国民洗脳装置としての靖国

概念

政治も宗教も、ある種の中心的概念(自由、国家、神)を声高に叫ぶが、これらはあまりに抽象的なので、ここでは「霊的概念」と呼ぶことにする。霊的概念は極めて曖昧なので、しばしば個人によって解釈が大きく異なる(政治理論家は、自由や平等など政治的な霊的概念を「基本的に議論されたもの」であると言う〈2〉)。この曖昧さは、それについての合理的な議論を不可能にしており、そのような議論に加わる人達は事実上食い違った話をしていることになる。演説者は、自分達の計画や目的が細かなところでは非現実的であり、隠れた落とし穴やその他の悪魔的なものを含んでいることを覆い隠すため、あるいは、聴衆の感情的反応を引き出して、その議題に対する集中度を高めたりするために、そのような「輝かしい一般論」(3)を用いることが多い。抽象的で曖昧であると同時に、霊的概念は価値観を含んでいる(これについては第九章参照)。それ自体が極めて重要とみなされ、感情をためこんだ巨大な荷物のように現れて、信奉する人達の優越感を高める。

洗脳の世界―だまされないためにマインドコントロールを科学するP47-48より。

結果

一般的に、霊的概念は血塗られている。人間の命より重要視されるため、それらは、第一に結果が方法を正当化し、第二にその概念の最高権威を疑う者は人間ではないとみなす、というような経過を助長する(4)。言い換えると、ロバート・リフトンが記述しているように(第一章参照)、霊的概念は全体主義的思考を促進するのである。したがって、それらはテロ行為を正当化するために頻繁に用いられる。犠牲者や、それを見ているわれわれにとっては、人間が他の人間に対してそのような行為をすること、すなわち意識的かつ冷静に満員の飛行機を超高層ビルに突っ込ませたり、ホテルを爆破したり、子供の目を見ながら頭を撃ったりすることがどうしてできるのか想像できない。われわれは説明を求めて、邪悪、狂気、洗脳(コントロールする力を感じる場合)などの言葉を使うのである。われわれはまた、感情からテロに走るような明確な外的脅威がある場合には、敵意と時に抑圧感を持って反応する。

同書P48-49より。
人間の感情はある種の入力に対して高確率で定型的な自動的反応をしてしまいます。この本で「霊的概念」と呼ばれる自由・国家・神などの概念も、そういう自動的反応を引き出し、それにより人間を操作するために使われることがあります。
それは「人間の命より重要視される」がゆえに殺人や自殺攻撃を正当化するために用いられ、「疑う者は人間ではないとみなす」ことにより、それに逆らいにくい「空気」を作り、その「空気」が霊的概念に対する同調圧力や同質化圧力として働き、全体主義的思考を促進します。
私にとって靖国神社はそういう人間の感情の自動的反応を利用して国民を誘導操作するために構築された神社、国民洗脳装置です。
国民の英霊に対する思いから自動的反応を引き出し、国民を操作するために使われているからです。
私とて遺族などの靖国に祀られている英霊に対する思いは分からないでもありません。
私自身、親族や個人的に尊敬する軍人が靖国神社に祀られていることに対し、そういう人々に対する思いから靖国に対して尊崇の気持ちが湧き上がってきますから。
しかし、それこそが狙いどおりの反応。
そういう死者に対する感情による人間の定型的な自動的反応を利用して誘導操作されてしまっているのです。
誰に?
戦争において国民に命を奉げさせるための手段として靖国を考えだした人々と、未だに国民感情の支配手段として靖国を利用しようとしている人々に。
私にしてみれば、そういう霊的概念を操る側の思いのままに「自分で考えて」行動させられてしまうというのは自らの精神を侵略される行為。許すことはできません。
私はそういうようにして自分の感情を支配されることを望みません。
ゆえに靖国を否定します。

人間はかなりの程度まで、期待通りに行動する。国民を奴隷や子供のように扱う国家に比べて、国民が政治的に洗練され、理性的に成熟し、社会的に責任ある個人であることを望む国家は、そのような国民を育てる可能性が大きい。教育と経済的自由、政治的自由、そして他の人々に関する情報を隠さず広めることはいずれも、その自由を喜びとみなし彼らの利益をより広く共有する心構えのある国民の育成を促進する。FACETのようなリベラルな方法に問題がないわけではないが、それによって意見が自由に交わされ、生活の質が高められ、――本書が中心的問題としてきた――霊的概念の害悪が最小限に抑えられることで、洗脳のような虐待は行われにくくなる。全体主義的思想は、追従者に約束してきた報酬を与えることに繰り返し失敗してきた。全体主義的概念の魅力を減らすよう努力することは、マインドコントロールのような悪意に満ちた考えから人々を切り離し、その代わりに個々人の自由を強調してマインドコントロールの夢に従う誘惑にかられる人達を攻撃することになる。
これはすべて新しいことではない。われわれはその技術や知識、そして、たとえ現在の限られた資源(特に発展途上世界)の中にあっても最も重大な問題の一部を解決できる能力を持っているか、簡単に獲得できる。十分な動機、十分な政治的意思があれば、われわれは自分達の社会を――完璧にではなくても――進歩させることができる。確かに、少なくともわれわれは世界から、朝鮮の捕虜キャンプやジョーンズタウンのような恐怖を一掃することができる。その目標への最初のステップは、われわれが保持し守っている信念を理解し、それらの力、危険性とそれらを変えるための方法を理解することである。

同書P351より。
社会心理学脳科学といった知識はマインドコントロールに利用される知識である一方、それらの知識により人間が自分自身の感情の仕組みについて知ることはマインドコントロールを無効化するためにも使うことができます。
人間は感情の自動的反応を利用する技術についての知識を広めるようにすることで、霊的概念の害悪を無くすことは無理でも、それを最小限にすることはできるというものでしょう。
そうすることは人間の社会を扇動政治やカルトや悪徳商法などの害悪から護り、人間の社会をより進歩させる力になると思うのです。