もはや議論の必要がないこと

レイシズム歴史修正主義に対する批判・非難に対して、レイシスト歴史修正主義者がその不寛容さを批判・非難することがあります。
くだらない。
レイシズム歴史修正主義に対して妥協点を見出すために議論する必要などありません。
不寛容に対する不寛容、大いに結構。それらに対して寛容に振る舞う方が悪しき相対主義というもの。妥協する方が悪。
両者の間に妥協点を見出すということは、正と誤の間で中間を取るようなものです。妥協するだけ結論は正から遠のきます。
両者の間に妥協点を見出す必要はありません。地動説と天動説、進化論とID論。これらに対し、前者を正しいものとし、後者を誤りとし、両者の間で妥協点を見出す必要がないのと同じ。
批判・非難されるべきことが批判・非難されるだけのことです。
こういう不寛容に対する不寛容は社会正義に反しません。むしろ、つまらない修辞で本質を覆い隠し、不寛容に対する不寛容が社会正義に反するかのように批判・非難し、必要のない議論に他者を巻き込む方が社会正義に反しています。