日本軍慰安婦(従軍慰安婦)について

日本軍はなぜ慰安所を必要としたか

2 日本軍が慰安所を必要とした理由

日本軍が慰安所を必要とした理由は四つある。第一は、占領地で日本軍人による強姦事件が多発したことであった。広範囲に慰安所を設置するきっかけとなったのは、一九三七年一二月の南京大虐殺と関係がある。三七年八月から一〇月にかけての激しい上海攻防戦のあと、日本軍は南京にむけて侵攻したが、一〇月から一二月にかけて、日本軍の進撃ルートとなった長江(揚子江)一帯では、日本軍人による虐殺・強姦・掠奪・放火などのきわめて多くの不法行為がおこなわれた。中でも強姦は弁明不能な違法行為であり、盗賊でも強姦はあまりしないといわれる倫理観をもつ中国人の間に激しい憤激をよんだ。このような事態にあわてた日本軍は軍慰安所の設置にのりだしたのである。中支那方面軍は、この前後に慰安施設をつくるよう指示している。
一九三八年六月、数十万の兵員をもつ北支那方面軍の岡部直三郎参謀長は、指揮下の各部隊に対する通牒で、北部中国で日本軍人が頻繁に強姦事件をおこすので、占領地の中国民衆が日本軍から離反しているとのべ、強姦事件を防止するために、なるべく速やかに性的慰安施設をつくれと指示している。
本来、強姦事件防止には、犯罪への厳重処罰、および軍隊内の人権の確立と兵士の待遇改善で対処すべきだが、日本軍はこのような処置をとるのではなく、軍慰安所をつくり、特定の女性を継続的に長期間輪姦するという方法で対処し、別の重大な人権侵害をおこしたのである。抑圧的な兵営環境を改め無権利状態におかれている兵士の人権を保証する措置は検討さえされなかった。兵士に対する戦時国際法の教育はなされなかった。こうして、強姦事件をなくすための措置はまったくとられることなく、軍慰安所のみが増えていった。しかし、慰安所をつくり、女性に対する性暴力を公認しておいて、強姦事件を防止することは不可能だった。こうして、軍慰安所をつくったにもかかわらず、強姦事件は減少しなかったのである。
第二の理由は、将兵への「慰安」の提供であった。日本が開始した戦争は、大義名分のない侵略戦争であり、また、勝利の見通しのない無謀な戦争であった。このような戦争に、休暇制度もないまま、長期間戦場に将兵を釘づけしておくために、性的な慰安が必要だと、日本軍は考えた。日本軍は、将兵が日本に一時帰国できる休暇制度が必要なことは知っていたが、ごく一部の例外を除いて、ほとんど実現しなかった。健全なアメニティ施設が必要だとの軍医たちの提言が提出されたが、ほとんど実現されなかった。このような中で、将兵の不満をそらし、あるいは下士官・兵士を管理しコントロールするために軍慰安婦制度が必要とされたのである。
第三の理由は、性病問題である。民間の売春宿を利用すれば性病が蔓延し、将兵の治療に時間がかかり、大幅に戦力が落ちること、また、将兵の帰還のさい、性病が日本国内に流入すれば、日本民族の将来にかかわることから、軍管理の慰安所をつくる必要があると日本軍指導部は考えた。軍は民間の売春宿の利用を禁止し、軍医は定期的に軍慰安婦の性病検査をおこない、兵士にはコンドームの使用などの予防策を講じさせた。しかし、戦地で性病検査を徹底させることは困難だった。将兵に対する性病検査はきわめて不徹底であり、慰安婦のそれは毎週あるいは一〇日に一度おこなわれたが、多くの場合形式的で、軽症の場合合格とされた。こうして、軍慰安所を介して性病が広がっていった。
第四の理由は、軍の機密保持・スパイ防止である。将兵が占領地にある民間の売春宿に通うと、地元の売春婦を通じて将兵から軍事上の機密が漏れるおそれが大きくなるので、軍はみずから慰安所をつくり、それを常時監督統制したのである。軍慰安所には憲兵などが定期的に立ち寄り、将兵と軍慰安婦との関係や経営内容を点検した。スパイ防止のためには、軍慰安婦は「日本臣民」(日本人・朝鮮人・台湾人)であることがのぞましかったが、人数がたりないので、現地の女性も徴集した。そこで、慰安所の監督統制がなおさら不可欠となった。

