「虐殺少数派」のトリック

6「虐殺少数説」の登場

本章で見てきたように、一九八〇年代は、南京事件をめぐる激しい論争に触発されながら、南京戦に参加した旧軍関係者の記録や証言がつぎつぎに発掘、公表され、南京事件における捕虜の集団虐殺などの局面がかなり明確になり、また下級兵士たちの陣中日記や手記が公刊されて、強姦、略奪、暴行、放火など末端部隊における不法行為の実態も明らかになり、それらの新資料を基礎にして、南京事件調査研究会のメンバーを中心に、南京事件の多面的な実態とその原因分析をふくめた全体像の解明が急速な進展を見せた。こうした史料の発掘と研究の進展のなかで、「まぼろし派」「虚構派」は学問的には破綻した。
それにかわって南京事件の事実は認めながらも、犠牲者数や規模を小さく見積もることで、事件としての深刻な意味を過小評価して、戦争につきものの事件の一つにすぎない、中国の「三〇万人虐殺」は「虚構」であると主張する「虐殺少数説」が登場するようになった。「虐殺少数説」の役割は、虐殺問題を虐殺者総数の数量の論議に矮小化させ、肝心な虐殺の実態や被害者の実態にたいする関心を稀薄化させ、ある意味で「ゲーム化」した数字や計算の議論に「論争」を集中させる傾向をもたらしたことである。「虐殺少数説」の本音は「南京大虐殺」の否定にあり、南京事件の実態を解明してその事実を誠実に受け止めようというところになかったことは、「虐殺少数説」派の板倉由明の前述のような元兵士たちの証言封じの活動からも明らかである。

南京事件論争史―日本人は史実をどう認識してきたか (平凡社新書 403)P164-165より。
「虐殺少数派」のトリックその一。虐殺問題を虐殺者総数の数量の論議に矮小化。
ある種の「虐殺少数派」が歴史修正主義者と呼ばれる理由はその姿勢にあります。口先で「誠実」を装おうとも、その姿勢*1から『「大虐殺」を否定することで事件を否定したい』という本音が透けているのです。
本当に南京事件の実態を解明してその事実を誠実に受け止めようという姿勢があれば、そうそう歴史修正主義者と呼ばれることはないというものです。

板倉由明 『本当はこうだった南京事件』 (日本図書刊行会、発売近代文芸社、一九九九年)

同書の出版年は一九九九年であるが、板倉由明の単行本はこれ一冊であり、一九八〇年代からの主要論文が収録されている。板倉由明は板倉製作所の経営者であったが、一九八一年から南京事件の研究を始め、編集委員として偕行社『南京戦史』の編集に参加したという人物である。
板倉由明の主張の原点は、板倉由明「“南京大虐殺”の数字的研究―『三〇万虐殺説』虚構の証明」(1)〜(3)(雑誌『ゼンボウ』全貌社、一九八四年三月、一〇月、八五年四月)にある。板倉は「一〇万、二〇万、三〇万以上などという天文学的数字」の虐殺がありえなかったことを証明すれば、中国のいう南京大虐殺は虚構だったことになるとして「数字的研究」をおこない、不法殺害された被虐殺者数を一万ないし二万人と結論している。板倉は、資料から算出された中国兵の死者三万二〇〇〇〜三万五〇〇〇人中、不法殺害を八〇〇〇人と推定しているが、それは中国兵の投降兵、敗残兵、捕虜の殺害を不法殺害=虐殺とみなさないようにしているからである。
板倉は、南京の人ロを東京の下町の人口密度と比較しながら、「私の推計では南京は三〇万都市である。いいところ四〇万で、人口百万というのは相当のホラであろう」などと統計資料も調べないで推定し、残留市民を皆殺しにしても「三〇万人虐殺」不可能と断定している。
板倉は「『南京大虐殺』とは、『南京大屠殺』虐殺紀念館の壁の数字、即ち三〇万の虐殺を必須要素とし、日本車占領後六週間、城内外都市部とその近郊で起こった虐殺事件をいう。この定義による限り、私は『南京大虐殺は無かった』と断言する」といい、いっぽう「『南京事件』とは日本軍の南京占領前後に発生した一連の不祥事をいう。不法殺害を一ないし二万人と推定する」と定義する。板倉は南京事件はあったが南京大虐殺は「虚構」であると主張し、日本の「南京大虐殺派」は「中国の主張する三〇万を至上命令とするイデオロギー信者」「中国政府への精神的服従」者であると決めつける。
板倉のいう「南京大虐殺=三〇万人虐殺」は「虚構」「でっち上げ」といういい方は、南京虐殺の事実を否定できなくなった人たちが否定のための方便としていい逃れ的にいう手法で、南京虐殺はまったくなかったと主張する南京大虐殺「虚構説」と意図的に混同させて、けっこうつかわれている。

