第一次安倍内閣の2007年の閣議決定の欺瞞と嘘

第一次安倍内閣は2007年3月8日に提出された「安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書」に対して2007年3月16日に答弁書閣議決定しています。
この閣議決定は日本のある種の人々の間で強制連行を否定したものとして知られています。
その実際の内容はどういうものだったでしょうか。

安倍首相は、辻元清美衆議院議員の質問に対して、2007年3月16日に答弁書(内閣衆質166第110号、下記資料を参照)を送付しています(内閣衆質166第110号)。この答弁書は、河野談話の発表までに「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と述べています。

2-2 安倍政権と2007年の閣議決定 | Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任

とあるように、この第1次安倍内閣閣議決定河野談話後の研究成果を反映しない欺瞞に満ちたものであり、スマラン事件の調査結果公表が既になされていたことを考えれば明らかな嘘でした。そして、現在では河野談話の資料に軍強制の記述が含まれていたことも明らかになっています。

戦時中、旧日本軍がインドネシアの捕虜収容所からオランダ人女性約35人を強制連行し、慰安婦としたとの記載がある公的な資料が6日までに、国立公文書館(東京)で市民団体に開示された。資料は軍の関与を認めた河野官房長官談話(1993年)の基となるもので、存在と内容の骨子は知られていたが、詳細な記述が明らかになるのは初めて。

http://www.47news.jp/47topics/e/246352.php

河野談話の資料には軍による強制連行を示す記述が含まれていたわけです。この事実を踏まえると答弁書の書きぶりのいやらしさが更に際立ちます。判決文や聞き取り調査などは「直接示すような記述」ではないということなのでしょうね。それは色々限定条件をつけなければ「狭義の強制の証拠はなかった」という結論を導けなかったということでもあるのでしょう。
この閣議決定5年前の歴史すら修正する従軍慰安婦否定論者 - 誰かの妄想・はてなブログ版でも言われているように河野談話の継承するものです。その範囲において強制連行に対して精一杯ケチをつけようという姿勢は、ある種の人々が妄想するような堂々としたものではなく、ひたすらせこいとしか言いようがないものだと思います。

朝日新聞の吉田証言報道取り消しで国際世論は変りうるか?

このタイトルの問いに答えるなら、おそらく変わりえないと答えるしかありません。
なぜなら諸外国、少なくともTHE FACTSに対して非難決議を出したような国々*1は狭義の強制連行を問題にしているのではなく、日本軍性奴隷制における苦難を人権問題として見ているからです。
そのことは以下に示すようなマイケル・グリーン氏の発言からも明らかでしょう。

ブッシュ政権のときに国家安全保障会議上級アジア部長を務めたマイケル・グリーンは、「永田町の政治家達は、次の事を忘れている。<慰安婦>とされた女性達が、強制されたかどうかは関係ない。日本以外では誰もその点に関心がない。問題は、慰安婦たちが悲惨な目に遭ったと言うことだ」(『朝日新聞』2007.3.10)と語っています。

0-1 強制連行が問題の本質なの? | Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任

この発言の背景には、2007年1月に米下院で「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議」の案が提出されたことに対して問われた安倍首相が「言わば狭義の意味においての強制性について言えば、これはそれを裏付ける証言はなかった」「今正にアメリカでそういう決議が話題になっているわけでございますが、そこにはやはり事実誤認があるというのが私どもの立場でございます」「この決議案は客観的な事実に基づいていません」(2007年3月5日 参議院予算委員会 3号)というように答弁したことや「慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会」の発足などに見られる日本の政治家の言動に対する反発があります。
当時から国際社会は強制連行ではなく日本軍慰安婦が性奴隷状態にされていたことを問題視していたのに、日本側がそのことに無理解だったのです。
そして、そのことは安倍首相が慰安婦問題でブッシュ大統領に謝罪(2007.4.28)したことや、THE FACTSの意見広告(2007.6.14)が日本軍慰安婦に関する各国の非難決議を招いたことを経ても変わらなかったのです。むしろ、その無理解は日本社会全般に蔓延したと言っていいでしょう。
朝日新聞の吉田証言報道取り消しをもって強制連行を否定できると考え、そうすることで国際社会における汚名を雪げると認識しているかのような人々の言動がそのことを示しています。