「共同研究 日本軍慰安婦 (大月書店)」P9〜11より脚注を省略して引用。
第一の理由のように日本軍が強姦防止のために慰安所を必要としたことと、それが強姦防止に役立たなかったことはよく知られていることです。
強姦事件をなくすための措置をとらずに性欲解消のための性暴力施設を作ったところで強姦防止には意味はなかったのです。自らが置かれた状況などから占領地の住民に対する人権意識が欠落してしまった兵にとっては「慰安所は金もかかるし順番待ちで並ばなければならないが、強姦なら金はかからない」ことだったでしょう。
第三の理由のように性病防止も目的としていたことと、その目的でもあまり役立つことはなかったことも知られています。しかし、この目的は慰安婦の徴集において未だ性的経験の無い未成年の女性の必要性を上げました。

「醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買取締ニ関する国際条約」*1と軍慰安婦徴集対象

売春を目的とする婦人・児童の売買を禁止するこの条約があるため、警察の総元締めである内務省警保局長は一九三八年二月、通牒を各府県知事に出した。それは、日本内地からの売春を目的とする女性の渡航にさいしては、二一歳以上の女性で、かつ、現に売春婦である者に限って各警察署は身分証明書を発給する、というものであった。ということは、売春を目的とする満二一歳未満の女性はすべて、また満二一歳以上の場合も売春婦でない女性に対しては、各警察署は身分証明書を発給してはならない、ということになる。
こうして、日本本土からの軍慰安婦徴集は、きわめて限定された。しかし、この国際条約には、この条約を植民地に適用しないことを可能にする規定があった。日本政府はこの規定を採用して、この条約を朝鮮・台湾・関東租借地樺太委任統治南洋群島には適用しなかったので、朝鮮・台湾での女性の徴集には制限がないと、日本政府と日本軍および朝鮮総督府台湾総督府は解釈した。
占領地では、「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」第四六条が「家ノ名誉及権利」などの尊重を求めている。この条約は慣習国際法を反映したものであり、強姦や強制的売春からの女性の保護を約束していた。しかし、占領地でも日本軍は国際法を無視して、アジア人に対しては戦時国際法の適用をほとんど考慮せずに行動した。
こうして、売春経験のない女性や未成年の女性が、日本内地以外から多数徴集された。日本軍にとって、性病の蔓延を防ぐためには、そのほうが好都合でもあった。

「共同研究 日本軍慰安婦 (大月書店)」P8〜9より脚注を省略して引用。
慰安婦の本土における徴集と朝鮮や台湾における徴集の差は、大日本帝国にとって朝鮮や台湾の併合の実態は植民地であったことを示しているというものでしょう。内鮮一体などのスローガンは本当に言葉だけだったのだという感じです。
このような大日本帝国の姿勢により、公文書などで確認できるもので下は一四歳からというような未成年の慰安婦徴集が植民地や占領地では行われました。
こうして慰安婦にされた植民地や占領地の女性は(その全てではないにせよ)度重なる妊娠と堕胎の繰り返しによる不妊や過去の発覚を恐れての交際の忌避などでその後の人生を破壊されたのです。そして、現代における慰安婦問題の否定はそういう人々に対する二次加害にほかなりません。

「婦女売買に関する国際条約」と強制連行を構成する強制手段について

条約の構成をBの一九一〇年の条約を例にしてみると、第一条では、「他人の情欲を満足せしむる為醜行を目的として未成年の婦女を勧誘し誘引し又は拐去したる者は本人の承諾を得たるときと雖……罰せらるべし」となっており、いかなる事情があっても未成年者に売春をさせてはならないと規定していた。この条約では未成年とは満二〇歳未満、一九二一年の条約では満二一歳末満となっていたが、日本政府は未成年を満一八歳末満とするという留保条件をつけてこれらの条約に加入した(一九二五年一二月外務省告示第一〇一号)。しかし、日本政府は一九二七年にこの留保条件を撤廃したので、日本でも未成年とは満二一歳末満ということになったのである。
もう一つの柱である第二条では「他人の情欲を満足せしむる為醜行を目的として詐欺に依り又は暴行、脅迫、権力濫用其の他一切の強制手段を以て成年の婦女を勧誘し誘引し又は拐去したる者は……罰せらるべし」となっている。つまり、ここでは成年の女性であっても強制連行(強制手段による勧誘・誘引・拐去)をした場合は犯罪になるということであり、しかも強制連行を構成する強制手段の内容を、詐欺または暴行、脅迫、権力濫用その他いっさいの強制手段、というように広く規定していることである。

