小選挙区制は自民党が自民党を有利にするためにルールを変えた制度、という件について

言うまでもなく小選挙区制は自民党自民党を有利にするためにルールを変えた制度。その小選挙区制でも野党が共闘して候補を一本化することである程度の成果を残せたのが今参院選だと思う。成果拡大が次の選挙の課題

https://twitter.com/AmonDaisuke/status/1153541520294723586

というコメントをしたら、予想外の反応をされたので、

小選挙区で大政党が有利なのも、その拡大に熱心な自民党への譲歩で細川内閣が小選挙区議席数を増やしたのも事実。政治改革四法の成立過程を知っておこう。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E6%94%B9%E9%9D%A9%E5%9B%9B%E6%B3%95

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/AmonDaisuke/status/1153541520294723586

とコメントした件への補足記事。

小選挙区制は大政党に過大な議席を獲得させ、民意を大きくゆがめる。イギリスの長い小選挙区制の経験から、小選挙区制では、全国の得票率と議席占有率の関係は、三乗の割合になるといわれている(三乗の法則)。つまり、得票率の割合が二対一であれば、議席占有率の割合は八対一、得票率の割合を三乗したものになるというほど、極端なものになるというのである。
小選挙区制は多様な民意を反映させることができず、少数意見を切り捨て、議席獲得の可能性は、 第一党と第二党に限られることになる。イギリスでは、保守党・労働党の二大政党の他に、自由民主党が有力な第三党として存在するが、総選挙で二〇%前後の得票があるにもかかわらず、議席占有率はわずか三%である。小選挙区制は、大政党に極端に有利な結果となるため、中小政党を排除し、無理やり二大政党制の枠にはめこんでしまう。あるいは、第一党が三乗の法則で優位になることから、二大政党での政権交代どころか、一大政党によって政権が長期にわたって独占されるおそれもある。

「検証・小選挙区制(新日本出版社)」P21~22より引用。
このように小選挙区制は大政党に圧倒的に有利なシステムである。
勿論、これは自民党に有利に働き、自民党はその導入のためにハトマンダー、カクマンダーと策動し続けていた。
それは一九九三年当時の「政治改革」のときも変わらず、自民党は「政治改革」において小選挙区に多くの議席数を割り振った案を出しており、細川首相は法案成立のためにその自民党案に妥協する姿勢を見せていた。
小選挙区制が大政党に有利であることは既知であり、小政党連立の細川政権は政権内に反対派を抱えていたこともあり、小選挙区制の導入を含む政治改革関連四法案は参院で一旦は否決され、その後に法案成立の試みとしてなされた両院協議会も成案を得られないと打ち切られた。
問題はその後で、小選挙区制は細川首相と河野自民党総裁の密室会談で復活し、細川政権自民党案をほぼ丸呑みさせられる形で成立することになった。

総・総協定――三重の違憲

一月二八日、土井衆議院議長の「あっせん」を受ける形で、細川首相と河野自民党総裁の「トップ会談」がおこなわれた。この「トップ会談」は、一月二八日一九時一分から二一時二分までと、二二時六分から記者会見が開始された翌二九日の○時四九分までと、二回にわたった。連立与党側から小沢一郎新生党代表幹事、自民党側から森喜郎幹事長が同席している。この深夜の密室での談合・合意によって調印されたものが、「総・総協定」である。それは、土井議長のあっせん案をたくみに利用しながら、
①打ち切りになったはずの両院協議会を「再開」させ、
参議院ですでに否決されたと同じ法案を施行期日だけを空白にして「成案」とし、
③これを両院の過半数で再び議決して復活成立させ、
④しかも、次期国会で、すでに衆議院で否決された自民党案とほぼ同じ内容である小選挙区三〇〇・比例二〇〇、政治家個人への企業団体献金容認などという大幅な改悪「修正」をおこなうことを条件にして手を打つ、
という奇怪な取り引きであった。

「検証・小選挙区制(新日本出版社)」P13~14より引用。
自民党の協力が無ければ議席数的に法案が成立できない状況だったとはいえ、自民党案をほぼ丸呑みさせられた細川首相の弱腰は厳しく非難されるべきだろう。それは小政党連立側にとっては自殺的行為でしかない。
こうして法案は自民党案とほぼ同じ内容に「修正」された。
また、このとき比例代表制の方も小政党が不利になるブロック制に変更されることになった。

プロック別比例代表選挙には、どのような問題点があるのだろうか。
議席を獲得できる条件が、全国単位よりも厳しくなったことにある。たとえば、議席数の一番少ない四国ブロックでは、一四%程度の得票率がなければ、議席を得ることができない。議席数の一番多い近畿ブロックでも、三%程度の得票率がなければ、議席を得ることができない。ブロック別になったのは、参議院否決後に細川総理大臣と河野自民党総裁が密室談合で取り決めた後、国会が修正議決をしたためである。修正前の比例代表が、得票率三%未満の政党には議席を配分しないという三%阻止条項を設けていたことから、国会審議でも「小政党を差別する」という批判があった。ところが、密室談合でブロック別に決め、国会で何の議論もしないままに可決してしまい、三%阻止条項以上に厳しい制度を決めてしまった。国会審議の手続きのうえでも大きな問題がある。
ただし、ブロック制にすることによって、全国単位の比例代表より地域性があらわれ、「顔の見える比例代表」になったという長所はある。しかし、この「顔が見える比例代表」という長所は、議席全部を比例代表で選び、選挙制度に求められる民意の反映という基本が守られたときに、はじめて生かすことができる。五〇〇議席のうち、三〇〇議席小選挙区によって大政党に有利に大きく民意がゆがめられたうえに、残りの二〇〇議席もまたブロック別で小政党が不利な立場におかれるのでは、この長所は生きてこない。

