長期拘束はそれ自体が洗脳手段となる

洗脳の科学」P47-52より。

洗脳を行なう場合、コミュニストたちは、なんとか生き延びていくには足りるが、人の脳が効果的に機能するには不十分な量の食べ物しか与えない。実際、この戦略は全市民に対して使われることさえよくある。理由は簡単明瞭だ。腹を空かしている人々は、騒ぎを起こさない。腹を空かしている人々は、抑圧に対して無批判な反応をする。これはソビエト人が発見したことだが、飢えによって人は死ぬまで自発的に働こうとするものなのだ。さらに重要なのは、飢えることで、あらゆる道徳観念が破壊され、人は自分の仲間とも憎むべき弱肉強食の競争へと駆り立てられてしまう。飢えが現実を非現実的なものに変えてしまい「いけにえ」はさらに暗示にかかりやすくなるのである。
長期間に及ぶ疲労というものも、コミュニストが使う洗脳の一要素である。疲労による効果はまったく猛烈なものとなる場合がある。かっきり一時間でいいから、まったく動かずに壁に向かって立つというのを一度やってみればその効果がよく分かるだろう。洗脳を受けつつある「いけにえ」は、丸一日中おそらく昼も夜もなくフラフラになって倒れるまで、こんなことをやらされているといっても過言ではない。あるいはまた、両腕を目の前か真上にめいっぱい伸ばした状態で丸一昼夜ひざまずいている、といったことも試しにやってみるといい。実際には、たぶん次の日もたった一時間の睡眠しか与えられずにこれが続くのである。
疲労と不眠というのは、一体のものとして行なわれている。まったく寝ないでも、数日間なら生きていられるだろう。だが、よく知られているように、長期間寝ないでいると、妄想を起こしたり精神に異変をきたすような、異常な状態に陥ってしまう。最も明晰な精神状態というのは、眠らせないで無理矢理起こしておくなどというようなこととは対極にある状態でこそ実現できるものなのだ。こういった「筋書き」に加え、トイレに行くときでさえ「いけにえ」は絶えず見張りに監視しつづけられるのだから、ついには自分を逮捕した人間の要求にはどんなことでも従ってしまうようになる、というのも容易にうなずける。
この種の拷問には一定の手順があるもので、無計画なやり方では決して目的は達せられない。無力な被害者には自分の環境をどうすることもできないので、彼は自分を捕えた者のなすがままになる。尋問者は、事実上眠っていられないような情況をつくりだす。早晩、「いけにえ」はうたた寝をし始めるはずだが、うたた寝している時も、眠りは落ち着きのない不満足なもので、鈍く、朦朧とした状態であることが多い。そんな時に、看守はいつとなく起こしにきたり、あるいは一時間かそこらだけ眠らせておいたりするのである。
この拷問が最悪の形態をとった場合、身体中の細胞が眠りを求めて絶叫するような、死んだのかと思えるような眠りに就かせるというようなことをする。そしていったん完全なまどろみに落としておいてから、荒々しく叩き起こして、またひとくさり尋問に連れ戻すのである。金切り声を出せるほど休養十分の尋問者のチームに、交替で責め立てられる。嘲笑されたり、バカ呼ばわりされたりする。あるいは「善玉役」と「悪玉役」に別れてアプローチをかけてくるというやり方も使われる。こういった扱いを受けた末に「いけにえ」が急死することがあるのはよく知られていることだが、そういう場合、担当している一〇人〜一六人の尋問チームは、任務を完遂しなかったという理由で降格されたりする。
緊張を強いるというのも、ひとつの「武器」になる。自分がいつまでぶち込まれどういう運命になるのか、被告人は当然知りたがるものだ。だが、尋問者はそのことに触れようとはしない。彼らは(被告人がひょっとしてやらかしてしまったのかも知れぬ)罪状についてきえも教えないのが普通だ。起訴された場合でも、罪名が曖昧なことがしばしばである。なぜ拘留され、何を求められているのか知らされないこと自体、被告人が自分で自分の恐怖と疑いを育ててしまうというひとつの拷問となる。「いけにえ」は郵便物を受け取ることが許されない。面会人に会うことも、新聞を読むことも許可されないのだ。被告人は、完全な孤立状態に置かれる。自分を尋問しにくる人間を除いては、誰にも会えないのである。
時には真夜中に引ったてられて拘留されることもある。それから小さな独房に入れられ、ひとり打ち捨てておかれる。何を非難されるでもなく、また家族や塀の外で起っていることについては何の情報も与えられないまま、長期に渡って完全な孤立状態に置かれるのだ。同時に、家族もまた被について何も知らされることはない。
これは、被告人の家族も同時に罰せられるということだ。家族の望みは、被告人が自白をするということだけになる。親友でさえ、あえて彼の行方を尋ねようとはしない。さもないと、自分まで逮捕されかねないからだ。彼の親戚はどうかというと、ついには彼のことを訊くのに疲れ果ててしまったり、そうでなければ「これ以上質問しない方が、よほど身のためだぞ」とKGBから耳打ちされたりすることもあるのだ。
ロシア人は、尋問を始めるまで、数週間、時には数ヶ月間、「いけにえ」を孤立させておくのが普通だ。しかし哀れな「悪人」が、自分が拘束されている理由を知るまでには、それからさらに数ケ月かかるかもしれないのである。
共産中国や北朝鮮では、それよりもはるかに遠回りな−−辛抱強いやり方が採られている。拘留理由について糸口すら教えずに、時には数年間もひとりぼっちで座らせておくのだ。
「いけにえ」の精神状態は「混乱」などという生やさしいものではなくなってくる。来る日も来る日も、真っ暗闇か煌々と明かりが点きっぱなしの独房の中に座って、自分がひょっとしてやった可能性のある大へまのひとつひとつをよくよく考えてみるのだ。共産主義の法律下で罪と見なされる恐れのある思いつくかぎりの行動を、いちいち思い浮かべてみる。どんなことを言ったのだろうか?誰に向かって?いつのことだろう?一週間前だろうか、それとも半年前か?あるいは、六年前だったか?しかし、これは何かの間違いじゃないのか?いや、間違いなんてありえないはずだ。党が間違いを冒すなどということはない……そう聞いてはいるけど……。
数日が、数週間に延び、数週間が数ケ月に延びる。閉じ込められる期間が長引けば長引くほど、被告人は不安定になってくる。彼の魂は叫び続ける。二、三週間かそこらで、どうにかして当局全員を満足させるような自白をしてしまおうと、下心に考えるようになるのである。「いけにえ」はめいめいが紙を配られ、自分が犯した「罪」を知る手がかかりになる自己批判というものを書かされる。尋問者が、自分の書いた自己批判文をほめてくれれば、彼らが欲しがっている自白が、その中のどの部分なのかも示されるはずだとは分かっているのだが、それがどこなのかが分からない。そこで被は、一枚また一枚と自己批判を書き直していくのだ。自己批判文を書き直すたびに哀れな「いけにえ」は、「おまえは”誠実”になっていない」とか「おまえは、まだまだ”包み隠しなく”書いてない」とか「もう一回やり直せ」とかいう言葉を投げつけられることになる。このやり方は巧妙な役割を果たしている。というのも、もし彼が、こまごまとしたことをひとつひとつ覚えていなくて、ほんの小さな点でも矛盾したことを書くと、自分で自分の首を締めることになるからだ。これが、コミュニストの使うもうひとつの極悪非道のテクニックなのである。つまり「いけにえ」自身に事件をでっちあげさせ、まさに自分自身が検察官になり、自分自身に有罪の宣告をするようにもっていくということだ。
「おれは何をしでかしたのか?おれは、国家に対してどんな罪を犯したのか?」なんでもいいから筋の通った返事が聞きたくて、哀れな男は自問するのである。しかし「おまえのやったことは、おまえが知っているだろう!」と言われる。「我々に聞くんじゃない!自分の罪を自白すればいいんだ。さあ吐け!」
男は自分の狭い独房に連れ戻され、もう一度考えることを「許される」。彼も他人の冤罪事件の話は当然耳にしたことがある。そこでこう思う。「おれは奴らにハメられているのだろうか?しかし、どのみち同じことだ。奴らはおれを現実に捕えているのだし、有罪の方がまだましだ!」
緊張させ続けるというやり方にはさまざまな形態が考えられるが、ロシアのコミュニストはそれをすべて用いる。これらの形態というのは、フラストレーションや運命の不確実性といったものから、絶望や逃れがたい運命といった内容のものまでさまざまである。「おまえは、まったくのひとりぼっちだ」と囚人は、繰り返し繰り返し言われる。ついに虜はそれを信じ始めるようになる。こうして、彼は、行動修正という領域の専門家によってどんな形にでも造り替えることのできるパテの塊と化すのである。

