史実派(肯定派)と懐疑派

史実派は懐疑派と議論しなければいけませんか?
なんか議論しないと責められるようですけど、それは妥当なことでしょうか。
懐疑派の疑問は知識がないゆえなわけで、史実派のやることが懐疑派の疑問点に対する説明になるのは当然のことではないでしょうか。
「差分」なんて言いますが、「差分」に関する疑問への対応が説明になるのも当然ではないですか。
それで議論しないことを責められても困惑するしかないというものです。
議論をしたいのであれば、その前提となる相応の知識を身につけてからにするのが「議論のマナー」というものではないでしょうか。
知識が無いのに関わらず「よく分からないけど、どっちもどっちだよね」なんていうのは議論の土台にすら立っていないというものです。「議論しない」と「議論にならない」は違います。「議論にならない」相手と議論することはできません。


我ながら非道い書き方だと思います。
しかし、議論の前提となる知識を持っていないのに対等に議論をすることを求めたり、相手が知識を持っていること自体をバカにしたりする態度の方が非道いと私は思います。
敬意を持てとは言いません。ただね、議論の前提となる知識を持っていないにも関わらず相手をあからさまにバカにする態度はどういうことかと。それは頭に血が上って言葉が荒くなることもありますよ。


というようなことをbuyobuyoさんのこの記事の「どうしても言葉が荒くなる日もある」という言葉を見て(主旨とは関係ないですが)連想した日。
まあ、荒い言葉を使うと相手の反発も大きくなりがちで対話においては良くないんですがね。