従軍慰安婦資料集 (大月書店)」P34〜35より引用。
慰安婦の募集においては「看護婦の仕事」など業務内容を偽るなどの詐欺で売春経験のない女性が慰安婦にされた例も多いことが知られていますが、「婦女売買に関する国際条約」*2的にはそれらも強制連行となります。
それは、人狩りを「狭義の強制連行」とし(占領地では「狭義の強制連行」の例もあったにも関わらず)「騙して連れ去った広義の強制連行はあっても人狩りのような狭義の強制連行は無かった」と言ったところで日本軍の責任を否認することはできないということでもあります。
未成年への売春の強要にしろ、「広義の強制連行」にしろ、日本軍のしたことは当時の価値観でも許されないことでした。

軍の関与と責任

具体的な関与についてみると、まず、兵務局兵務課が立案した「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」という文書が重要であるが、これは陸軍省副官通牒として北支那方面軍・中支那派遣軍あてに、一九三八年三月四日、出されている。これによれば、陸軍省は、(1)派遣軍が選定した業者が、誘拐まがいの方法で、日本内地で軍慰安婦の徴集をおこなっていることを知っており、(2)日本軍に対する国民の信頼が崩れることを防ぐために、各派遣軍(現地軍)が徴集業務を統制し、業者の選定をもっとしっかりするよう指示し、(3)徴集のさい、業者と警察・憲兵との連携を密にするよう指示している。つまり、陸軍省は、強制徴集(物理的な強制のみならず、だましたり、精神的な強制を加える場合を含む)の事実をつかんでおり、それを防止する義務があったことになる。しかし、強制徴集や未成年者の徴集をするなという指示は朝鮮・台湾では出されなかった。少なくともそのような指示が出されたことを示す文書は発見されていない。このことは、陸軍省が朝鮮・台湾では、強制徴集を防ぐための措置を何もとらなかったことを意味している。これは重大な義務違反ということになるであろう。
なお、この通牒を発出した陸軍省副官は櫛淵せん一*3大佐、決裁したのは梅津美治郎陸軍次官(敗戦時の参謀総長で戦艦ミズーリ号で降伏文書に署名した人物)であった。この通牒は、陸軍大臣杉山元)の委任を受けて出された「依命通牒」であった。
次に、一九四〇年九月一九日、陸軍省副官川原直一大佐から陸軍各部隊に教育参考資料として送達された「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策」は、「掠奪、強姦、放火、俘虜惨殺等」の日本軍人による不法行為が多発していることを認めている。このうち、強姦の多発は軍慰安所設置と密接な関係があるが、その後も各地で強姦がやまず、軍慰安所が次々に設置されたことは、陸軍中央による強姦防止の実効ある措置がとられなかったからであり、軍慰安所が継続的に維持されたことは、各派遣軍の軍司令官に責任があり、また陸軍大臣に十分な防止措置をとらなかった責任、監督不行き届きの責任があることになる。また、この公文書で、陸軍省は、軍慰安所の監督指導の適否は「志気ノ振興、軍紀ノ維持、犯罪及性病ノ予防等ニ影響スル所大ナルヲ思ハサルヘカラス」として、その必要性を積極的に是認している点で、つまり軍慰安所での継続的な人権侵害を是認している点で、陸軍大臣にも責任があることになろう。当時の陸軍大臣東条英機大将であった。

「共同研究 日本軍慰安婦 (大月書店)」P20〜22より脚注を省略して引用。
慰安婦の徴集は軍が業者を選定して発注したものであり、陸軍省もその実態を含めて把握していたものであり、「民間業者が勝手にやったこと」なんてことはありえません。

