「普通の人」は軽い気持ちで人をバカにするものです

そして、軽い気持ちでやったことゆえに、自らが人をバカにした根拠が出鱈目だと分かると「悪気はなかった」と開きなおり、そういう軽い気持ちでバカにされた人の怒りを理解しようともしないのです。むしろ、軽い気持ちで人をバカにしたことを問いただされると逆ギレするのです。
そういう軽い気持ちで人をバカにする「普通の人」はたくさんいます。


南京事件否定論のときは「人口20万人のところで30万人は殺せない。そんな簡単なことも分からずに南京事件があったと言うような連中はバカ」といった感じで。
それは「人口20万人のところで30万人は殺せない」は論理的に正しいですが、南京事件がそういう事件かといえば、そんなことはなく、この手の否定論の決まり文句の方が出鱈目なわけです。
それなのに「普通の人」はそういう出鱈目に安易に乗っかって軽い気持ちで人をバカにし、南京事件否定論を否定する人や南京事件の証言者を嘘つき呼ばわりしたり洗脳された人呼ばわりしたり外国人の手先呼ばわりしたり金目当ての汚い連中呼ばわりしたりして非道い罵倒の言葉をあびせたわけです。


白燐弾報道のときは「白燐弾に焼夷効果はない」「白燐弾の焼夷兵器としての使用はありえない」「白燐弾の対人使用はありえない」とかいう人々が、白燐弾報道をデマ呼ばわりし、被害者の悲惨な状況を伝える現地からの報道に対し「超兵器プギャー」という感じで笑い飛ばし、証言者や報道機関や報道内容を紹介した人を嘘つき呼ばわりしたりデマゴーグ扱いしたりしてバカにしたわけです。歴史的に見れば、そういう白燐弾の用法を否定する方が出鱈目なんですけどね。


軽い気持ちで人をバカにした「普通の人」にしてみれば、軽い気持ちゆえに、自らが人をバカにするために乗っかった主張が出鱈目と分かった時点で、それはどうでもいいことになるのかもしれません。
でも、それで被害者の悲惨な状況を伝える現地からの報道を笑いものにしてきた人々の行為の結果が消えるわけではないのです。
現実の悲惨な出来事について人々が知ることを妨げたという事実が消えるわけではありませんし、そういう風にしてバカにされた人々の悲しみが消えるわけでもないのです。