今の日本社会の反応を見ると理解してもらえなくても仕方がないと思いますが、これは朝日擁護ではなく、慰安婦問題において朝日新聞の影響力を誇大視しても意味は無いという話です。
朝日の慰安婦特集記事に対する意見を述べれば、後知恵ですが、あれは出すなら遅くても2007年3月半ばには、せめて2014年2月の河野談話検証検討後数週間以内には出すべきものだったと思います。日本側の言動に対する諸外国の反応と組み合わせれば現状に対する世論の認識を促すことになったでしょうし、日本側の言動により引き起こされた米国側の慰安婦問題への反発を見れば「保守」にも説得的に伝わったのではと思うからです。日本の「保守」の実態を考えると希望的観測が過ぎるかもしれませんが。
慰安婦問題は朝日の捏造!」説はApemanさんが以前より言及していることであり、その主要エントリをリストにまとめられていますので、ここにそのURLを紹介します。
主要エントリリスト(「慰安婦問題は朝日の捏造!」説関連) - Apes! Not Monkeys! はてな別館

言われたのでゼオライトの性質とかについて調べました

移行係数(移行率)の低さは土中にセシウムが固定されていることを意味しません

放射性セシウムの移行係数(移行率)は植物体の放射性セシウム濃度(Bq/kg)を土壌の放射性セシウム濃度(Bq/kg)で割ることにより求められます。
植物体の放射性セシウム濃度と土壌の放射性セシウム濃度が単純比較できる値でないことはその重量の由来から明らかです。
植物体の重量は何に由来するかといえば、大部分は空気と水です。植物は土中から成長に必要な元素を吸い上げますが、それが植物体の重量に占める割合は僅かでしかありません。
セシウムは植物には不要ですがカリウムと同族の元素(元素周期表1族)で、植物のカリウム吸収とともに吸収されていると考えられています。*1
この植物体が吸収したセシウムのベクレル数を大部分が空気と水に由来する植物体の重量で割ったのが植物体の放射性セシウム濃度であるわけで、植物体の放射性セシウム濃度と土壌の放射性セシウム濃度は別種の値です。
移行係数の計算において、土壌の放射性セシウム濃度は環境を示す値であり、植物体の放射性セシウム濃度はその環境の生産物への影響を示す値であり、単位は同じでも相互に加減算を行うことができる関係の値ではありません。ゆえにセシウムが土壌に留まる割合として「1-移行係数」なんて計算をすることに意味はありません。例えば、3kgの土壌からセシウムを吸い尽くして1kgに育つ植物体、つまり移行係数が3になるだろう植物体を仮定すれば、こういう計算のおかしさが伝わるでしょうか。これはあくまで「1-移行係数」という計算のおかしさを示すための例で、そんな植物は存在しませんが。(殆どの場合、0.01を下回る)*2
移行係数は土中のセシウムが植物が吸収可能な形で溶出している程度と吸収しやすさの両方の影響を受けるので、移行係数の低下は土中にセシウムが固定されていることを必ずしも意味しません。
例えば土中にカリウムが豊富な場合、土中のセシウムカリウムに置換される形で溶出しやすくなりますが、カリウムが豊富だと植物はセシウムを吸収し難くなるので、総合的には移行係数は低くなります。

ゼオライトは選択的にセシウムを吸着するわけではありません

土壌改良剤として知られているゼオライトセシウム対策として持ち上げられていますが、畑に肥料を足しながら使っている限り、移行係数の低下はゼオライトセシウムを吸着していることによるのではないだろうと思います。
むしろゼオライトを施すことによるカリウムの増加が移行係数を下げていると考えた方が自然と思います。

