
明らかに特定のイデオロギーに則った言動を行ないながら、中道を自称するから、「自称中道」と揶揄されるわけです。
例えばレイシズム歴史修正主義。これらは極右、しかもトンデモな部類に分類されるものです。
にも関らず、その手の発言を行なう人が中道を自称し、自らの発言内容からウヨクとかネット右翼とか呼ばれるのを嫌がる。こういう風に、客観的に見て中道ではないのに中道を自称するから自称中道と呼ばれるだけの話です。
で、そういう発言は保守からもリベラルからも中道からも非難されて当然なのに、自称中道な人は自らが極右トンデモ発言をしていることを自覚せずに、「中道である正しい自分」が非難されることへの自己憐憫に自己陶酔しているかのように振舞うわけです。こういう人を普通に中道と呼べるわけがありません。
そもそも「中道だから右からも左からも責められる」という認識が誤りというもの。中道だから右からも左からも責められるというわけではありません。主張が正しくないと判断されるから非難されるのです。
これは主張に対する非難を党派に対する非難とすりかえて認識する自称中道な人の意識構造の問題です。また、これは自称中道な人が自らの主張*1とは裏腹に非常に党派的思考に縛られていることも示しています。

自称中道な人が用いがちな論法も、彼らが中道に見えない理由の一つです。
自称中道な人は極端で非現実的な二分法や極端で非現実的な誇張や歪曲による荒唐無稽化といった論法を用いがちです。
極端で非現実的な二分法や極端で非現実的な誇張や歪曲は中道でも中庸でもありません。
自称中道に対する非難に対して「中道など存在しえない」というように思い込んでいると解釈し、その解釈に対して「中道は存在する」と反論するというのも、極端で非現実的な誇張や歪曲の例です。いわゆるわら人形論法ですね。

*1:「右も左もあるものか」とか