沖縄での慰安所つくりに見られる軍の関与

沖縄の場合

沖縄の事例は、日本国内であっても、決戦を前に派遣された兵力がふえると慰安所がつくられたことをよく示している。資料87から資料91は、軍が陣地構築のかたわら慰安所を自ら建築したことを示している。大隊本部の命令も残っており、川田文子氏が発見した資料89のように、慰安所の設計図まで残っている。また、資料92のように、慰安所に関する第六二師団の会報がまとまって残っているのも重要である。この会報で注目されるのは、資料92−(9)で、慰安婦と軍が契約関係にあることを示していることである。これに関連して南部セレベス(南部スラウェシ)では、民政部所管の二三軒の慰安所慰安婦の募集・契約責任者は同一人物だが、この人物は民政部嘱託、つまり軍属であった。また業者が軍属の資格を与えられていたかどうか、注目されるところである(資料83−(2))。
また、沖縄では、山西省東部太行地区からきた第六二師団の下で民家の財物・ニワトリ・ブタなどの掠奪や強姦事件など日本軍が中国でやったと同様の不法行為が生じていた(資料92−(8))。このような中で慰安所が作られるのだが、国民学校生徒(小学生)がのぞくような所に慰安所があったり、当然のことながら慰安所の設置に住民が不快感をもったりと、さまざまなトラブルが生じている

従軍慰安婦資料集 (大月書店)」P81より引用。文中の資料83は「セレベス民生部第二復員班員復員に関する件報告」(海軍司政官による報告書)、資料87から資料91は日本軍の陣中日誌、資料92は日本軍の会報。
このような沖縄の事例も慰安所つくりは「民間業者が勝手にやったこと」ではないということを示しています。
慰安婦問題における軍や警察などの日本の行政の関与は各種公文書を含む日本側資料から明らかであり、なればこそ日本政府もそれを認めているのです。
慰安婦問題において未だに「民間業者が勝手にやったこと」などと主張するような類は否定論の中でも最低の部類ということです。

従軍慰安婦の総数の推定と、なされるべき資料公開について

この資料集で、軍による慰安所業者の選定、慰安婦徴集・渡航への憲兵・警察・領事館の関与、慰安所業者への軍物資(おそらく資金も)の提供、軍による業者・慰安婦の輸送、管理規則・料金・利用時間の制定、慰安所の建設(沖縄)や施設の提供、業者・慰安婦の統制、定期的性病検査、サック支給、部隊副官・経理将校・日直士官による経営管理・監督・統制などが明らかになった。
次の課題は、広義・狭義の強制連行の実態を明らかにすることである。その一端はスマトラビルマの例で示されている。今後、もっと多様な資料や証言の発掘が必要であろう。
もう一つは、従軍慰安婦の総数がどれぐらいであったか、という問題である。それを示す資料は出てきていないが、推定の材料がないわけではない。かなり、大ざっばな計算になるが、以下の数字を出しておきたい。
当時、「ニクイチ」という言葉がかなり流通していたようである。これは兵士二九人に慰安婦一人がいた、あるいは必要だという意味だが、これをもとにすれば、ある程度推定できる。秦郁彦氏は、慰安婦がほとんどいなかった地域を考慮して基数を兵員三〇〇万とし、病気・死亡・廃業などによる慰安婦の入れ替わりを一・五としている(秦前掲論文)。このうち、前者はいいとして、後者はやや問題がある。そこで、これを一・五とした場合と最大限の二・〇とした場合でみてみよう。計算は次のように約一五万五〇〇〇人から二〇万一〇〇〇人*4になる。これは最大限の数値とみてよいであろう。
 三〇〇万÷二九×一・五=一五万五一七二 (×二=二〇万六八九七)
次に、資料44にあるように、一九三九年四月の第二一軍には約一〇〇〇人の慰安婦がいた。当時の第二一軍の兵力は四万から五万の間と推定されるから、これを四万五〇〇〇として計算すれば、約一○万から一三万三〇〇〇となる。
 三〇〇万÷四五×一・五=一〇万(×二=一三万三三三三)
こうして、大ざっばな推定では、一〇万から二〇万という一般に流布している数字には一定の根拠があるということになろう。その多くが朝鮮人であったことについては、異論がないだろう。
最後に、残された課題を究明するためには、資料公開が不可欠であることをのべておきたい。一定期間を経過した資料は原則公開するという欧米では常識の原則をもっているのは外務省(三〇年たったものを公開)だけである。しかし、国益やプライバシーを理由に年々公開される資料が少なくなっている。とくに、賠償関係の重要資料はほとんど公開されていない。防衛庁防衛研究所図書館所蔵の戦前の資料と復員資料のみ公開しており、軍人の日記などの資料は原則非公開となっている。防衛庁の他の資料館は非公開である。厚生省・労働省・警察など他省庁の資料は、国立公文書館移管資料以外いっさい非公開である。従軍慰安婦関係では警察の資料が非常に重要であることは、明らかだろう。これが出てこないことには、政府は調査したといえないだろう。また、三〇年たたない資料や非公開資料にも接近できる情報公開法が必要であることもいうまでもない。

