ぶざまな姿でがっかりさせないでほしい

twitterではこう主張していた藤田直哉氏。

このエントリは色々理屈が破綻している。
http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20081209/p1

http://twitter.com/naoya_fujita/status/1047859549

しかし、そのような発言をしておいて、追記に対する反論である
http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20081210/p1
に対してまともな反論はせず。

倫理というより言葉の定義の問題ですね。
知識人は確かな知識に基づいて知性的な言動を行う人というものでしょう。
一知半解の知識で適当なことを吹くような反知性的な言動を行う人を知識人とは言いません。普通は愚か者扱いされるでしょうね。藤田氏の場合、それは「「一般大衆」の代弁者として偽悪的に振舞」っているがゆえのことなわけで、藤田氏にとっての「一般大衆」はそういう愚か者ということでしょう。

http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20081210/p1

に対する反応と思われるものがこれ。

しかし、僕は「知識人」なのか。ある人の定義からすると「(南京事件に対して)知識人は確かな知識に基づいて知性的な言動を行う人というものでしょう。一知半解の知識で適当なことを吹くような反知性的な言動を行う人を知識人とは言いません」ということなのだが、じゃあ俺は知識人じゃなく「大衆」ということになるが、「大衆」であるといってしまうとまた責められる。結論として「彼らの気に入る内容を言わなければ知識人ではない」という結論になり、さらに「大衆」であることにも責められる。こんな無茶な理屈に付き合う気はない。

http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20081208/1228726052

一般論として言っている「知識人は確かな知識に基づいて知性的な言動を行う人というものでしょう」の前に「(南京事件に対して)」を加え「一知半解の知識で適当なことを吹くような反知性的な言動を行う人を知識人とは言いません。普通は愚か者扱いされるでしょうね。藤田氏の場合、それは「「一般大衆」の代弁者として偽悪的に振舞」っているがゆえのことなわけで、藤田氏にとっての「一般大衆」はそういう愚か者ということでしょう」の文の最初だけを切り取ることで文脈上の意味が変わるように引用。
あー、なんかよく見た手口だなあ…*1
私は別に藤田氏のことを知識人ではないと言っているわけではありませんね。
藤田氏は自分がそういう主張をするのは「「一般大衆」の代弁者として偽悪的に振舞」っているがゆえと主張していたのですから、その主張が知識人のものではなく藤田氏の考えるところの「大衆」のものとなるのは当然のことではないですか。
自ら「大衆」を演じておいて、その発言が「知識人」として扱われることを求めるわけですか。
あと、私は藤田氏が「大衆」であるとしても、そのことを責めたりしませんけどね。
知識人にあるまじき言動をする人が知識人を自称したりするようなことがあれば、それをおかしがったりするかもしれませんが。
正直、私は理屈の破綻をびしばし指摘してくるような反論の応酬を期待していたのですが、結果はあまりにも杜撰な曲解を使用しての藤田氏の逃亡だったわけでがっかりです。
「僕は「反・反歴史修正主義者」になる」とのことですが、はいはいそうですか、好きにすればいいと思いますよ。よく知りもしないのに知ったかぶった発言をして墓穴を掘る迂闊な人なんて世の中にありふれていて、そういう人が自ら墓穴を掘っておいて逆ギレするのもありふれていて、とりたてて特別なことはありません。充実した反論の応酬を期待していた私ががっかりというだけのことです。

*1:歴史修正主義者の典型的史料歪曲手法とそっくり