そういうのを論点ずらしという

勝敗が決した戦場で幽霊と闘うのは誰?獲物を求めて彷徨う亡者は誰? - 想像力はベッドルームと路上からに対するお返事。

「詭弁として機能する」という部分はまさに問い立てした僕自身が「左派の正当性は明らか」という前提を繰り返し示してる時点でクリアされることではないかと思うのですが。その先でこの問いを「悪用」する輩には都度指摘すれば済む話ではないですか?
逆に、その「前提の提示」すら認めないというのであれば、「何かを問う」ことは果てしなく困難な作業になります。これはつまり「問うな」と要請しているに等しい。それには同意できません。

という言葉は、「勝敗」自体がどうでもいい - 模型とかキャラ弁とか歴史とかで書いた

「正しさ」と「支持」は別問題。勝手に混ぜないでください。「言いがかり」に対しては「正しさ」の証を立てることが必要。それに「支持」を絡めて「運動における勝敗」に論点をすりかえているから詭弁と批判しているのです。きちんと読むように。

が読めてないとしか思えません。
inumash氏が「左派の正当性は明らか」という前提を繰り返し示していようが、私の批判には関係ありません。
論点を正誤から勝敗にすりかえる詭弁 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかで「lovelovedog氏の記事と同然」と評したわけですが、その意味が分かってないようですね。

正しいことを言っているのに、なんで信者は増えても広がりがないのか、について、反・歴史修正主義者の人たちは考え直してみるといいと思います。

なぜニセ科学を叩く人は一般にヘンな目で見られないで、歴史修正主義者を叩く人はヘンに見られるのか - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

というようにlovelovedog氏も反・歴史修正主義者の正しさを認めているわけです。認めた上で「支持」を絡めて「批判」して反・歴史修正主義者を貶めているわけです。
もう説明したはずです。

論点を正誤の問題から運動における勝敗の問題にずらし、lovelovedog氏は勝利宣言をし、inumash氏は左派の一人として敗北宣言をし、運動論についてお説教。正しいことを言っていても、支持を広げられないのは運動の仕方に問題があるからという自己責任論。そうやって引き合いに出した対象を(結果として)正誤ではなく運動における勝敗の点から貶めるわけです。
言いがかりをつけられて貶められ、それに対し正誤において正であることの証を立てる必要に迫られ、いざ、正であることの証を立てれば、今度は「勝敗において負けている」ことをもって貶められる理不尽。
私はそういう理不尽を批判しているのであり、それにinumash氏の立場は関係ありません。

というように。
よって、

ですが、自ら「左派の正当性は明らか」と勝利宣言しておきながら、D_Amonさんはその戦場から移動しようとしない。そして、僕の問い立てを全て「正誤の戦場」で判断しようとする。僕が「左派の正当性は明らか」という勝利宣言に同意しているにも関わらず、まだその戦場で僕と闘おうとしている。

というのは誤読としか言いようがないですね。
この件に関しては、決着がついてもう戦う必要はないのにinumash氏が「支持」に論点をずらして戦いを引き延ばしたのであり、「こういう無益な問いの応酬」を引き起こしたのはinumash氏。
そして、自ら「こういう無益な問いの応酬」を引き起こしておいて、今度はその責を私に転嫁しようとしているわけです。話になりませんね。
決着がつきもう戦う必要は無いのに論点をずらして戦いを引き延ばした当人が、「自浄能力」と同じくらい便利に使われる「内輪揉めはいけない」論で逃亡宣言をするに至ってはなんともはや。「周囲の支持を削ぐ」なんてどの口が言うのでしょうね。
逃げるのは構いませんよ。私も追いませんから。ただ、逃げる以上は二度と蒸し返さないでくださいね。


なんというか、私としては、こういうどうしようもない論点ずらしも「情緒に訴えかける手法」に弱い人にはそれなりに効果があることの方が悲しいです。