現地ほ場、ポット栽培試験ともにゼオライト施用量に応じて土壌の交換性カリ含量は増加した(図1、2)。土壌の交換性カリ含量が低いほど、ゼオライト施用による野菜の放射性セシウムの吸収量は低下したため、ゼオライトから供給された交換性カリが放射性セシウムの吸収抑制効果に寄与したと考えられた。

http://www4.pref.fukushima.jp/nougyou-centre/kenkyuseika/h24_radiologic/h24_radiologic_27.pdf

このPDFファイルにはゼオライトを施しても放射性セシウムの吸収抑制効果は認められなかった例が載っています。
栽培前土壌の交換性カリが高濃度な場合、もとからそこで得られる植物体の放射性セシウム濃度は低く、ゼオライトを施すことによる低下は見られないわけです。
ゼオライト負電荷を帯びているゆえにCs+を含む陽イオンを吸着しますが、天然の状態でK+なりCa2+なりNa+なりを吸着しているわけで、ゼオライトを施すことでそれが土中の別種の陽イオン(NH4+とかMg2+とか)を吸着し相対的にカリウムを放出すること(置換)により交換性カリ含量が増加しているのではないでしょうか。
そうであるにしろないにしろ、ゼオライトを施すことで土壌の交換性カリ含量は増加しているわけで、土壌は豊富に陽イオンを抱えている状態であり、つまり、ゼオライトセシウムを吸着しても陽イオン置換ですぐに溶出する状態と推測できます。この場合の植物体の放射性セシウム濃度低下はゼオライト陽イオン吸着能力によるセシウム固定の結果というより、カリウムセシウム吸収抑制能力によると見た方がいいのではと思います。
陽イオン吸着能力の低い土壌にゼオライトを施すことはセシウム対策としてある程度の効果を持ちうると思いますが、もともと陽イオン吸着能力が高く陽イオンも豊富な土壌にゼオライトを施しても、その移行係数低減効果は殆どカリウムによるもので、ゼオライトセシウムを固定するからではないでしょう。おそらく、カリウム系肥料でも類似した効果が得られると思います。
セシウムを選択的に固定する能力がある土壌だったりしたら、ゼオライトを施すよりカリウム系肥料を施した方が結果的には良いのではないでしょうか。

除染の基本は表土を取り除くことだと思います

セシウムは降雨がいくらあっても、またいくら湛水して掛け流ししても下方に実にゆっくりにしか移行しない。(2)*3は、1955年から1975年まで原水爆実験が行なわれ世界の土壌がセシウムによって汚染されたが、その後耕作し続けた土壌でも表土50cm以下までセシウム汚染しているところがないことを示している。したがって、表土を10cmほど削り、50cm以上掘って、天地返しすることは、放射能汚染を人間環境から完全に隔離するという点からは、技術的にはベストな方法である。

http://yamazaki-i.org/kou/KOU125_henshubu_mori.pdf

未耕地土壌ではセシウムは概ね深さ10cmまでに留まるので、除染を考えれば放射能汚染事故後の最初の耕作は耕す前に表土を10cm削りとるのが良いと思います。

結局、セシウムをどうしたいのですか?

