蓋然性において同程度に扱っていないので、蓋然性において同程度と実証する必要はない

http://digital.asahi.com/articles/ASG8600W4G85TIPE02V.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASG8600W4G85TIPE02Vにおいて日本政府は「日本の見解とは違う」ことをもって「適切でない」と中国に申し入れています。
これに対して

D_Amon 「外交ルートを通じ「日本の見解とは違う。被害者の具体的な人数を認定することは困難だ」と伝えた」原爆の犠牲者数で日本が米国に「米国の見解とは違う」と言われたらと思うと、相手の気分を害するだけと思うな

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.47news.jp/CN/201501/CN2015011401001738.html

と書いたように、私は「見解の違い」をもって相手に「適切でない」と申し入れることに対してコメントしています。つまり、蓋然性は問題にしていません。

D_Amon 米国の歴史教科書を見る限り米国の見解の原爆犠牲者数が日本の見解のものより少ないのは単なる事実。南京の30万人説にしても蓋然性は低いが推計値として否定できるものではない

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/www.47news.jp/CN/201501/CN2015011401001738.html

と書いたように、既に30万人説の蓋然性を低いと思っていることを書いているので、南京事件犠牲者数と原爆犠牲者数の推計値を蓋然性において同程度に扱っていないのも明らか。
よって、このことについて「蓋然性において同程度と実証しろ」と言われても応じる必要はありません。
死者数と犠牲者数は同じというわけではないという話と政治における見解と学問における諸説は異なるという話 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかのコメント欄でも言及しましたが、そのことを理解できないのがid:FrenetSerretid:cmuethmitid:oxigenusid:pwd24v

以上。


あと、既に、

サ条約体制的には日本の「公式見解」は東京裁判の20万人説である筈だし、「人数を認定することは困難」な原因は日本側の敗戦時の証拠隠滅も原因でそれをもって文句言える立場ではない

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/www.47news.jp/CN/201501/CN2015011401001738.html

と書いていますが、「被害者の具体的な人数を認定することは困難」なのは敗戦時に日本側が証拠隠滅したのも原因で、証拠隠滅した加害者が被害者に「人数を認定することは困難」なことをもって申し入れを行える立場ではないのは当然です。