自分は越える気も無いハードルを他人に押しつける人

今更ですが論座赤木智弘氏の記事についての話。
氏の文章構造は以下のようになっていると私は読みました。


1.私は苦しい経済弱者(状況)
2.ゆえに窮状を脱するための「国民全体が苦しみ続ける平等」としての戦争を望む(願望)
3.だが、他人が戦争で苦しむさまを見たくはない(同情)
4.だから私を戦争に向かわせないでほしい(譲歩)
(5).戦争になるのが嫌なら私の状況を解決することだ(要求)


(5)の要求は「言ってないこと」ですが、2の願望に対する4の譲歩から導き出されます。
「願望はこうだが同情により譲歩するから要求を呑め*1」というわけです。それは同時に「要求を呑まなければ願望を実現するぞ」という脅迫でもあります。
自分を同情し譲歩する側という優位で恩を着せる立場に置いての、自らの苦しい状況の解決の要求。これは、素直に「助けて欲しい」と言えないがゆえの「ツンデレ*2」、自らの誇りを護るための「強がり」でしょう。
しかし、赤木氏が本当にこういう要求をしているかは、氏が直接述べていない以上、憶測に過ぎないわけです。
ゆえに(5)の要求に対して応答することは「言ってないこと」に反応することであり、的外れな発言をする危険を冒すことになります。*3
それにも係わらず赤木氏が「言ったこと」に応え「言ってないこと」に応えないことが非難されるわけです。赤木氏の要求に応えるわけでもない人々*4からも。
赤木氏の「言ってないこと」である要求に応えていないので「戦争になっても窮状を脱することなんてできない」とか「そもそも『国民全体が苦しみ続ける平等』としての戦争なんてない」*5とか「戦争という願望を実現できる立場にいるわけではないので戦争という脅し文句には中身が無い」とかの具体的な常識論は自動的に的外れ扱い。「赤木氏が求めている解答はそういうことじゃない」というわけです。*6
私としてはそういう「赤木氏が求めている解答はそういうことじゃない」という人々こそ模範解答を示すべきだと思います。そう非難する人々は赤木氏が何を求めているのか良く分かっている筈ですから。


私としては、こういう経済弱者の問題解決の責任を「既存左翼」にだけ押しつけるような、問題に対する当事者意識を欠いているかのような非難自体が不当なものに思えます。
経済弱者の問題はその社会の構成員全体の問題というものでしょうに。


というか、民主主義国家の国家意思は基本的に(相互の妥協によって成立する)多数派が構築する(ことになっている)というのに、その責任を少数派でしかない「既存左翼」に被せ責めたてるという行為自体が私にしてみればナンセンス。経済弱者の問題解決を図る動き自体が成らないのは、それを望むのが(本音としてはともかく投票結果としても運動としても)少数派だからというもの。
そして、経済弱者の問題解決が多数派に成りえないのは、当の経済弱者な人の多くが問題解決に与しないからというものでしょうに。
もっとも、そういう人々自身が当事者意識を欠き、数的に問題を解決する力を持たない「既存左翼」に責任を被せて責めれば*7何か問題が解決するかのような勘違いをしているようでは、それも仕方がないことなのかもしれません。

*1:あるいはその要求を実現できないことに対する謝罪要求

*2:本当は助けて欲しいのに突き放すような態度を取っているから。

*3:たとえ的外れでなくとも憶測でものを語るというあまり論理的でないことをしなければなりません。

*4:単に他者を叩きたいだけの便乗叩きっぽい人も中にはいます。

*5:実に立派な臣民だ! - 非国民通信

*6:「ジャングルは地獄」

*7:あるいはそうやって貶めれば