「テレビを見ながらの独り言」が可視化可能*1な時代、「独り言」自体が「番組」として消費される時代

「他人に読まれる為の文章」以外に対する反応を僕は想定しきれていなかった。 - シロクマの屑籠
言及しましたね。とかなんとか。
うーん、その推定は間違いです。ヒールだなんて思っていませんし、「同じ日に書いた記事に対する反応への皮肉ととった」わけでもありません。
私は届かない手紙 - シロクマの屑籠をシロクマさんの「テレビを見ながらの独り言」と解釈しました。
で、そういう「独り言」を見て私はこういう風景を連想しました。

シロクマプロデューサーは自ら「番組」を製作して「放送」する一方、自らが「テレビを見ながら番組の内容に対して独り言を言う姿」もコンテンツとして「放送」している。
シロクマプロデューサーがどういう「番組」を見ているかは直接は見えないものの、はてなブックマークやアンテナからある程度は窺い知ることができる。

で、私はそうして「放送」された「独り言」を「番組」として消費し、その「番組」に対して「独り言」を言ったというわけです。

「あなた達の振る舞いをみていると、実に退屈しませんね。」

という「読んでいないであろう誰か」に対するメタ視点での「独り言」に対しての、さらにメタ視点での「独り言」
この言葉を「誰かに対する皮肉」と解釈したのは推測に過ぎないわけですが、鉤括弧で括られたその言葉は「呆れかえっての慨嘆」に見え「読んでいないであろう誰か」に対する皮肉以外の可能性は低いように私には思われましたので、そう表現しました。
その上で、ネットにああいう風に公表している以上、「読んでいないであろう」というのは予断に過ぎなくなるわけで*1、その「脇の甘さ」*2が面白く、ああいうブクマコメントを書いたわけです。
書き方的にメタ視点の持つ「上から目線効果」がシロクマさんの神経を逆撫でした面があると思いますので、その点についてはお詫びします。
「想定外の反応」であったことに関しては、「独り言」を可視化するか否かは選択できるわけで、ああいう風に可視化した時点で「番組」として消費されることは仕方がないのではと思います。私の「独り言」が「番組」に取り上げられ、本人の考えとは違う形で解釈され消費されたことと同様に。

それはさておき

しかしですね、その想像力で僕を突っつくんならもっと素早く踏み込むべきだった。せめて9/21の夕方までに書いていれば、訴求力高かっただろうに。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20070921/p2

というような、時間による訴求力の変化がどういう「力学」によってもたらされているのか、さっぱり意味不明で、なんか面白かったです。

*1:そうでなくても自意識過剰な無関係な誰かが「俺のことかーっ」と安い魚になったりするかもしれません。

*2:そういう部分が大好きなんです。ヒールだなんて思っているわけではなく、私が邪悪なんです。