セシウム対策は何をしたいのかにより変わると思います。
植物が吸収し難いように土中に固定させたいのか、除染のために溶出させたいのか。
セシウムを土中に固定させたいのであれば肥料を施すべきではありません。肥料を施すということはK+なりCa2+なりNH4+なり土壌に陽イオンを供給することとほぼ同じで、それは陽イオン置換によりセシウムの溶出を促すものだからです。肥料を施さず土壌を痩せた状態にしておけば、土壌の陽イオン吸着能力に応じてセシウムは土中に固定されやすくなります。
セシウムを土中に溶出させたいのであれば、その上で植物体への移行係数を上げたいのか下げたいのか。
移行係数を上げたいのであればアンモニア系肥料を多めにすればいいでしょう。移行係数は上がり、その分、植物体に吸収させての土壌の除染は早まります。特にNH4+は雲母と吸着したりしているCe+でも溶出させるようですから土中に固定されてしまったセシウムにも有効でしょう。*4
移行係数を下げたいのであればカリウム系肥料を多めにすればいいでしょう。移行係数は下がり、植物体の放射性セシウム濃度は低くなります。その分、植物体に吸収させての土壌の除染には時間がかかることになりますが。
いずれにしても植物体に移行した分、土壌に含まれるセシウムの量は減少します。植物体が汚染されている分だけ、土壌は除染されます。
「食べて応援」とは長期的には、ある意味、「食べて「薄めて散らす」に貢献」であり「食べて除染に協力」なのだと思います。
汚染の程度が低ければ人間が食べても殆ど問題にならないと分かっていてやっていることであり、それが汚染地の人々への幾らかの貢献になると考えてやっていることなわけです。
仮に生産者の人々が汚染度の高い表土を取り除かずに耕していたとしても「植物体に吸収させての除染」の対象量が幾分増えるということがあっただけで、やることは変わりませんし、生産者の人々が仮にEM菌を信奉していたりとかゼオライトの効果を盲信していたりとかしていても、それをやめることを私はしないでしょう。


以上、id:kurumishinhamaさんへの私信のようなもの。

旅行記2014春

5月の初めにカミさんと旅行してきました。
行き先はディズニーリゾートと福島。

初日はディズニーシー。

アンバサダーホテルに宿泊し、

二日目はディズニーランド。

福島ではまずリカちゃんキャッスルへ行き、

次は喜多方市へ移動。

ほまれ酒造雲嶺庵に行ってきました。

雲嶺庵の庭園。

サービスエリアで買った喜多方ラーメン。時期限定でめんが120gから140gに増量されていました。

「サンフランシスコ平和条約で受諾したのは極東国際軍事裁判所の裁判ではなく判決」というのは文脈無視での俗流解釈による嘘

サンフランシスコ平和条約第11条で受諾したのは法廷が課した刑の執行としての諸判決であり、東京裁判における事実認定を含む裁判ではない。judgmentsと複数形になっているのがその証拠だ。外務省による英文和訳が悪い」というような主張は日本国が事実認定を含めて東京裁判を受諾していることを否定するために用いられる使い古された嘘です。
この記事ではそういう主張の誤りについて説明します。

judgmentsと複数形になっている理由

サンフランシスコ平和条約第11条においてjudgmentsと複数形になっている理由は条文を読めば明らかです。

Article 11
第十一条

Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan, and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan.
日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。

対訳 サンフランシスコ平和条約

「the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan (極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷)」というように極東国際軍事裁判所の他に複数の連合国戦争犯罪法廷のjudgmentも受諾するのですから、それが複数形のjudgmentsになるのは当然のことです。
「judgmentsと複数形になっているから諸判決だ」というのは発想が斜め上過ぎて何を言っているのかと困惑します。

極東国際軍事裁判所のjudgmentは何を指しているか

極東国際軍事裁判所のjudgmentが何を指しているかは判決文を読めば明らかです。

Judgment
International Military Tribunal for the Far East (極東国際軍事裁判所)

PART A
CHAPTERS I-III
Chapter I Establishment and Proceedings of the Tribunal (本裁判所の設立および審理) 1-22
Chapter II The Law (法) 23-37
Chapter III Obligations Assumed and Rights Acquired by Japan (日本の権利と義務) 38-82

PART B
CHAPTERS IV-VIII

Chapter IV The Military Domination of Japan and Preparations for War (軍部による日本の支配と準備) 83-520
(part b) 281-405
(part c) 405-520
Chapter V Japanese Aggression Against China (中国に対する侵略) 521-775
(Sections III-VII) 648-775
Chapter VI Japanese Aggression Against the U.S.S.R. (ソ連に対する侵略) 776-842
Chapter VII The Pacific War (太平洋戦争) 843-1000
Chapter VIII Conventional War Crimes (Atrocities) (通例の戦争犯罪(残虐行為))1001-1136