「検証・小選挙区制(新日本出版社)」P32より引用。


小選挙区制は細川政権時に導入が決まったが、それは細川首相と河野自民党総裁の密室会談の結果、自民党自民党を有利にするためにルールを変えた制度が採用されたものである、という話。
有利であることが常勝を意味しないことは、自民党に対する批判の声が高まり、投票率も上がって組織票の効果も薄まった2009年の選挙が示しているが、それで小選挙区制が自民党のような大政党に有利であることが変わるわけではない。



追記

crcus だったら55年体制下でずっと勝ち続けていた自民党政権で、あれだけ中選挙区制度が長らく採用されてたわけないw 小選挙区自民党に有利に働いたのはやってみた結果論で、それを狙ってやったとか典型的な歴史修正主義 ネタ 2019/11/23

https://b.hatena.ne.jp/entry/amon.hatenablog.com/entry/2019/11/23/003205

ハトマンダー、カクマンダーと書いているのだから、過去の試みは示している。野党と世論の反対があったし、自民党内でも区割り調整などから反対があったから、そのときは失敗したというのが歴史的事実。政治改革関連四法案はカイマンダーが結実したものというのも、わりかし知られた話だと思う。

戦後、中選挙区制小選挙区制に改正しようとする動きが二度あった。一度目は1956年(昭和31)に鳩山一郎(はとやまいちろう)内閣が国会に法案を上程したとき、二度目は1973年に田中角栄首相が小選挙区制を打ち出したときである。これらは、いずれも野党と世論の猛烈な反対にあい、また与党内部の区割り調整がうまくいかないこともあって流産した。

https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E9%81%B8%E6%8C%99%E5%8C%BA%E5%88%B6-79448

もしも、1994年以前の日本のような投票分布図において小選挙区制が実施されると、第一党の自民党が圧倒的に有利となり、7割の議席を占めると試算されていた。鳩山内閣再軍備憲法改正を推進するために、田中内閣が得票率50%を割る保守退潮化の傾向に際して、小選挙区制導入を試みた理由は明らかであろう。

https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E9%81%B8%E6%8C%99%E5%8C%BA%E5%88%B6-79448

これは「日本大百科全書(ニッポニカ)(小学館)」の記述だが、小選挙区制が大政党に有利な制度で、自民党がその実現の試みをしたことは百科事典に載るくらいには当然の歴史。物事を実行する前にその結果を試算しないと思う方が人間の知性に対する侮辱ではと思う。

追記2

衆議院選挙制度中選挙区制から小選挙区比例代表並立制へと変更される過程において、1993年9月17日に閣議決定され衆議院に提出された細川護熙内閣当初案では、小選挙区250・比例代表250となっていた。こうした小選挙区比例代表でそれぞれ250ずつの議席を選出するという並立制を導入する理由について、細川首相は、「小選挙区比例代表の定数を半々にすることで、民意の集約と民意の反映という互いの特徴を相補う」と説明してきた。また、細川首相は、1993年9月21日の所信表明演説においても、このような制度を導入することで、「国民の政権選択の意思が明確な形で示され、顔の見える小選挙区制の特性と多様な民意を国政に反映させるという比例代表制の特性とがあいまって、より健全な議会制民主主義を実現できるものと期待する」と述べている。
つまり、細川首相は、単純小選挙区制ではなく比例代表との並立制導入の必要性と意義を強調し、比例代表選出分の割合が一定限度以上必要であるという考えを繰り返し述べてきたわけである。このように、並立制導入の際の議論は、そもそも単純小選挙区制では民意が十分に反映できないという考え方に立脚していたといえる。
しかし、細川内閣当初案は小選挙区選出議席を274に増やす形で修正され、さらにその修正案も参議院社会党の一部議員の造反にあったために否決された。事態打開のために開かれた細川首相と当時の野党第一党自民党河野洋平総裁との間のトップ会談では、小選挙区の選出分を300議席比例代表の選出分を200議席とすることで合意に至った。そして、比例代表は200議席全国一括集計ではなく全国をブロックに分けて集計することとなった。この結果、比例代表の定数は、当初案の全国一括250議席から、11のブロックの各々で7~33議席を選出することとなった。最終的に可決された選挙制度改革案では、11プロック で200議席を選ぶわけであるから、1選挙区あたりの定数は平均で18となったわけである。

「「一強多弱」政党制の分析(三和書籍)」P29~30より引用。
小選挙区選出分が増えれば自民党が有利になるということは既知のことだった。その上で、細川首相と河野自民党総裁のトップ会談で小選挙区選出分が多い自民党案よりの「修正」で合意がなされた事実は変わらない。
一部ブコメに見られる新日本出版社日本共産党系だから云々は「信者」向けの言葉ではないかなと思う。それで事実に関する記述が変わるわけではないのだから。
小選挙区制導入が小沢一郎氏の望みでもあったことと、自民党が自党が有利になるように小選挙区選出分を増やそうとしたことも別に矛盾はしない。小沢が云々と言ったところで、それで、自民党が自党が有利になるように法案を変更させたという事実は変わらない。