知能が低いのは劣悪だ。知能が高いのは邪悪なので劣悪だ
人種差別や民族差別といった出自を理由にした差別では、差別を正当化するための理由の一つとして出自の能力的な優劣が用いられます。対象の出自自体を劣悪と見做し、その出自に属することをもって対象を劣悪と見做し、同じ人間と看做さないことで差別を正当化するわけです。
こういう能力比較は、相手を差別し見下すための理由探しが目的であり、対象を劣悪な存在と見做すという結論が先にあるわけで、対象の出自の能力評価が優れていようと劣っていようと差別の理由となります。
よって、知能が低いことが差別の理由とされるのは勿論、知能が高いことも差別の理由とされます。知能が高いことを「狡賢い」と表現することで。
「ユダヤ人は狡賢い」、「中国人はバカだ(社会問題などの場合)」、「中国人は狡賢い(「国際謀略」とか「情報戦」とやらについての場合)」*1
差別主義者の口からつむがれる醜悪な言葉たち。
差別の根拠として自らの相対的優秀性を示すためには能力的に相手が優れていることも差別の根拠としなければならないということです。
「知能が低いのは劣悪だ。知能が高いのは邪悪なので劣悪だ」というわけですね。別パターンとして「体力が低いのは劣悪だ。体力が高いのは野蛮なので劣悪だ」とか。食文化などの文化面のものは省略。
この種の差別主義者の論理では、自らを優秀と見做し相手を劣悪と見做すという結論が先に決まっているわけで、同じ事象でも行為者の出自により評価が正反対になったりします。
他国の謀略は狡賢さの証拠、その一方で自国の成功した謀略は素晴らしいインテリジェンスの成果というように。
本当に狡賢いのは誰だ?
不満を抱えていてその捌け口を求めている人や優越感を満たす機会が少ない人が、こういう差別を煽る言葉に惹かれやすい傾向があるわけですが、こういう差別を煽る言葉に染まるのはそういう人々だけではありません。
不安や恐怖や怒りや集団心理などの感情を操作する情報との計算された組み合わせは、より広範囲な人々を差別感情に染め上げることができます。
そして、そういう風にして不満の捌け口を自らが望む方向に操作することで利益を得るものも世の中にはいるのです。国民の目を「外敵」に目を向けさせることで内政問題から目を逸らさせたい政治家とか、差別感情を利用して相互対立を煽ることが商売繁盛につながる商人とか。
本当に狡賢いのは、そのようにして同じ人間の間に境界を作り差別を煽る連中というものです。
*1:支離滅裂なようでいて、いずれにしても相手を見下す根拠にしているという点において一貫しているわけです。