歴史修正主義における否定論の分類
南京事件否定論や従軍慰安婦否定論など史実を否定しようとする主張を歴史修正主義と呼びます。
この呼び名はホロコースト(ナチスによるユダヤ人虐殺)否定論を主張した人々が歴史修正主義を自称したことに由来します。
歴史修正主義は学問としての歴史を嘘扱いする嘘であり似非歴史学とでも呼ぶべきものです。
学問としての歴史を主張する史実派と学問としての歴史を嘘扱いする否定派の論争は学問における正と誤の争いです。当然、それは思想の左右の対立ではありません。
歴史修正主義における史実の否定には様々なタイプがあります。
私の経験に基づき以下に簡略に分類します。
素朴否定論
「そういう事実は無かった」という主張。
南京事件でいえば「当時の南京の人口は20万人。20万人のところで30万人は殺せない」というように南京安全区の人口である20万人を南京市全体の人口であるかのように偽ることで相手が不可能なことを主張しているとする嘘をつくなど、自らが作り出した虚像を虚構として否定することで歴史的事実自体を否定しようとする主張です。
無論、南京事件当時の南京市全体の人口が20万人ということはなく、虐殺の事実は戦闘詳報や日記など日本側の記録にも裏づけられているわけで、このような否定論は学問的にはまったく成り立ちません。
解釈否定論
「そういう事実はあったが非難されるようなことではない」という主張。
条約や史料などに対して学問的には通用しないような独自解釈(あるいはそういう独自解釈の受け売り)を行うことにより、歴史的事実自体ではなくその犯罪性や非人道性を否定しようとします。
ハーグ陸戦条約の独自解釈の例では「南京事件においては指揮官が逃亡していたことにより投降兵は捕虜になる資格を失っていたので無裁判処刑しても虐殺ではない」「南京事件において軍服を脱いだ敗残兵は捕虜になる資格を失っていたので無裁判処刑しても虐殺ではない」などがあげられます。これらは条約の義勇兵の部分、つまり正規兵でなくてもこういう条件を満たせば交戦者資格を認められ正規兵同様の保護を得られますよという部分を正規兵にあてはめるという過ちをおかしています。
政治的否定論
「認めることが不利益となるので事実であろうと認めない」という主張。
「認めると日本人が劣等民族視され非道い目にあわされかねないので認めない」「認めると賠償を求められるのでたかられないために認めない」など「そういう事実があったことは知っているが対外的には認めるわけにはいかない」と史実を否定しようとします。
この手の主張が間違いであることは明らかでしょう。
ナチスのホロコーストとドイツ人の関係を見れば史実を認めても劣等民族視されるというわけではないことは明らか*1ですし、南京事件でいえば中国は戦争自体の賠償を放棄していますし、そもそも史実を自省するなら求められなくても自ら謝罪し償いをするのが筋で、自らが勝手に想定したそれを相手のたかり扱いすること自体が人として醜悪な考えというものです。
それに既に歴史的事実として諸外国に認知されていることに対して認めるも認めないもないでしょう。
どのように認知されているかについて南京事件の場合の例を挙げます。
Japanese Invation of China
LOCATION China
DATE July 1937-January1938
FORCEs Chinese:2,150,000;Japanese/Manchurian:450,000
CASUALTIES Total at Shanghai: c.200,000;Chinese at Rape of Nanking:c.250,000
On July,1937,a clash between Japanese and Chinese troops at Beijing's Marco Polo bridge precipitated a fullscale war in which the Kuomintang and the communist Chinese fought as allies against the Japanese. The heaviest fighting occurred at Shanghai,where Japanese troops carried out amphibious landings with strong naval and air support from August 13. By September 12 Japanese forces were inside the city,but fierce Chinese resistance continued from street to street. In early November Chinese forces carried out a fighting withdrawal. With Shanghai in their hands, the Japanese advanced on Nanking, where Chinese soldiers failed to put up substantial resistance, despite outnumbering their enemy. The Japanese subjected the city to aerial bombardment and then unleashed six weeks of brutality and massacre upon civilians and prisoners of war alike. Between 200,000 and 300,000 People were killed,many after rape or torture.