従軍慰安婦資料集 (大月書店)」P83〜84より引用。
現代でも各種報道で見られる従軍慰安婦の総数を二〇万人とするような推定人数は決して大げさな数字ではなく、日本軍の規模を考えれば相応の根拠を持つ数字です。
従軍慰安婦に限らず日本軍の戦争犯罪全般に言えることですが、日本の資料公開の姿勢は甚だ不十分なもので、それが歴史学的研究の妨げになっていることは単なる事実です。

ブックガイド

日本軍「慰安婦」制度とは何か (岩波ブックレット 784)
かつては慰安婦問題の入門書といえば「従軍慰安婦 (岩波新書)」でしたが現代の慰安婦問題の入門書といえばこれでしょう。否定論者が自らの情報戦ごっこにより自爆した意見広告であるところのTHE FACTSについても言及されています。


「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実
慰安婦問題における否定論による反論を装った嘘に対する反論。
否定論は学問的な歴史学的事実に反論するのではなく、自らが作り出した虚像を否定することであたかも歴史学的事実とされているものが間違っているかのように嘘をついているのです。
そして、この書籍にあるような反論に対して再反論するのではなく、同じ嘘を繰り返し続けているのです。


共同研究 日本軍慰安婦 (大月書店)
書名の通り日本軍慰安婦に関する共同研究の成果。
その中には慰安婦にされた人々の心の苦しみが伝わるものもあります。
しかし、そういう話も慰安婦問題を否定し「祖先の名誉」とか言いながら「自分たちが気持よくなれる嘘」を共有している人々の心に届くことはないのだろうなとも思います。
慰安婦問題には法的・政治的責任の面と倫理的・道義的責任の面があるわけですが、慰安婦問題に対するネットでの反応を見ると世の中にはそういう倫理的・道義的責任を理解できない人々がいるのだということを実感させられます。


従軍慰安婦資料集 (大月書店)
慰安婦問題において軍や警察といった行政の関与を示す日本側資料多数を含む資料がまとめられています。また、冒頭に資料解説もあります。
否定論の問題の一つはこのような資料に裏づけられた学問的事実を知ろうともしないことです。彼らは学問的な歴史学的事実に向き合うことを拒み、自らが酔える「気持ちのいい嘘」に騙され続け、「気持ちのいい嘘」で人を騙そうとし続ける人々です。当然のことながらそのような嘘はそれに騙されたがるような欲望を共有しない海外の人々には通じません。ゆえに「こういう「真実」を知ってもらえればわかってもらえる」とばかりの意見広告など「気持ちのいい嘘」にもとづいた彼らの情報戦ごっこは逆効果となり、彼ら自身の非倫理性・非道義性を示すことでかえって日本に対する非難決議を招くことになるのです。

*1:「婦女売買に関する国際条約」

*2:A.「醜業を行はしむる為の婦女売買取締に関する国際協定」、B.「醜業を行はしむる為の婦女売買取締に関する国際条約」、C.「婦人及児童の売買禁止に関する条約」。D.「成年婦女子の売買の禁止に関する国際条約」については当時の日本は批准していない。アルファベットは引用文中のものに対応。

*3:原文では「せん」の字は金偏に宣。

*4:計算値から二〇万七〇〇〇人の誤りと思われるが原文ママ