貧困の構造
ホームレスは何故都市部に集中するか。
それは都会の方がホームレスの生存に有利だから。
まずは大量の廃棄物。
ホームレスは廃棄物の中から生存に再利用できるもの(衣食住の「住」のダンボール、「食」の廃棄食品等)を収集することを、自らの生存の助けとしており、大量の廃棄物が出る都会の方が生存に有利。大量の廃棄物が発生することは、廃棄物の再利用で生存できるホームレスの人数も多いことも意味する。
都会の廃棄物は人口密度に応じて面積当たりの量も多く、地方より短い徒歩時間でより大量の廃棄物との接触が可能。この点も生存に再利用できる廃棄物の収集において有利。
一般開放されている公共施設の数や雇用機会も含め、都市部の環境の方がホームレスの生存に有利であり、その結果、ホームレスは都市部に集中する。
ホームレスは必ずしも働く意志が無く都会に寄生している人ではない。必ずしも能力的に働くことができない人でもない。
働く意志があり働く能力があっても労働市場の供給過剰や年齢制限などにより労働市場から閉め出された人も多い。雇用状態により日雇い労働・ホームレス・ネットカフェ難民(やマクドナルド難民)の間を行き来している人もいる。
働く意志があり働く能力があるのに働ける仕事がない人がいるこの状態。(「働ける場所との断絶」など、他にも理由はあるものの、)それは概ね労働者の需要に対し労働者の供給が過剰であること、つまり人が余っていることを意味する。働く意志があり働く能力があるのに、働ける場所がそれ以上の人を必要としないために働ける場所から押し出されている人がいる。
では、働ける場所の方で人が足りているかといえば、そうではない。
勤務時間内で処理できる労働量を超える労働の割り当てにより、残業による長時間労働が常態化していることが少なくなく、その上にサービス残業という無償労働を強いられている場合も少なくない。
このように働ける場所では労働力が不足している状況が存在する。
これは雇用の減少の原因の一つが労働者一人当たりに対する労働量の過剰な割り当てにあることを意味する。不況(やOA化などの技術導入*1による生産効率向上)により労働力需要が減ったことだけが原因ではないことは明らか。
バブル崩壊後の不況下で行われた日本型リストラは需要減少に合わせた企業の再構築であると同時に労働者に対する労働強化でもあった。
需要減少に伴う企業が必要とする労働力の減少以上に人員の削減が行われサービス残業が常態化した。
企業は採算向上のために人員削減による雇用コスト削減を行い、それによる労働力の不足に対しては、労働量の過剰な割り当てにより労働者一人当たりの労働力を増やすことで補ったのだ。
過剰労働による疲労の蓄積は肉体を損なうだけではなく精神疾患や自殺の原因にもなっている。
労働市場から閉め出されたことによる貧困によりホームレスになったり自殺したりする人がいる一方で、過剰労働により使い潰されていく人がいる。
労働市場において人が余っている状況なのに関わらず、経団連は労働者としての移民を望む。
「少子高齢化社会による若年労働者の不足を補うため」とかの建前の下。
しかし、就職氷河期世代が曝されている現実の前では、その建前にはあまりにも説得力がない。
その一方で不法就労を含め、外国人労働者が単純労働において日本人より低賃金で使役されている現実がある。
このことから、経団連が労働者としての移民を望むのは、採算向上のために、より低賃金で働く労働者を求めているためと考えられる。
それは日本人の低賃金労働者から仕事を奪うことであり、日本人労働者に対する賃金引き下げ圧力*2であり、日本人の貧困層をより貧困へと、ときには死にまで、押し出していくことだ。
仮に、このまま、そのような形で低賃金労働者の「輸入」が行われた場合、貧困層の増大による経済犯罪の増加など治安に対する影響を含め、経済・社会に対する多大な影響は避けられない。
私は単純労働者の移民に反対ではないが、そういう事態を避けるために、移民の条件としては外国人労働者を含め最低賃金の引き上げや雇用の維持・拡大・安定といった雇用保障の充実が必要と考える。日本人労働者と移民労働者が作られた構造の中で労働市場で職を求めて争い憎しみ合う社会はいらない。必要なのは移民と共存できる社会であり、それを実現する社会制度の整備。
このような雇用条件向上の主張、あるいは国家の再分配機能向上のための(欧米先進国並みの)大企業増税の主張に対しては、そのようなことをするとコスト増大に対抗して企業が海外に逃げたり、生産における自動化を進めたりすることで、さらに失業者が増えることになるという人がいる。そういう風な「脅迫」を行う人がいる。
それらの言葉は正しい面もあるし、正しくない面もある。
それらの言葉が必ずしも正しいわけではないことは北欧諸国の高税率・高賃金を見れば明らか。
確かに雇用の国外移転は現実だ。
卑近な例でいえば模型の金型作成と生産。
日本の模型メーカーもアメリカの模型メーカーも金型作成と生産を中国や韓国に発注するようになってきている。
塗装済み完成品模型の製作販売にしても中国の労働者の低賃金抜きには考えられない。
作業内容の問題や設備投資コストの問題などで機械による自動化が困難だったり割りに合わなかったりする労働で、高度なインフラに対する依存度が低く発展途上国程度のインフラでも可能な産業は、より低い人件費を求めて発展途上国に移動していく。*3
高税率・高賃金だとやっていけない低税率・低賃金依存型の産業はより低い税と賃金を求めて海外に逃げる。
だが、そういう低賃金依存型産業の海外流出を防ぐために低賃金で対抗することは国民の幸福につながらない。
低賃金な発展途上国に低賃金で対抗するということは、国内に低賃金労働者を生み出すということだ。雇用コストの面で、国内に「発展途上国」を作ることだ。
「構造改革」により出現した多数の不正規雇用労働者は日本の企業が低賃金依存型産業において発展途上国と競争する上で欲し、政府に働きかけた結果ではないのか。
だとすれば、それは低賃金労働者を使い潰すことで発展途上国との製品販売競争の結果の低賃金依存型産業の破滅を先延ばしにしているだけではないのか。
それらの低賃金依存型産業の方が欧米のような高付加価値型産業への転身を図るべきではなかったのか。
現代の貧困の原因の一つは低賃金によって発展途上国と対抗しようとしている日本の産業構造にあるのではないのか。
生産における自動化が進むことで失業者が増えるというのには賛同できない。それが示す未来が絶望であるがゆえに。
自動化コストの方が雇用コストを下回るので労働者を機械に置き換え、その分、労働者を解雇するという理屈は分かる。それは論理が企業内で完結している分には真。
しかし、機械により労働が自動化されることは、その分、人間が労働から解放されることではないのか。同様の生産物を得るに当たって、人間の労働時間は少なくて済むということではないのか。人がより少ない時間の労働でより豊かになれるということではないのか。
それが機械に仕事を奪われることを意味するというのは、分配の方がおかしいのではないか。
そういう労働からの解放が、何故、失業者の増大とそれによる貧困という形で現れるのか。
それは個々の労働者の労働時間の短縮という現象になって現れるべきものではないのか。
適切な分配を行うことにより、それを実現することはできないのだろうか。
「企業内で完結している分には真」な論理を国家というより大きな枠組みで上書きすることで国民の幸福に貢献する論理に作り変えることはできないのか。*4
勿論、こういう主張が自動化コストや製品の価格競争を無視した暴論であることは分かっている。
だが、労働の機械による自動化が失業による貧困を生み出し、働いている人間は相変わらず長時間の労働に拘束され続けるというのは、ただのディストピアだ。
書いた内容が雑多過ぎるし、気が滅入ったのでですます調に直さない。