とある南京事件否定論者の英語での「情報戦」

KUIDAORE氏という人は転載記事をこのように並べれば南京事件を否定できると思っているようです。

[ The New York Times : January 9, 1938 ]
"Wholesale looting was one of the major crimes of the Japanese occupation. Once a district was in their full control, Japanese soldiers received free rein to loot all houses therein. [...] Occupants of homes were robbed and any who resisted were shot."

"Many Chinese civilians who failed to leave the southern and southwestern sections of the city were killed, the total probably running as high as the total of military dead. This writer, visiting the South City after the Japanese had occupied the area, found sections of it almost demolished by Japanese shelling, and Chinese civilian dead were lying everywhere."

[ Documents of the Nanking Safety Zone : December 17, 1937 ]
"In other words, on the 13th when your troops entered the city, we had nearly all the civilian population gathered in a Zone in which there had been very little destruction by stray shells and no looting by Chinese soldiers even in full retreat."
(PDF)
*December 17, 1937 "International Committee for Nanking Safety Zone"

The New York Times : January 9, 1938 : REAL PHOTOS, FILMS TAKEN NANKING IN 1937-1938

上はニューヨークタイムズの1938年1月9日の記事。
翻訳はニューヨーク・タイムズ F・ティルマン・ダーディンの記事で読むことができます。
該当部分は

日本軍の占領の主要な犯罪は大規模な略奪であった。いったん地域が日本軍の完全支配下に入ると、そこの住宅はどこも日本兵の略奪がほしいままになされた。なにより先に食料が求められたようだが、高価な物はなんでも、ことに持ち運びの簡単な物を、勝手気ままに持ち去った。住宅に人がいる場合は強奪し、抵抗する者は射殺された。

市の南部および南西部から避難できなかった大勢の市民は殺害され、総計ではおそらく戦闘員の死亡総計と同数くらいにのぼるであろう。記者は日本軍が地域を掌握してからの市南部を訪れたが、一帯は日本軍の砲爆撃で破壊され一般市民の死骸がいたるところに転がっていた。

となります。
下は南京国際区安全委員会の第6号文書の一部で、翻訳は第6号文書 z9 - 思考錯誤アーカイブ & とほほがピースウォーク @wiki - アットウィキで読むことができます。
この一文だけでは誰が誰にあてたものなのかも文脈も分からない転載ですが、該当部分は

言いかえれば、13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが、同区内には流れ弾による極めてわずかの破壊しかなく、中国兵が全面的退却を行った際にもなんら略奪は見られませんでした。

となります。
では、この南京国際区安全委員会の文書は上記ニューヨークタイムズの記事を否定するものになるでしょうか?なるわけがありません。
南京国際区安全委員会の一般市民のほとんど全体を集めていたという認識は間違っており、安全区の外にも一般市民が残っていたことは知られています*1し、南京市街が日本軍の砲爆撃で破壊されたことと、日本軍が安全区を攻撃しなかったことにより安全区が流れ弾によるわずかな破壊しかなかったことは矛盾しません。むしろ、流れ弾の存在が日本軍の砲爆撃があったことを示しているというものでしょう。
そして、この転載部分の前後を読めば、この転載の悪質な切り取り具合が分かろうというものです。
以下に前後を含めて引きます。(「平常名」は「平常な」に修正)

ところが、不幸にも貴下の兵士は、安全区内で当方が秩序を維持し、一般市民のための諸サービスを続けることを望みませんでした。その結果として、我々が12月14日の朝まで続けていた秩序維持と必要 なサービス提供の体制は瓦解しました。言いかえれば、13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが、同区内には流れ弾による極めてわずかの破壊しかなく、中国兵が全面的退却を行った際にもなんら略奪は見られませんでした。貴下が当地区を平穏に接収し、かつ市内の他の部分が整備されるまで、そのなかで平常な生活が乱されることなく続けられる準備はすっかり整っていました。それだと、市内で完全に平常な生活を進めることもできたのです。このとき市内に居住していた27名の外国人全員も中国人住民も、14日いらい貴軍の兵士が行っている強盗・強姦・殺人の蔓延にまったく驚いています。