中国における日本軍の侵攻
場所 中国
日付 1937年7月〜1938年1月
軍隊 中国軍:215万人、日本軍(中国東北部):45万人
犠牲者数 上海での総犠牲者:約20万人、南京事件での中国人犠牲者:約25万人
1937年7月、北京の盧溝橋での日本軍と中国軍の衝突は国民党と共産党の中国人が同盟して日本に対して戦う全面戦争を生じさせた。最も激しい戦いは上海で起こった。そこへ日本軍は8月13日から強力な海空の支援とともに陸海軍共同での上陸を行った。9月12日までに日本軍は市街に入っていたが、激しい中国人の抵抗は街中で続いた。11月上旬に中国軍は撤退を実施した。上海を手におさめると、日本軍は南京に向かって進んだ。中国軍兵士は人数において日本軍を上回っていたのにかかわらず、そこで強固な抵抗を示せなかった。日本軍は南京市に空爆を行い、それから、6週間の蛮行と虐殺を民間人にも捕虜にも同様にくりひろげた。20万人から30万人の人々が殺害され、多くの人々が強姦や拷問の後に殺害された。
「BATTLE(R.G.GRANT)」P293より引用。翻訳は引用者による。
Battle: A Visual Journey Through 5,000 Years of Combat
「BATTLE」は古代から現代までの戦争の移り変わりについて概ね通説に基づいて大まかに書かれた本。*2
「南京事件での中国人犠牲者:約25万人」というのは表記の簡略化の際に20万人と30万人の中間値をとったものでしょう。南京事件の犠牲者については東京裁判検察側最終論告*3では「六週間に南京市内とその周りで殺害された概数は、二十六万乃至三十万で、全部が裁判なしで残虐に殺害されたのであります」とされており20万人から30万人と書かれることもありますから。*4
南京事件に関するこのような記述はこの本に限らず、既に連合国史観において南京事件はこのように20万人から30万人の人々が惨たらしく殺害された事件として扱われています。日本が対外的に認めるか認めないかなど関係はありません。
では、それによって日本人が惨たらしい振る舞いをする劣等民族として虐殺されても仕方がない対象として見られているかといえばそうではありません。このようなことが歴史的事実として知られたとしても、それをもって劣等民族と思われることはなく、被虐殺リスクともなりはしないわけです。
むしろ、従軍慰安婦の歴史的事実を否定しようとした広告「THE FACTS」とその結果の日本に対する非難決議のことを考えれば歴史的事実を認めようとしない方が国際的な非難をまねくのが現実です。
「認めると日本人が劣等民族視され非道い目にあわされかねない」というのはヘイトクライムの対象となる恐れを利用して他者を操作しようとする試みなわけですが、それは世界の人々をヘイトクライムを行うレイシスト扱いすることによってしか成立しえず、そして世界の人々はそういう人ではなかったということです。
私は、この手の主張をしてしまうのは凶暴性や残虐性を出自によるものとするような心性の持ち主、つまり民族差別を行うような心性の持ち主なのではないかと思います。自らが自らの価値観において差別される側になることを恐れていればこそ、そのような主張を行ってしまうのではないでしょうか。
ただ、仮にそうだとして、そのような主張もまったくゆえないことというわけではないでしょう。
ユダヤ人に対するポグロムなど、確かに歴史には民族差別由来の虐殺の例がありますから。
しかし、そのような民族差別由来の虐殺を未然に防ぐ方法は民族差別問題の可能な限りの解消であって、差別主義者に民族差別の根拠とされてしまうような負の歴史を何が何でも認めないことではないというものでしょう。
民族差別由来の虐殺が発生する可能性を下げたいなら民族差別自体を悪いこととして否定するような価値観を広めるべきなのです。
そして、現代は既に民族差別が悪いこととして認識されている時代の筈です。
私は南京事件は民族によるものではなく状況がそうさせたものであることを知っていますし、仮に知らなくても凶暴性や残虐性を出自に帰すような思考をしません。
フレンチ・インディアン戦争でのイギリス軍の天然痘毛布を非道と思いますが、それでイギリス人を虐殺されても仕方がない人々と思うこともありません。
私はそのように思うことが当たり前であるべきと考えます。
歴史問題をめぐる人間の反応についてはまだまだ書きたいことがあるのですが、長くなったのでここで一旦切ります。
犠牲者数値切り論や不可知論への逃走といった否定論ではなくても加害責任矮小化論ではある人についてはまた別の機会にでも。