何故自信満々なのか?
基本的な事実を無視して語られる南京事件 - Apes! Not Monkeys! はてな別館
とにかく不思議で不思議でならないのは、これほどまでに基本的な事実についての知識を欠きながら、なにゆえあそこまで自信満々足りうるのか
Apeman氏の疑問に対し、既出っぽい仮説を立ててみました。
大雑把な分類
否定論を主張する自信満々な人々の多くは印象操作型か自己充足型のいずれかに分類できると思われます。(ただし天然型などその他の型も少数はいると思われます)
印象操作型(ダマシ)
観客としての第三者を意識し、その第三者に自分の方が優勢という印象を与えるために意図的に自信満々な態度を取っている可能性。
議論の内容に対する知識を持たず、従って両者の発言の真贋の判定が出来ない第三者を念頭に置いており、その第三者に自分の方が優勢に見えるように演技しているというわけです。
目的は議論における「敗北」で否定論の支持者を減らさないこと。あわよくば否定論の「勝利」を第三者に印象づけることで否定論の支持者を増やすこと。
それゆえ議論の目的は対話により真実に近づくことではなく勝利することになっています。
これであれば、議論における勝敗に拘ることや議論の相手を尊重しない態度の説明がつきます。彼らの目的が否定論を流布する宣伝戦に勝利することであり、基本的知識を持たない人しか宣伝対象としておらず、最初から知識を持つ人間は相手にしていないのであれば、その行動は(知識を持つ人間からは如何に愚かに見えようと)それなりに理に適っているといえるでしょう。
つまり自信満々なこと自体が宣伝手法である可能性。
自己充足型(ダマサレ)
尊大な態度で他人を見下すことで自己充足している可能性。
議論の相手を「『敵』のトンデモな宣伝に騙されている愚か者」*1か「『敵』の協力者である悪者(あるいは『敵』そのもの)」とみなして見下すことで虚栄心と素朴な正義感を満たしているというわけです。
実際は無知ゆえに荒唐無稽な否定論に騙され、型通りの否定論の受け売りを訳知り顔でしているに過ぎません。
彼らの言動は実は自分たちの方が「否定論の荒唐無稽な宣伝に騙されている愚か者」であることを認めないための必死の自己防衛行動*2とすれば、その行動は心理学的には理に適っているといえるでしょう。
つまり自信満々なのは虚栄心の発露と自己防衛行動である可能性。
で、彼らにとっては否定論に相反する者は自分たちが気持ちよく酔える共同幻想を破壊する敵であり、未だ「真実」を分かりえぬ物分りの悪い啓蒙すべき愚者に見えるのではないでしょうか。
否定論の宣伝が荒唐無稽なわけ
否定論の宣伝において国民党と共産党の区別もついていないのは、宣伝の原型が冷戦時の「共産主義陰謀論」*3にあり、無知な人に何でもかんでも「共産主義者」が悪*4ということを吹き込もうとしている可能性が考えられます。この宣伝は最初から基本的知識のある人間は対象としていないのでこういう荒唐無稽なことがまかり通ることになるというわけです。
それに他民族蔑視型宣伝*5が加わっているので輪をかけて荒唐無稽なことになっているのではないかと。仮説ですが。
追記(2006/08/11)
自身満々とは限らないものの重要な基本型について追記。
信者型(ダマサレ)
否定論への思い入れが信仰の域にまで達しているタイプ。いわゆるビリーバー。ゆえに信じたくないことはいくら事実を提示しても信じません。
「教祖」に感化された人に多く、こと否定論に相反する意見に対しては強く反発しますが、それを除けばごく普通の人の場合が多いです。*6
ただ、自己充足型の人を下手に刺激すると反発から信者型に変化する場合があり、そういう人は怨念をもって否定論に相反する意見を攻撃することがあります。
*1:対して、自分は「真実」に目覚めた先知先覚者という「選民思想」
*2:彼らは「正義の味方」であり続けるために無謬でなければならないのです。
*3:第二次世界大戦での日米戦争はコミンテルンの陰謀だったとか、ルーズベルトは共産主義者の手先だったとかいう説。それが「日米戦争はアメリカが悪かったのではない」となり「憎むべきは共産主義」につながるわけです。
*4:それには史実に基づいた部分もありますが、あまりにも粗雑。
*5:外部の「敵」を叩くことで内政に対する不満のガス抜きをしたり、利害が共通するものどうしの団結を阻止して分断統治したりするための宣伝
*6:トンデモにおける「教祖」と「信者」の関係と同様。否定論のような歴史修正主義はトンデモの一種なので当然といえば当然ですが。