「恩を仇で返すメソッド」軍人版

まだいろいろ面白い話があった。それは南京市民との暖かい交歓物語で、市民が捕虜の身分の日本軍に好意と信頼を寄せている証拠と思われて、憂さを晴らす一服の清涼剤であった。
このようなことで、南京市民とトラブルが起こった話はついになく、筆者が接した範囲でも不愉快に感じた覚えはなかった。従って東京軍事裁判で南京大虐殺事件が問題になると、嘘だ、報復のためのデッチ上げだ。本当であれば南京市民があのように友好的に接するはずがなく、必ず酷い仕返しをしたはずだ。また人間が、人間を二、三〇万人も短時日で殺せるはずはなく、殺したと思う人間の方が人間の面をかぶったけだものだ、と感じたものである。

大陸打通作戦P232より。
南京事件否定論のバリエーションの中には否定の理由を人間の報復感情に求めるものがあります。
日中戦争において捕虜となった日本人が報復に遭うどころか親切にされた事例をもって「ひどい目に遭わされた人間は機会があれば仕返しをする筈だ」「仕返しの機会があったのに仕返しされなかった。むしろ友好的に接してくれた」「よって、ひどい目に遭わされたということはない筈だ」と否定するわけです。
相手国で親切な扱いを受けたことをもって相手国での戦争犯罪の事実を否定しようとする、まさに、恩を仇で返すメソッド。
こういう論法については既にApemanさんが記事に書かれていますが、そのコメント欄の

Apeman 2009/09/15 22:24 D_Amonさん、monroさん


河村たかしメソッド」は彼の実に浅薄な人間観、想像力の欠如の産物ですから、「新書一冊」では直らないでしょうね。
河村たかしメソッド」を支えているのは「人間はひどい目に遭えば仕返しするはずだ」という単純極まりないロジックだけです。最も政治家になってはいけないタイプの人間だと思います。
(強調は引用者による)

河村たかしメソッドとは - Apes! Not Monkeys! はてな別館

という言葉通りのどうしようもないものだと思います。
問題は、「大陸打通作戦」の著者が日中戦争に従軍した軍人であることと、能力的には優秀な人物と思われること。
こういう人物をしてこれか、というところに南京事件否定論の問題の根深さを感じるのです。
こういう人物が南京事件否定論に与する発言を行うこと*1に対し、知能や階層に原因を求めることはできません。
むしろ、そこには言及したいという欲望はあるのに、言及対象について「知らない」というより「知ろうとしない」姿が見えます。
「知ろうとしない」のは意思の問題であり、つまり、それは南京事件否定論が事実の問題というだけではなく心理の問題でもあることを示しているわけです。
南京事件論争においては、よく「淡々と歴史学的事実を説明すればいい」というような「アドバイス」をしてくる人がいるのですが、それで解決するなら苦労はないんですよね。百科事典的な記述だけで事足りるわけですから。


大陸打通作戦―日本陸軍最後の大作戦 (光人社NF文庫)
大陸打通作戦 (光人社NF文庫)

*1:引用部分だけだと、そのときは「と感じた」だけと言い抜ける余地はあるものの