秦郁彦 『南京事件―「虐殺」の構造』 (中公新書、一九八六年)

大蔵省参事官から防衛庁に転出、防衛研究所の研究員となった秦郁彦は、軍事史、戦争史研究に従事、その後いくつかの大学教授を歴任した。本書は秦が日本軍の戦闘詳報や参戦者の日誌など、当事発掘、収集が進んだ旧軍関係の史料をつかって南京における日本軍の虐殺、略奪、放火、強姦などの蛮行の事実を明らかにし、南京事件の全体像を描こうとしたものである。
同書で秦は「不法殺害は四万?」といういい方をして、約四万人という被害者数は「あくまでも中間的な数字にすぎない」として「新資料の出現で動くこともある」と柔軟な姿勢を見せていたが、その後、小野賢二らによって第一三師団山田支隊だけで、一万五〇〇〇〜二万の捕虜集団虐殺をおこなったという新資料が発掘されても(後述)、四万人という数字を変えず、むしろ「中間派」としての存在を示すためにこの数字を固定してしまった。
秦は、南京事件の犠牲者数を一般人一万二〇〇〇人、捕らわれてから殺害された兵士三万人、計三万八〇〇〇〜四万二〇〇〇人と推計するが、前掲のいわゆる「大虐殺派」の約二〇万人と大きく違うのは、戦闘意欲をまったく失っている「敗残兵」や「投降兵」の殺害を「戦闘の延長と見られる要素もある」として、虐殺とは見ないこと、また軍服を脱ぎ棄てて民間人の服装に着替えて難民区に逃げ込んだ兵士を「便衣兵」とみなして、その殺害を「処刑」と考えたことである。
秦や板倉のような「虐殺少数説」(実際は一万人、四万人でも大虐殺であるが、数字のマジックで、三〇万人、二〇万人と比較すれば大虐殺ではないかのような錯覚に陥る)は、「敗残兵」「投降兵」あるいは「捕虜」の殺害を戦闘にともなう「合法的」なものであるとして、虐殺行為とみなさないことが、前掲のいわゆる「大虐殺派」の犠牲者数約二〇万人説と大きく違うところである。

同書P166-169より。
「虐殺少数派」のトリックその二。数字のマジックで大虐殺ではないかのように錯覚させる。
「虐殺少数派」のトリックその三。「不法殺害」が少なくなるように「法解釈」することで犠牲者数を少なく推計。*2

犠牲者数に関する質問に簡単に答えないことがある理由

史実派が南京事件の犠牲者数に関する質問に簡単に答えないことがある理由の一つは、犠牲者数の推定を論点にすること自体がここでいう『「虐殺少数派」のトリックその一』のような「虐殺少数派」の手にのることになるからです。


犠牲者数より虐殺の構造の方を問題にすべきと考えるのも理由の一つです。犠牲者数自体は日本軍の体質と日本軍の戦力と南京の人口規模の結果であり、投降兵を殺害したり物資を略奪に依存したりせざるをえないように日本軍兵士を追い込んだ大日本帝国の在りようの方が重要な問題というものでしょう。


