何が批判されていたのか

歴史の教訓とすべき人類史の悲劇が大袈裟な罵倒と解釈されてしまう件 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかの続き。


では、ここではてなで始まった福祉と経営とトリアージホロコーストを巡る論争で福耳先生(id:fuku33)は何を批判されていたのかを復習してみましょう。
件の記事に福耳先生が何を書いたかを考えれば明らかだと思うのですが、批判されているのはトリアージ自体でも経営学自体でもありません。
救命という人道を目的としたトリアージを題材としながらリソース不足で切り捨てられる人に対する人道性の発露である「かわいそう」という反応をとことん罵倒し「この大学のOGが、福祉業界に入って数年で燃え尽きてしまう」原因が(その厳しい労働条件にではなく)「全体最適というコンセプト自体が頭の中にない」ことにあると判断する(ドラッカー的な意味での経営学の自殺である)福耳経営学なんですね。
http://d.hatena.ne.jp/Rir6/20080525/1211664691
もちろん、極限状況下での救急救命のためのトリアージではリソース不足のために切り捨てざるをえない人がいるわけですが、リソース不足で切り捨てられる人がいることと切り捨てられる人を「かわいそう」と思うことは別に矛盾しないわけで、福耳先生が消し去ろうとした言葉のように罵倒される筋合いはないわけです。
この件に関しては福耳先生自身が大いに反省し釈明行脚を行ったので、もう終わったことです。
私は腹黒いので、時折見かける福耳先生のブックマークやスターの傾向を見ると「あの釈明は口先だけの奇麗事で本当にそう思っているわけではないのではないか」なんて思ってしまうのですが、多分、気のせいでしょう。
福耳先生におかれましては、そういう、もう終わった話が今頃になっても持ち出されるのはお気の毒なことだと思います。
で、今残っている問題はそういうトリアージの不適切使用に対する批判にホロコーストを持ち出すのが妥当かどうかということです。
これに関してHALTAN氏を中心に妥当ではないと批判されているわけですね。
私は救急救命のためという条件を外して全体最適のためにトリアージを目的外使用することへの批判にホロコーストを持ち出すことは、ホロコーストもまたリソース不足の解決方法だったことを考えれば妥当と思うのですが、HALTAN氏はそうではない様子。
ただ、これはホロコーストに関する前提知識が共有されていないことと、「意図するところ」と「意味するところ」の区別がなされていないことが大きいためと思います。
HALTAN氏のホロコーストに対する認識といえば、

ただホロコーストについて言えば、「優生学はなぜ否定されねばならないのか?」という問題でしょうし、全体主義については、「そうは言っても、言論人やジャーナリズムも大衆も(少なくともある時点では)熱狂したんだからどうしようもないでしょ?」問題になるんじゃないですかね?基本的には別筋だと思うんですが。

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080525/p1

というようなものなわけで、ホロコーストもまたトリアージと同じくリソース不足の解決方法だったという認識はないようなんですね。それは、こういう認識ではホロコーストを持ち出した意図は理解できないと思います。
まあ、今の問題はそういうことを多くの人から説明されても理解することを拒否していることなんですが。
あとは、あれですね。ナチスホロコーストという言葉は、相手をナチスのような意図をもっている人とレッテル貼りするために用いられているのではなく、そういう風にトリアージの制約を外してリソース不足の解決方法として目的外使用することが意味するところはリソース不足の解決において「ドイツ民族の繁栄」を人道より優先したナチスと同じになってしまいますよ、ということなんですね。
まあ、コミュニケーションにおいて誤解が発生するのは仕方がない面があるわけですが、理解することを拒否することは心の持ちようで避けられるのではと思います。