ぶち切れカリクレス

ソクラテス だからまた、もろもろの欲望を満足させるということも、たとえば、飢えているときには食べたいだけ食べるとか、渇いているときには飲みたいだけ飲むとかいうことも、もしその人の身体が健康であれば、医者は大抵の場合、その人のしたいようにさせておくけれども、しかし病気をしているときには、その人の欲しがるもので欲望を満足させることを、いわば絶対に許さないのではないかね。少なくともその点は、君も承認してくれるのかね。
カリクレス 承認しよう。
ソクラテス では、魂についても、ねえ、君、これと同じ扱い方をすることになるのではないかね。すなわち、魂が劣悪な状態にあるかぎり、つまり無思慮で、放埓で、不正で、そして不敬虔なものであるかぎりは、そういう魂には欲望の満足を禁じるべきであり、そして、その魂がよりすぐれたものになるのに役立つこと以外は、何ごとも勝手にさせないようにすべきである。君はこれを認めるかね、それとも、認めないのか。
カリクレス それは認める。
ソクラテス というのは、おそらくそういうふうにするのが、魂そのものにとっては、よりよいことだからであろう。
カリクレス たしかに。
ソクラテス それではその、欲望の満足を禁じるということが、つまり抑制するということではないかね。
カリクレス そうだ。
ソクラテス してみると、その抑制されることのほうが、君がさっき考えていたような、あの無抑制の放埓よりも、魂にとってはよりよいことになるのだ。
カリクレス 何のことだか、さっぱりわからないね、ソクラテス。しかしまあ、誰かほかの人にでも訊いてごらんよ。
ソクラテス (傍白)ほら、この男はね、がまんができないのだよ、自分のためになることをしてもらうのがね。そして自分では、いま話題になっている当のこと、すなわち抑制されることをいやがるのだ。
カリクレス ああ、そうだとも。それに、あなたの言っていることなんか、ぼくにはまるっきり興味がないのだ。これまでのことだって、ゴルギアスさんのために答えたまでだからね。
ソクラテス そうかねえ。それならそれで、ぼくたちはこれからどうしたらいいのかね。この議論は途中で打切りにするのかね。
カリクレス それは、あなたが自分で決めたらいいだろう。

ゴルギアス」P210-211より。
引用したソクラテスとカリクレスの対話を見ると、人間の議論での態度は紀元前400年前後の時代からまったく変わっていないのではと思わせられます。
相手の言うことを認めることは議論に負けることになるが、しかし、認めないことは論理的におかしい。こういうときに、議論に負けないためにわからないふりをする(理解することを拒否する)。
熱心に話していた話題に対して、もとから興味が無かったかのように振る舞いだす。
負けが見えた議論を投げ出したがる。
カリクレスは、さらには「自分が議論に負けたくない」だけなのに「相手が議論に勝ちたいのだ」と言うような自己欺瞞ぶりも見せてくれます。
無論、引用したソクラテスとカリクレスの対話はプラトンの記述によるものであり、創作と解釈すべきものでしょうが、それでもカリクレスの見せる反応はある種の人々の典型だと思います。
どういう人々のことかといえば、他者に対して感情的だと批判したがる自らを論理的で現実的だと思い込んでいるであろう人々のこと。
私にはカリクレスが見せる反応が、そういう人々が議論に負けそうになったときに見せる態度と重なって見えます。*1
私は、感情的であることを悪いこととは思いませんし、議論を勝ち負けのためのものとも思いません。
思いませんが、しかし、他者を感情的だと批判するような人々が、「わからないふりをする」「相手の態度のせいにする」などの議論に負けないための感情的反応をするのはどうかと思うんですよね。
そういう人々の言動が自己評価に追いつくことを願ってやみません。

ゴルギアス」においてのプラトンの結論

ゴルギアス」の主題はそういう人々の態度を皮肉ることではないのですが、こういう紹介では勘違いされてしまいそうですね。
ソクラテスはこう言います。

いや、これほどの長い議論の間に、ほかの説はみな反駁されていったのだが、ただこの説だけは、反駁にも揺がないで、止まっているのだ。すなわち、ひとは不正を受けることよりも、むしろ不正を行なうことのほうを警戒しなければならない。また、ひとは何よりもまず、公私いずれにおいても、善い人と思われるのではなく、実際に善い人であるように心がけなければならない。しかし、もし誰かが、何らかの点て悪い人間となっているのなら、その人は懲らしめを受けるべきである。そしてこれが、つまり裁きを受けて懲らしめられ、正しい人になるということが、正しい人であるということに次いで、第二に善いことなのである。さらにまた、迎合は、自分に関係のあるものでも、他人に関係のあるものでも、あるいは、少数の人を相手とするものでも、大勢の人を相手とするものでも、どれもすべて遠ざけるべきである。なお、弁論術もそういうふうに、いつでも正しいことのために用いるのでなければならない。そしてそれは、他のどんな行為の場合でも同じである、というそういう説だけは揺がずにいるのだ。

ゴルギアス」P277-278より。
プラトンソクラテスの台詞として迎合を明確に否定しています。
プラトンにとって迎合して相手の欲望を満足させるようなことを言って誘導することは政治ではありませんでした。
反発されるような苦いことを言っても相手を立派な優れた人間にしようとすること。そのようにして一人一人を良くしていくことが当時のプラトンにとっての政治であったわけです。
なんか理想に偏りすぎて「戦略が悪い」と言われそうな話ですが、迎合によって理念が損なわれては元も子もないと考えれば尤もな話だとも思うんですよね。


ゴルギアス (岩波文庫)
ゴルギアス (岩波文庫)

*1:見方によってはソクラテスがカリクレスを論理の棍棒でいたぶっているようでもあるとは思いますが。