言ってもないことを読み取る人問題
昔から「一を聞いて十を知る」といいますが、人には少ない情報から残りの情報を補完する能力があり、そういう補完する能力が高い人は察しの良い人としてリアルでは高い評価を受けやすくなります。
しかし、ネットではそれが「言ってもないことを読み取る人」として非難されることがあります。
何故でしょうか。私はこれには「論法の問題」と「困った人の問題」が存在すると考えます。
論法の問題
「論法の問題」は誘導技術の問題です。
ある人(甲)が別の人(乙)をある結論に誘導したいとします。
しかし、甲は結論を直接述べて反論されることにより自らが傷つくことを望みません。
そこで古典的な相手に結論を出させる手法を使うわけです。
甲は乙に結論を導き出させるべく、いくつかの話をします。
これらの話で乙が結論を導き出せなかった場合、察しの悪いバカ扱い。
結論を導き出せて、誘導された結論を鵜呑みにしてしまった場合、察しの良い人扱い。
結論を導き出せて、誘導された結論に対して反論する人は「言ってもないことを読み取る人」扱いして非難。
いずれの結果でも甲が傷つくことはありません。
こういう保険をきかせた論法への対抗策は、例え察しの悪いバカ扱いされようと相手からしっかりと言質を取ることといったところでしょうか。
困った人の問題
「困った人の問題」は誤解や曲解の問題です。
ある人(甲)が別の人(乙)に別に含むところもなく、ある話をしたとします。
ところが乙は持ち前の誤解力もしくは曲解力あるいはその両方を発揮し、甲が主張したわけでもないことに噛みついてきます。
甲は困ります。
この場合、甲は純粋に被害者です。
こういうトラブルはリアルでもありますね。困ったものです。
両者の区別が大事
ここでの「言ってもないことを読み取る人」扱いされる人には、論法によって困った人扱いされる人と誤解や曲解で暴走する本当に困った人がいるわけです。
「論法の問題」の場合、困った人扱いされる人は論法の犠牲者。
「困った人の問題」の場合、困った人扱いされる人は自業自得。
言ってもないことを読み取る人問題では両者の区別が大事と私は考えます。鍵は話の誘導臭への敏感さでしょうか。
追記
組み合わせ的には「論法の人×困った人」なんてのもありえるわけで、そういうのは第三者視点であれば楽しめる場合もあるかもしれないなんて思いました。