南京事件否定論を展開する人々の実態

これにたいして、近年、論壇の一部に虐殺の存在そのものを声高に否定する人々が登場しているが、彼らには、率直に言って、史料の収集と公刊という地道な仕事に携わる意思と能力がない。事実、彼らの側からは、今日に至るまで、学術的な史料集は一冊も公刊されていないのが実情である。彼らの「御家芸」は、他人が苦労して収集した資料に牽強付会な解釈を施して、「論敵」とみなした人々に毒々しい非難をくわえることだけである。そこには、歴史観や方法論をおのおの異にするとはいえ、研究者は同じ「知の共同体」に属しているという自覚が完全に欠落しているのである。

資料 ドイツ外交官の見た南京事件」P.v-viより引用。
南京事件を否定する人々のことを的確に表現している文だと思います。
南京事件を否定する人々が知的に誠実であるならば、不当な汚名をそそぎたいという思いが本物であるならば、彼らはそのために史料を収集し、その史料を読めるだけの能力も身につけ、学問的に認められる十分に蓋然性の高い説を打ちたて、できるならばそのために収集した史料も整理した上で公刊すべきだと思います。
無論、私は彼らがそういう人々だともそういうことができる人々だとも思っていません。
南京事件(南京大虐殺を含む)を否定する人々は何をしてきたでしょうか。
田中正明南京事件を否定するために松井石根日記の改竄をしました。
東中野修道南京大虐殺の生存被害者を偽被害者呼ばわりし、そのことに対する名誉毀損裁判の結果、裁判所に「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く,学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」*1と判定されました。「一般読者に「原告(夏淑琴)は南京事件(新路口事件)の生存被害者(「8歳の少女」)ではないのに生存被害者として虚偽の証言をしている」との事実を強く印象づける」東中野修道の記述が誤訳の上で「明らかに矛盾であり,論理に破綻を来している」解釈をしなければなりたたないものであることは明らかだったからです。
歴史修正主義者の定番であるコピペであるところの日本軍最強伝説にしても「日本軍最強伝説」は歴史修正主義者の捏造宣伝 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかで書いたように誤読や曲解で荒唐無稽な話を作り出すことで歴史的事実を否定しようとする虚偽宣伝なわけです。こういうのを作る人が嘘つきでないということがありえるでしょうか。
私は南京事件否定論者を含む歴史修正主義者は「学問研究の成果というに値しない」ものに騙されるくらい頭が悪いか平気で嘘をつき被害者に二次加害するほど品性低劣かその両方を兼ねる人々だと思います。