日本軍の兵士の所為で南京国際区安全委員会が行っていた「秩序維持と必要 なサービス提供の体制」が瓦解したこと。件の転載部分が「完全に平常な生活を進めることもできた」ことを説明するための前置きだったこと。日本軍の兵士による強盗・強姦・殺人が蔓延していたこと。こういうことを示す文の中であの一文だけを切り取ることで南京事件の否定に用いようとすることができる感覚。これは不誠実としか言いようがないと思います。
そして、その不誠実さはソースを確認すればすぐに判明するわけで、これでどれほどの英語圏の人々を騙すことができるというのでしょうか。まさしく知性に対する侮辱としか言えない切り取りだと思います。
日本の否定論者の相手がソースを確認しないことに対する信頼はいったいどれだけ海外で通用するのでしょうね。
KUIDAORE氏はヴォートリン日記からも以下を転載しています。

[ Diaries of Minnie Vautrin ]
December 8, 1937
"This evening we are receiving our first refugees - and what heartbreaking stories they have to tell. They are ordered by Chinese military to leave their homes immediately if they do not they will be considered traitors and shot. In some cases their houses are burned, if they interfere with the military plans. Most of people come from near South Gate and the southeast part of city."

December 9
"Tonight the flames are lighting the sky above the whole southwest corner of the city and during much of the afternoon we have seen clouds of smoke rising from every direction save northwest. The aim of the Chinese military is to get all obstructions out of their way - obstructions for their guns and possible ambush or protection for Japanese troops. McDaniel of Associated Press says he watched the fires being started with kerosene. The owners of these houses are the refugees who have been coming into the city in great crowds during the last two days."

December 10
"Fires have been seen around the city a good part of day, and tonight the sky to the west is aflame - the destruction of the houses of the poor just outside city wall."

(PDF) *Microfilmed collection of Vautrin papers includes her diary

該当部分の翻訳は「知恵ノート」は終了いたしました - Yahoo!知恵袋で読むことができます。

12月8日水曜日:夜、初めての避難民受入。南門付近や市南東部の人達が殆ど。中華軍、自宅からの即時立退きを命じ、従わないと反逆者と見做して銃殺。軍の計画を妨害すると、家が焼払われる事もあるとか。

12月9日木曜日:夜、南京市南西隅の空全体が火炎で照し出されている。午後は殆ど、北西以外の方角から濛々と煙が立ち昇る。中華軍の狙いは、総ての銃撃の邪魔や、日本兵に役立つ物を取り除く事。マクダニエル特派員は、中華兵が灯油を家に掛けて火をつけている所を目撃したと言う。この2日間、焼け出された人達が城内に大挙避難した。人々にこれ程の苦難を与えて迄もする価値があるのか疑問。

12月10日金曜日:日本軍、光華門のすぐ近くに。市街周辺各所で、殆ど一日中火災。夜は西の空が真っ赤。城壁のすぐ外側の貧しい人々の家が焼かれた。マギーによると、彼の邸宅は燻る焼跡の海に浮かぶ孤島のようだとか。

これはつまり、家屋の破壊や殺人は中国軍によるものだと言いたいのでしょう。
中国軍の清野作戦による家屋の破壊や略奪はよく知られていることです。
無論、このことは日本軍の砲爆撃による破壊を否定しません。
また、放火にしても行軍中の日本軍も放火していたこともよく知られていることです*2
京城区が南京市の一部であり、南京安全区が南京城区のそのまた一部であることを考えれば騙される筈も無い話です。
だいたい、ヴォートリン日記は資料:ヴォートリン日記に見る「殺害事例」資料:ヴォートリン日記に見る「連行事例」のような日本軍の行状も多数載っている本です。
つまり、こういう「情報戦」を行う人々はソースを確認した上で、日本軍の様々な行状を示すその内容の中から史実否定に役立ちそうな部分だけを切り取るということをしているということです。
これまた、相手がソースを確認しないことと相手の無知に対する信頼無しにはできない行為というものでしょう。
このような行為はある種の南京事件否定論者の不誠実さを証明しているだけというものです。
このような南京事件否定論者はその不誠実さゆえに歴史学的には問題にはなりませんが、ソースの切り取りぶりが示すその不誠実さゆえに説得不可能な相手だということも明らかでしょう。
こういう人々は無知ゆえに騙されて否定論を受け売りしているのではありません。不誠実さにより自ら否定論を作り出している人々なのです。