事件における犠牲者の推定数が虐殺と判断する範囲をどうとるかによって大きく変わりうるというのも理由の一つです。
期間的範囲をどうとるか。
地理的範囲をどうとるか。南京城区なのか。南京行政区なのか。さらに広大な範囲なのか。
虐殺行為とみなす範囲をどうとるか。民間人の殺害。捕虜の殺害。投降兵の殺害。逮捕した敗残兵の殺害。逃亡する敗残兵の殺害。戦闘における殺害(戦死者)。
こういった範囲をどうとるかによって、同じ情報に基づいていても犠牲者の推定数は大きく変わります。*3
「虐殺少数派」は敗残兵や投降兵の殺害を虐殺行為とみなしませんが、「大虐殺派」は虐殺行為とみなします。*4
中国は犠牲者に戦死者も含めているようです。*5
事件における犠牲者数を推定するためには、まず犠牲者とする範囲を定義するところから始めなければなりません。「お互いが納得できる犠牲者数」を推定するためには、犠牲者とする範囲の定義において合意を形成するところから始めなければならないわけです。

虐殺行為とみなす範囲に対する私の判断

私は犠牲者に戦死者も含むとは判断しませんが、中国がそう主張するのは侵略された側であることを考えれば分からないでもありません。
逃亡する敗残兵の殺害は(通常は戦死者扱いだとしても)南京事件においては虐殺の犠牲者に含めてもいいと私は判断します。私がそう判断するのには理由があります。
不公正だからです。*6
私は板倉由明が「適性派(ママ)」じゃまずいでしょう、山本さん(追記あり) - Apes! Not Monkeys! はてな別館のコメント欄でこう発言しました。

>降伏していない敵を攻撃するのは戦闘行為の一部である
これに関しては当時の日本軍の不法な捕虜殺害は知れ渡っていたわけで、捕まったら殺される以上、中国軍が「確実な死である降伏」より「生き延びる可能性がある敗走」を選択するのは当然なわけです。
「降伏していない敵を攻撃するのは戦闘行為の一部」であり不法殺害ではないとしても、(日本軍の行動から判断して)中国軍に降伏という選択肢は無いも同然だったことを考えれば、これを問題の無い行為として扱うのは公正とはいえないと思います。
この辺の判断は価値観によるでしょうが。

日本軍が投降兵も捕虜も裁判抜きに殺害してしまうような軍隊であり、それまでの戦闘でそれが知れ渡っていたがゆえに、中国軍兵士には事実上、投降という選択肢はなく、武器と軍服を棄てて便衣(民間人の服)を身につけて民間人の中に逃げ込むしかありませんでした。
日本軍はこうした敗残兵を掃討するために、ほぼ無差別に成年男子を「便衣兵」と認定して連行し集団処刑をおこなったので敗残兵も民間人も逃げ出すしかありませんでした。
日本軍による不法殺害により事実上、降伏という選択肢はないも同然。それにも関わらず降伏していないことをもって「不法殺害ではないから虐殺とはみなさない」というのは不公正というものです。
一般的に、追撃戦における残敵掃討は文学的表現としての虐殺ではありえても戦争犯罪としての虐殺ではありません。しかし、私は投降兵を殺害するような軍隊による虐殺犠牲者数推定には殺害された敗残兵の人数を含んでもよいと考えます。事実上、逃亡する以外の選択肢が封じられているからです。
合法(リーガル)と公正(フェア)は異なります。逃亡する以外の選択肢を封じておいて逃亡をもって「不法殺害ではない」というのは合法ではあっても公正ではありません。

*1:三〇万人説の否定に対する固執とか。

*2:「虐殺少数派」の「法解釈」については同書のP169からの記述で批判されていますが、そういう「法解釈」に問題があるのは南京事件 初歩の初歩を読まれても明らかだと思いますので省略。

*3:同時に「範囲外」とされる犠牲者の扱いに対する問題もつきまといます。

*4:逆に言えば「虐殺少数説」を支持するということは投降兵の殺害は虐殺に当たらないという判断の表明となるわけで、人数だけに着目して「虐殺少数説」を支持しているような人はそういう所も認識しておいた方が良いと思います。

*5:中国側は否定しています。cf.南京事件をどうみるか―日・中・米研究者による検証

*6:不公正な殺害を犠牲者数に含めるという私の価値観の表明。