「共産主義自体に虐殺に向かう性質がある」という虚妄
非道に対する非難は大いに行うべきだが、こういうのはいただけない。
「共産主義自体に虐殺に向かう性質がある」という主張を目にすることがある。反共言論人の言葉とかその言論人の言葉の受け売りとか。
決まって引き合いに出すのはソ連、中国、カンボジア等、共産主義国家が引き起こした虐殺の例。これこれこのように共産主義国家は虐殺を引き起こしている。ゆえに「共産主義自体に虐殺に向かう性質がある」というわけだ。もちろん虐殺自体は非難されてしかるべきだが、これは典型的な因果関係と相関関係の区別のついていない虚妄というものだ。「アメリカの国家犯罪全書」とかの内容をもとに「資本主義自体に国家犯罪に向かう性質がある」と主張するのと同様の妄言に過ぎない。
共産とか反共とかいった要素は虐殺と直接には関係ない。アメリカ入植者によるネイティブアメリカンの虐殺や反共ファシズムなナチスドイツによるユダヤやロマや障害者の虐殺を見れば明らかだ。
虐殺は人が同じ人間の間に境界を作り、境界の向こうの人間を迫害することに正義を与えたときに発生する。その境界は人種だったり社会格差だったり文化だったりとバリエーションに富んでいるが、境界の向こうの人間を同じ人間として見ないという点では共通している。相手を同じ人間として見ないことにより「同属殺しの禁止」という本能的ルールによる規制は解除され、正義の名の下に大量殺戮が行われる。虐殺等の数々の残酷な行為は人間の一面であり、共産主義固有の性質ではない。
「共産主義自体に虐殺に向かう性質がある」という主張は恣意的に選択したサンプルを用いた印象操作であり、テレビショッピング並みの宣伝に過ぎない。しかし、テレビショッピング並みの宣伝に引っかかる人が多いのも現実だ。
非道は非難されてしかるべきであるが、それらを特定思想の流布のために本質を無視して恣意的利用することも忌むべきである。