PART C
CHAPTERS IX-X

Chapter IX Findings on Counts of the Indictment (起訴状の訴因についての認定) 1137-1144
Chapter X Verdicts (判定)

HyperWar: International Military Tribunal for the Far East

引用文の全角括弧内の翻訳は引用者が加えたもの。
これが極東国際軍事裁判所のjudgmentであり、その中には日本の侵略戦争戦争犯罪に関する事実認定が含まれています。
サンフランシスコ平和条約第11条において受諾したjudgmentの中身がこれらであることは文脈的に明らかで、日本語訳でjudgmentを裁判と訳そうが判決と訳そうが、サンフランシスコ平和条約の英文における意味が変わることはありません。
judgmentは日本語では裁判とも判決とも訳され、日本語の法律用語としての裁判は(口頭弁論を経る)判決の他に(裁判所が行う)決定や(裁判官が行う)命令も含むものですが、仮に判決と解釈したところで、判決文に「本裁判所の設立および審理」(裁判が正当なものであることについての判決文)や各種事実認定なども含まれているわけですから、サンフランシスコ平和条約で日本国が東京裁判の正当性や合法性や事実認定を含めて受諾したことに変わりはありません。

judgmentの訳語は日本語における法律用語としてはどうなのか

そもそも、判決は法律用語的には「訴訟において、裁判所が当該事件について一定の厳重な手続を経た上で示す裁判のこと」*1であるわけで、判決は裁判の一形態であり、判決と訳せば東京裁判の事実認定などを受諾していることにならないということになるわけがありません。
サンフランシスコ平和条約第11条におけるjudgmentの訳語は「極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷」で為されたjudgmentsの全てが口頭弁論を経たものであれば裁判でも判決でもいいですが、口頭弁論を経ないものが含まれていれば法律用語的には裁判とするのが適切となります。
極東国際軍事裁判所条例*2の第四条(ロ)では「本裁判所ノ為ス一切ノ決定並ニ判決ハ、出席裁判官ノ投票ノ過半数ヲ以テ決ス」となっているので、極東国際軍事裁判所におけるjudgmentの訳語は法律用語的には決定も判決も含む裁判とするのが適切です。ならばサンフランシスコ平和条約第11条におけるjudgmentの訳語に裁判をあてることには何の問題もありません。極東国際軍事裁判所におけるjudgmentを受諾することが裁判を受諾することであることは法律用語的には明らかです。
サンフランシスコ平和条約第11条の目的が連合国から日本国へ「日本国で拘禁されている日本国民」に対する刑の執行を引き継ぐことであることを考えると、判決と訳してしまうと決定や命令による刑の執行に不都合が生じるので、裁判と訳するのが適切となります。
サンフランシスコ平和条約第11条で刑の執行者となる日本国としては、不当な刑の執行をするわけにはいかないので、「極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判」を不当なものとすることはできませんから、それらを正当なものとして受諾するのは当然のこととなります。
「受諾したのは刑の執行としての判決であって裁判ではない」というのは、極東国際軍事裁判所の判決文を確認せずにサンフランシスコ平和条約第11条におけるjudgmentのみを狭い意味で解釈することによってのみ成立する嘘でしかありません。そして、この嘘が英語圏に対して通じるわけがないことは明らかですし、日本語でも法律用語的には通じるわけがありません。

東京裁判受諾に関する政府見解

過去の国会会議録からサンフランシスコ平和条約第11条に対する日本政府の立場は明らかです。


第12回国会 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第4号 昭和二十六年十月二十六日(金曜日)における当時の政府委員である外務省条約局長西村熊雄氏の答弁。