引用文は共産圏全体主義国家で行われた冤罪自白などの洗脳手法に関するものです。
飢え、睡眠不足を含む疲労、緊張、長期拘束は原始的な洗脳で用いられる手法です。科学的により洗練された洗脳ではコミットメントと一貫性、好意、権威といった「影響力の武器」や精神力を弱める薬物が用いられます。しかし、それらの存在は原始的な洗脳に用いられる手法の有効性を否定するものではありません。
これらの手法は冤罪事件における日本の警察の尋問手法にもかなり共通する手法です。警察の場合は、これに叱り役と宥め役といった権威や好意などの「影響力の武器」を加えた、より洗練された手法が用いられるわけですが。
引用文が示すように長期拘束は冤罪に対する抵抗力を弱め、犠牲者から望みどおりの回答を引き出す手段になります。
長期拘束は冤罪を生み出すシステムの強化手段となるわけです。

追記(2007/01/20)

http://d.hatena.ne.jp/s_kotake/20070120へのコメントです。
引用に共産圏の国を貶める意図はありません。こういうことは洗脳の手法として様々な国で行われていることです。
こういうことは特定の経済システム固有の特徴ではありません。日本でも資本主義の下で同じことが行われています。全体主義化が進めばそれはさらに露骨になるでしょう。
釈然としない思いをさせてしまい申しわけありません。