何に対して怒髪天状態になっているのか本気で読み取れないの?

性犯罪被害の当事者が見てどう思うかという考察よりも、被害者でもなんでもない自分たちの関係のない溜飲をさげることを先んじてますよねあきらかに。まあ勝手ですがね。どんな思いを抱えて憤死しそうなのか知りませんが、米兵に集団で暴行された少女よりも先に癒されるべきという主張になりますよそれは。だってことさら現実の事件を取り上げる必要は絶対にないはずです。ネタの構造的にもね。

はてなグループ

どういう論理展開でそういう結論に達するのか飛躍が激しすぎでさっぱり分かりませんが、誤解があることは確かなようなので説明します。
どんな思いかといえばセカンドレイプに対する怒りです。
「朝の3時ごろまで盛り場でうろうろしている未成年もどうかと思う」という言葉は明確に性犯罪被害者に落ち度があることを表明しています。続く言葉がどうであろうと、その意味は変わりません。
仮に相手のことを思っての言葉であったとしても、そういう無神経な言葉がどれだけ性犯罪被害者の心を傷つけるか。性犯罪被害者に感情移入してしまうからこそ、そういう無神経な言葉に対し怒りを感じるのです。
念のために説明しておきますが、そういう性犯罪被害者の落ち度を追求するような言動はセカンドレイプの一形態です。
「性犯罪被害の当事者が見てどう思うかという考察」が欠けているのは「『知事の発言は正論だ』とのたまう衆愚」なんです。私はセカンドレイプに対して怒りを感じる人間であり、ゆえに、そういうセカンドレイプ発言に対して怒り、そういう発言で傷つけられる人の心を思い悲しみ、未だにそういう発言を行う人がいることに失望し、その人数がどうしようもなく多いことに落胆する、というようにやるせない思いにさせられるわけです。
「米兵に集団で暴行された少女」が癒されるべきなのは当然のこと。であればこそ性犯罪被害者に追い討ちするような言葉の暴力を批判・非難するのは当然のこと。風刺はその手段。そして、良くできた風刺は思いを共有する人々の溜飲を下げる効果も持つ。いいですか、あの風刺で馬鹿にされているのは性犯罪被害者ではなく、その性犯罪被害者をセカンドレイプしている「『知事の発言は正論だ』とのたまう衆愚」なんです。
「『知事の発言は正論だ』とのたまう衆愚」を風刺するのに「現実の事件を取り上げる必要は絶対にない」なんてことはありません。「『知事の発言は正論だ』とのたまう衆愚」は「現実の事件」と関連していることなのですから。
「『知事の発言は正論だ』とのたまう衆愚」が、自らが風刺されたことによる不快感から来る否定感情を正当化するために「性犯罪被害の当事者が見てどう思うかという考察」を持ち出したりしたら、それは構造的に絶対にないと言ってもいいでしょうけど。

集団暴行よりも深刻な傷を産経新聞に負わされたというのですか?一言だけアドバイスしましょう。なら読むなよ産経なんて。

これまた、どういう論理展開でそういう結論に達するのか飛躍が激しすぎでさっぱり分かりませんが、私からもアドバイスしましょう。貴方がそういう価値観の持ち主ならば、不快になるブログ記事なんて読むなよ。
私はそういう価値観の持ち主ではないので、不快に対して向き合い、それを解決する手段を模索する方を選びます。不快と向き合う勇気を持てない人々のためにも。


他者の怒りだのどうのに関しては、「『知事の発言は正論だ』とのたまう衆愚」に対しては、あの風刺記事を読んで不快になってもらっても構わないと思っています。特に、自分の不快感には敏感で、自分の言動が他者に与える不快感には鈍感な人々には。*1
地獄に落ちろ!呪われてしまえ!だが、俺は地獄も呪いも信じていないので、せめて現世で不快感に苦しみやがれ!という感じ。こういう表現は自分でもどうかと思いますが、機嫌の悪さを表現するには、それなりの文体というものがあると思います。


記事URLの「さよくのはじ」とかいうのは、まあ、それでマルコ氏の溜飲が下がるのであれば、勝手に言ってれば良いのではないでしょうか。

*1:私は、自分の言動が他者に与える不快感に敏感でありたいし、無自覚にではなく、積極的に効果的にそれを用いたいなんて思っている人。自分で自分を腹黒という理由の一つ。