第十一條は戰犯に関する規定でございます。この條約の規定は、日本は極東国際軍事裁判所その他連合国の軍事裁判所がなした裁判を受諾するということが一つであります。いま一つは、これらの判決によつて日本国民にこれらの法廷が課した刑の執行に当るということでございます。そうしてこの日本において刑に服しておる人たちに対する恩赦、特赦、仮釈放その他の恩典は、将来は日本国政府の勧告に基いて、判決を下した連合軍のほうでこれをとり行うという趣旨が明かにされております。極東軍事裁判所の下した判定については、この極東軍事裁判所に参加した十一カ国の多数決を以て決定するということになつております。一体平和條約に戰犯に関する條項が入りません場合には、当然各交戰国の軍事裁判所の下した判決は将来に対して効力を失うし、又判決を待たないで裁判所が係属中のものは爾後これを釈放する、又新たに戰犯の裁判をするということは許されないというのが国際法の原則でございます。併しこの国際法の原則は、平和條約に特別の規定がある場合にはこの限りにあらずということでございます。従つてこの第十一條によつて、すでに連合国によつてなされた裁判を日本は承認するということが特に言われておる理由はそこにあるわけでございます。戰犯に関する限り、米国政府の態度は極めて友好的であつたと私は一言ここに附加えておきたいと、こう思います。

参議院会議録情報 第012回国会 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第4号

引用文中の強調は引用者による。
サンフランシスコ平和条約第11条が各軍事裁判所の裁判受諾と刑の執行の二つを規定するものであることは明らかで、刑の執行のみを受諾したなどということはありえません。
平和条約に裁判受諾に関する記述がある理由もこれを読めば明らかでしょう。


第162回国会 外交防衛委員会 第13号 平成十七年六月二日(木曜日)における当時の政府参考人である外務省国際法局長林景一氏の答弁。

先生も今御指摘のとおり、サンフランシスコ平和条約第十一条によりまして、我が国は極東国際軍事裁判所その他各国で行われました軍事裁判につきまして、そのジャッジメントを受諾しておるわけでございます。
このジャッジメントの訳語につきまして、裁判というのが適当ではないんではないかというような御指摘かとも思いますけれども、これは裁判という訳語が正文に準ずるものとして締約国の間で承認されておりますので、これはそういうものとして受け止めるしかないかと思います。
ただ、重要なことはそのジャッジメントというものの中身でございまして、これは実際、裁判の結論におきまして、ウェッブ裁判長の方からこのジャッジメントを読み上げる、このジャッジ、正にそのジャッジメントを受け入れたということでございますけれども、そのジャッジメントの内容となる文書、これは、従来から申し上げておりますとおり、裁判所の設立、あるいは審理、あるいはその根拠、管轄権の問題、あるいはその様々なこの訴因のもとになります事実認識、それから起訴状の訴因についての認定、それから判定、いわゆるバーディクトと英語で言いますけれども、あるいはその刑の宣告でありますセンテンス、そのすべてが含まれているというふうに考えております。
したがって、私どもといたしましては、我が国は、この受諾ということによりまして、その個々の事実認識等につきまして積極的にこれを肯定、あるいは積極的に評価するという立場に立つかどうかということは別にいたしまして、少なくともこの裁判について不法、不当なものとして異議を述べる立場にはないというのが従来から一貫して申し上げていることでございます。

参議院会議録情報 第162回国会 外交防衛委員会 第13号

引用文中の強調は引用者による。
judgmentの中身が極東国際軍事裁判所の判決文であり、それには「裁判所の設立、あるいは審理、あるいはその根拠、管轄権の問題、あるいはその様々なこの訴因のもとになります事実認識、それから起訴状の訴因についての認定、それから判定、いわゆるバーディクトと英語で言いますけれども、あるいはその刑の宣告でありますセンテンス、そのすべてが含まれている」ことはその判決文を読めば明らかです。
judgmentの日本語における訳語を変えたところで、それらを受諾したということに変わりはありません。


第165回国会 本会議 第4号 平成十八年十月二日(月曜日)における当時の内閣総理大臣である安倍晋三氏の答弁。

過去に日本がアジアでとった行為についてのお尋ねがありました。
さきの大戦をめぐる政府としての認識については、平成七年八月十五日及び平成十七年八月十五日の内閣総理大臣談話等により示されてきているとおり、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたというものであります。
いわゆるA級戦犯の国家指導者としての責任についてお尋ねがありました。
さきの大戦に対する責任の主体については、さまざまな議論があることもあり、政府として具体的に断定することは適当ではないと考えます。
いずれにせよ、我が国は、サンフランシスコ平和条約第十一条により極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しており、国と国との関係において、この裁判について異議を述べる立場にはないと考えています。

衆議院会議録情報 第165回国会 本会議 第4号

引用文中の強調は引用者による。
外務省の役人ではなく内閣総理大臣自身が「極東国際軍事裁判所の裁判を受諾」していることを認めています。
このように安倍晋三氏のような人でも日本国の首相という責任のある立場につけば日本政府の公式見解に沿った言動をせざるをえないというわけです。

東京裁判史観を覆したいなら学問的手段で

日本国はサンフランシスコ平和条約東京裁判を受諾しており、政府見解もそうなのですから、東京裁判における事実認定に基づいた国際社会における歴史観を覆すことは政治的手段では無理です。
そういうわけで東京裁判史観を覆したい人々は学問的手段を用いるべきです。
そのためには地道で膨大な史料研究が必要で、知的で誠実でそういう史料研究を行う人が歴史修正主義者になることは、まあ、ありえないのですけどね。

ビルドアカツキガンダム・金環蝕 (バンダイ 1/144 HGBF ビルドアカツキガンダム使用)

またもや久々となってしまった完成品。
URLはこちら。
ビルドアカツキガンダム・金環蝕 (バンダイ 1/144 HGBF) BUILD AKATSUKI GUNDAM ANNULAR ECLIPSE - 完成画像
ビルドアカツキガンダム オリジナルカラー (バンダイ 1/144 HGBF) BUILD AKATSUKI GUNDAM - 完成画像
ビルドアカツキガンダム (バンダイ 1/144 HGBF) - 製作過程
模型のことはろくに書いていないし、単身赴任になってからキャラ弁もないしで、ブログタイトルの方をどうにかすべきではないかと思う今日この頃。

現代の歴史学の記述に東京裁判史観だの自虐史観だのと不満がある人は学問的事実をもって覆すべき

現代の歴史学の記述に不満があるならまず学問研究してみてくださいという話。
現代の歴史学の記述を東京裁判史観だの自虐史観だのと否定する人々の不満を汲めば、現代の歴史学の記述は戦勝国の政治としての歴史であり、学問的事実に基づいた真実の歴史ではないということなのでしょう。
ならば、そういう人々が為すべきことは自らが信じる真実としての歴史を学問的手法に従った研究成果をもって学問的事実として世に認めさせることです。学問的手法は素人にも開かれているのですから。
「政治力」や「情報戦」で内輪でしか通じない理屈を広めようとしても外交的自爆や裁判敗訴で問題を大きくするだけなのは南京事件否定論からも慰安婦問題否定論からも明らかでしょう。そういう史実否定は外交的には自殺点カードであり被害者に二次加害しながら歴史認識カードを周りに配る行為でしかありません。
現代の歴史学の記述を東京裁判史観だの自虐史観だのと言う方が偏見に過ぎないだろうという話は置いといて、目的達成のために正しい手段を選ぶべきではという話。
個人的には南京事件否定論とか慰安婦問題否定論とかの歴史修正主義の方が「こんな凄い国に生まれた俺スゲー」的自慢史観のための障害排除行為だと思いますが。
史実否認しての自慢史観なんて外交的にも経済的にも害ばかりで、全体主義国家における奴隷国民育成のための「愛国心」教育ぐらいにしか役立たないでしょうにね。